見出し画像

2022年2月後半

2週間前のことがずいぶん遠く感じられる。

20220215 Tue.

寒いながらも東京はやや気温が高くて、午後には少し鼻がグスグスして今年初めて花粉を感じた。

ウクライナとロシアについての表明
グテーレス国連事務総長
・あおるようなことは適切でない
・いまは緊張をゆるめるとき
岸田首相
・外交交渉による解決。実際起こった状況により適切に対応

日本は、もっと平和へ向けた働きかけができないのか。問題解決そのものは当事者にしか出来ないが、その当事者へ影響力を与える、軍事力ではない何か。平和を堅持することを明瞭に示す国として。


20220216 Wed.

『ウエスト・サイド・ストーリー』を観た。当初2021年12月公開と宣伝したので、それが2月にずれ込み2/11公開。心待ちにしていた映画。最初にスピルバーグが監督すると知り、なぜ今頃?と思ったけれど、待っている間に期待が高まっていった。
やはり音楽とダンスや映像の力に、最初から引き込まれた。2時間、見応えのある素晴らしい映画だった。終わったとき身体がホカホカしていたようで、外に出たときに蒸気がでているような感覚さえした。

音楽の素晴らしさ、躍動的なダンスや衣装の色・構図にワクワクして、自然とエネルギーが高まってくる。音楽は1961年旧作をほぼそのまま使い、部分的に歌詞を変えているようだった。新しい曲も1曲あったか。ダンスは全面的に新しくなっていて、ダンサーの層の厚さ、レベルの高さに目を見張る。観ようかと迷っている方にもおすすめできる映画だ。

エンドクレジットで
FOR DAD / 父へ捧げる とあった。

スピルバーグ監督は1961年版のこの映画を、父親と観に行ったそうだ。その後、両親が離婚して離れ離れに暮らす時期が長くあり、スピルバーグは何か割り切れない思いを父親に対して持っていたようだが、この作品を父親へ捧げた、ということは何か気持ちの上で一区切り着いたのかもしれない。

もうひとつ。エンドクレジットのなかで、上記と同じフォントで書かれていたものがこちら。

The making and authorized distribution of this film supported over 12,000 jobs and involved over one million work hours.

この映画の制作と正規の配給は、100万時間の労働時間を創出し12,000人以上の仕事に支えられました。

スピルバーグが今を生きる若者たちに、様々な仕事を提供したこと、イコール、チャンスを作ったということ、それ自体が誇らしいことなのだ。エンドロールには、ヒスパニック系・ユダヤ系などの名前が多く、韓国・日本の名前もわずかに見て取れた。

スピルバーグ監督がなぜこの映画を作ったのか。それを掴みたいと思っていたのだが、それがエンドロールに表現されているなと思いつつ、鑑賞後しばらくして浮かんだ言葉は「バトン(リレーの・・・)」。つまり" 旧作の素晴らしさを現代の若者にも伝えたかった、ただ旧作を観てもらうには、いくつも現代にそぐわないところがあるので、2020年代の観客にも十分訴求力のある作品にリメイクして、旧作の映画の普遍的なメッセージを伝えようとした。さらに、国籍や肌の色にこだわらず(1961年版はスタッフが白人やビッグネームに偏っていた)大勢の若い人材を起用し、その才能を開花させた " それがやりたかったことかなと思っている。

ご覧になった方々はどんな感想だろうかと、映画サイトのレビューを観たりしている。

ひとつだけ内容に触れる。1961年の映画といちばん異なる設定だったのは、チノだ。主人公マリアの婚約者ということで凡庸な印象のチノがやったことは、かなりかっこいい。シャッターを上げた場面。ここは縄張り争いのレベルを超えた行動だ。

ただ、そのチノがラストでやるせない場面を迎えるのは旧作と同じ。今回はリタ・モレノが寄り添っていた。単に一人で歩むよりも母性が感じられる。救いがないなかにも、一筋の救いがある。

映画鑑賞前の映画紹介はこちら。

前の晩から読み始めた『ライオンのおやつ』を午前中に読了していた。読みやすい文章で、死ぬこと・生きることという重いテーマを穏やかに味わえる小川糸さんの小説。NHKでTVドラマとして放映されていたが、原作とは異なる設定もあり、どちらが好みかといえば本のほうだった。主人公の強さと家族の幸せや対人関係に過適応なことからくる苦しさ、それを周囲の人と分かち合う温もりに、じーんときた。


ふと思い浮かんだ『ウエスト・サイド・ストーリー』と『ライオンのおやつ』の共通点は「居場所」。安心して自分らしくいられる場所・人間関係。やっぱり大事だなぁ。

今日は内面が忙しくも充実した一日だった。

20220217 Thu.

美容師さんは「いや。一昨日なんかではなく、もっと前からですよ」と。花粉が飛び始めたのは2月初旬だという。

今日は収穫あり。手の整形外科を教えてもらった。美容師さんなら手首や指まわりの良い医者をご存じではないかと。手の整形外科やリハビリを検索すると、腱鞘炎やへバーデン結節のような使いすぎ・ホルモンの問題・重症の骨折を宣伝する病院が多く出てくる。細かい指の動きを扱っている病院に行き当たる可能性が低そうだったので本当に助かる。

折れた橈骨はくっ付いたようだが、小指側、尺骨神経支配の筋肉の動きがまだ悪い。尺骨の端っこが折れたのか欠けたのか、内出血が長かったので、神経や筋肉の腱が傷んでいるはず。一応整形外科の先生に来週相談してから、新しい病院で手の細かい動きについて現状確認とリハビリアドバイスを受けたいと思う。小さなことにこだわっている自分に嫌になるが、機能を100%回復させることにこだわっている。

そういえば、茶碗や湯飲みを持つときに片方の手を添える、という作法がある。それは茶碗を落として割らないような丁寧さの表現でもあるが、片手で持つ負担を、もう一方の手を添えて和らげるためでもある、といまは思える。そうだとすると、いま感じていることは、老人になった時、どのように動作すればいいかを学んでいることになる。あるいは、赤ちゃんから幼児のころ、どんな風にやってきたかを遡るようでもある。

今朝は毎週行っている読書会の日。今日もまたズキンときた、そして見晴らしが広がった。

もし今、あなたとあなたのパートナーとのあいだに大きな衝突や論争が起きているならば、次の二つのことを想像してみましょう。もしその論争が自分の思う通りの方向に進んだとしたら、そのとき、「私たち(We)」の領域はどのように感じられるでしょうか? もしその論争が、相手の思う通りの方向に進んだとしたら、そのとき、「私たち(We)」はどのように感じ垂れるでしょうか?
(略)
「私(I)」の領域と、「私たち(We)」の領域を、行ったり来たりしてみましょう。そして、そこにどんな違いがあるかに気づきましょう。
(略)
あなたは、2つの「私(I)」の両方に対して、本物の居場所を与えられているでしょうか?

『インテグラル理論を体感する』274ページより

私もあなたも、それぞれの居場所がまずあって、そこから私たち(We)をつくっていく。私たち(We)の為に私(I)を犠牲にすることから始めるのではない。

今日は満月。正確には今日の明け方満月だったようだ。

20220218 Fri.

今日は様々なことがありザワザワして頭がまとまらない。朝から順番に書くと・・・

①『MBTIへのいざない』の読書会にて、キャリアアドバイスとの関連でMBTIをどう使うかをディスカッション、同時並行で作成中の小論文の中身が気になる。
②インテグラル理論関連書籍の訳者門林さんのトークセッション、視聴2回目。「どういう世界であっても不動の自由と愛に根差したい」という静かな決心を伺い、いまの自分の内界と現実がつながる気がした。
③オンライン友達とリアル初対面。直接会って起きる内界の活性化や相互作用。
④外苑の樹木伐採というニュースに驚く(坂本龍一さんのFBから)
⑤既知の2人が、オンラインイベントで友達になったことに気づき、3人でチャットで盛り上がる。
⑥身の回りの物品で、テーブルの上がごちゃごちゃしてきて落ち着かない。片づけたいが、やりかけの物たちが鎮座している。
⑦ウクライナとロシアをめぐるドイツ・フランス、アメリカ、中国、日本の動きが気になり、社会がこうあってほしいという気持ちが高まり、現状のまま進むのはいやだという気持ちが大きくなる。感情が刺激されている。

どれも大したことではないのだが。

③リアル初対面は、この2年間、オンラインだけでお会いしていた人と軽く飲みながらおしゃべり。余韻を味わいながら帰ってくると、⑤オンライン上で、中学以来の友達Aさんと会社友達のBさんが友達になったことに気づき、2人ともを知っている私が申し述べて3人がつながったという出来事。思いがけないことだった。1日のうちに、別な方法で友人の輪が広がった。面白いなぁ。

今年は友達とのつながりを意識して結びなおそうと思っていたところなので、さっそくそれが実現している。


④外苑の樹木伐採について、Facebookで記事をみてビックリした。

私はこの開発に反対だ。東京には色々な顔があったほうがよくて、ここは都心の緑が大規模に存在するところ・大きな空を体感できるところであった方が、特色が生かされてよいと思う。
そもそもをたどっても、一部の事業開発者が好きに開発するところではない。市民の寄付や植樹で生まれた場所。きわめて公共性が高い。
都心にある森・誰でもがただ居られる場所・悠久の時を感じる場所。それはオフィス街・商業地区とは異なる場所だ。
そこが東京オリンピックのために建築規制が緩和されたことで、高層ビルを建築できるのだというが、もはや東京オリンピックは終わっている。


20220219 Sat.

身の回りの物品など居室で散らかっているのが気になっている。誰だってそうだろうけれど、すっきりした空間は落ち着く。

毎年保存している手帳を並べなおし取り出しやすくするなど、自分の内側につながる動作をすると心が落ち着いた。昨日はいろいろあって心が乱れているということ。落ち着け。

体重が増えていることにもイライラする。1回は焼肉食べたときに急増。その後セーブしたつもりだが、昨晩も同じようにびっくりする値だった。身体の冷えからくるむくみもありそうだが、それを差し引いても増えている。

夜は12時前に寝る、お風呂に浸かる、歩く、食事は21時までに終了、食べ過ぎず、野菜を多くとり、体を温める。これらを当面頑張らなければならない。こういうときは焦らず、最適な行動を地道に継続するのみ。

そもそも偏ったものを食べたいということは、体内のバランスが崩れている証拠。下記のようなつながりがあるそうだ。
 辛い物を食べたい →ストレス大
 揚げ物・ジャンクフードを食べたい →カリウム不足
 炭酸を飲みたい →カルシウム不足
 コーヒーを飲みたい →鉄分不足
 パンを食べたい →タンパク質不足

散らかり具合から気持ちが揺れるのと同じく、身体の状態が乱れていて、食欲も揺れるのだろう。


明日でオリンピックが終わる。オリンピックの映像をいくつかまとめてネットで観る。東京オリンピックもだが、個人的には盛り上がらなかったなぁ。

小平奈緒選手の滑走を観ることがつらかったが、その後のインタビューへの抑制的な言葉、小平選手に関するコメントを読み、ほっとした。2/17 女子1000m決勝、1秒の差で3位から10位までと厳しい争い。怪我を負いつつ、真摯に試合に向かう。高木と小平はお互い尊敬しあう関係のようだ。


20220220 Sun.

キャリアコンサルタント資格のオンライン研修を受けた。初顔合わせでも、その人らしさが立ち上がってくるものだな。

参加者20数名で、3時間プログラムのうち、グループワークを4回(1回あたり12-16分)。初対面の4人組で1時間近く話をする。「小学校の時の習い事の数」「好きだった教科」「もし当時魔法が使えたら何をしたいか」など、お題がその場で決まり、いきなり本題を話す。そこに少し抵抗を感じる部分もあるけれど、聞き上手な方も多いし守秘義務もあり、あまり違和感がない。不思議なのは、その時思いついたことを話しているだけなのに、自然とその人らしさ・自分らしさが立ち上がってくること。話し手が何かイメージを作ろうとしているわけではない。

出てくる相手の言葉を、評価したり選別することなく、聞き手は全身で熱心にきく。そうすると、その人らしさが私の中で感じ取られてくる。それを言葉にして相手にお返しする。するとその人のエネルギーが上がってくる。言葉にされた内容は、その方の一部分に過ぎないのだが、鏡では確認できない自分の姿を、言葉として教えてもらう経験となる。お互いにそれを交わす。


夜、『ドライブ・マイ・カー』インターナショナル版をパソコンで視聴。

最初に映画館で観たときは、3時間を超える映画と知らず、途中で「この展開はなかなか終わらないなぁ」と思って時計を確認した。最後の20分くらいに変化が集約されていて、そこに至るまでの時間に意味がある、ということを強く感じた。

クライマックスでの、家福の気づきの場面でさえ、村上テイストなのか客観的記述のみで、自分のことを話していながら論評のような、あくまでも距離を置いた言葉になっている。そこに至るまで、自分がきめた枠組みのなかで役をこなしている姿とは異なり、いままで見てこなかった自分について語っている。
ドライバーの女性と、主人公家福、ふたりの喪失が統合されていく場面。

ラスト、『ワーニャ伯父さん』のセリフ「それでも毎日を生きていきましょう」という言葉は今の私たちに響く。大変な毎日でも、それでも生きていきましょう。そのメッセージの温かさ、地に足がついていて、覚悟とも諦観ともいえる普通の人からの言葉。
『ウエスト・サイド・ストーリー』の終わり方より、ずっと今の私たちにフィットしているように感じた。


20220221 Mon.

観劇続き。片岡仁左衛門が出る『義経千本桜』を観てきた。今年から歌舞伎を観ようと思い立ち、「片岡仁左衛門一世一代」となにやら特別な義経千本桜のようだから、迷いつつもチケットゲット。結果行ってよかった。見ごたえもあるし、片岡仁左衛門(片岡孝夫)はもう大きな役はこれで終わりらしい。歌舞伎座の講演は1か月続き。間もなく78歳になる身体に負担が大きい。

席が並びだったおば様曰く「ちょっと衣装が派手だったわね、でも最後だから頑張っちゃったのかしら」。確かに白と銀の衣装は、銀がピカピカ、テラテラしていて、ちょっと落ち着きがなかった。新しく誂えたものなのか。演技は渋みがありかっこよかった。カッコよさを説明する語彙がなんとも足りないけれど、声に張りがあって、動作が大きく、恰幅がよい。表情や決めの姿をしっかり見たくて眼鏡をかけていたが双眼鏡(オペラグラス)も必要だった。通の人は、決めのポーズがまもなくとなると、ささっと双眼鏡を構える。1階後方の私の席からは舞台も客席もよく見渡せる。

芝居の決めどころだからではあるけれど、人が死んだ場面で拍手喝采というのはどうなのか、とも思った。今の時代、ひいき役者への掛け声は飛ばない。

前半のみどころのひとつ、洒落がきいた、魚づくしのセリフが面白かった。役者ほどはうまくいかないが、自分でもゆっくり声に出してみると面白い。

『鰯(いわし)ておけば飯蛸(いいだこ)思い、鮫(さめ)ざめの鮟鱇(あんこう)雑言。いなだ鰤(ぶり)だと穴子(あなご)って、よくい鯛(たい)目刺(めざし)に鮑(あわび)たな』
(⇒言わしておけばいいだろと思い、様々の悪口雑言。田舎武士だとあなどって、よくも痛い目にあわせたな

『鯖(さば)浅利(あさり)ながら、鱈(たら)海鼠腸(このわた)に帰るというはに鯨(くじら)しい。せめてものはら伊勢海老(いせえび)に、このひと太刀魚(たちうお)をかまして槍烏賊(やりいか)』
(⇒さはさりながら、ただこのままに帰るというは憎たらしい。せめてもの腹いせに、このひと太刀をかましてやろうか

歌舞伎美人 魚づくし
https://www.kabuki-bito.jp/special/knowledge/todaysword/post-todaysword-post-270/

たしかに歌舞伎は、話の筋をある程度知っている方がわかりやすいけれど、耳が言葉を聞くことに慣れていけば、あまり苦労せず芝居の筋を追っていける。歌舞伎は本来大衆が面白がるもの、だから骨董品のように扱わないで、面白くないものも正直あるから、面白いものから入ればいいんだ、と、十八代目中村勘三郎が話していた。ひとたび歌舞伎座に入れば、緞帳の模様や、舞台の書割が春を知らせてくれる。別世界に入れる。

ただチケット代が高い。1等席16000円、2等席12000円、3等席5500/3500円、桟敷席17000円。4等席一幕チケットは現在販売していない。
1等席の舞台向かって右側後方は、舞台から離れていることもあり、まとまって空席となっていた。直前まで空席であれば、たとえば学生や30代の方々に、ぐっと割安なチケットとして販売したどうなのだろうか。歌舞伎の良さは、それまでの観劇経験の積み重ねから、歌舞伎の本当の良さがわかってくるのだろうけれど、そのためにも経験をしておく必要がある。何歳から見始めてもいいのだけれど、歌舞伎文化を伝えていくためには、若い人が年に1回でも観る機会があるといいのになぁ。学校単位で鑑賞会をすることも意味があるが、本当のお客さん、本当の雰囲気のなかで、興味をもった演目を観ると濃い歌舞伎経験となる。シネマ歌舞伎を見れば魅力が伝わってくるだろうけれど、舞台に勝るものはない。松竹さん、ぜひ考えてみてもらえないでしょうか。

嬉しかったのは、拍手が出来たことだ。骨折後、ギプスが外れても拍手はできなかった。まだあまり大きな音は出せないが、とにかくできる。年末・年始のお参りで柏手でさえ打てなかったので、地味に嬉しい。


20220222 Tue.

2月22日。世の中は2並びで話題になっている。
私にとってはあまりいいことがない日なのだ。
高校生3年生、2校だけ受けた大学受験で2校目の不合格発表があった日。
2020年も、とある資格試験で不合格だった日。

だから無理せず、落ち着いて過ごそう。実家へ行き、母と会って食事をともにし、庭にて草むしり。今の時期、鳥が木の茂みでバタバタしていて可愛らしい。実家のテレビを観ていると、ウクライナでの戦闘状態を本気で避けようとしているのか?疑問に思えてくる。

20220223 Wed. & 天皇誕生日

実家で掃除手伝い。昼ご飯は、お客様を迎えて3人でお弁当。

お客様と母はおしゃべりを続けている。私は鎌倉へ出かけ、季節に一度恒例としている納言でお汁粉をいただく。小豆がおいしい。私が入ってちょうど満席、いいタイミングだった。八幡宮へお参りしてから北鎌倉まで歩く。風が吹くと寒いが、日向は暖かい。歩き続けるとコートを脱ぎたくなる。

20220224 Thu.

ロシア、ウクライナへ侵攻。

プーチン大統領が国民向けのテレビ演説で放送。
「ウクライナ東部の住民を保護する」ことが目的であるとして特別な軍事作戦を実施することを明らかに。ついに一線を越えてしまった。

BBC World NewsをYahooニュースサイトで同時通訳付きで視聴できる。

明日からニューヨークにあるカーネギーホールで指揮をする予定だったワレリー・ゲルギエフが降板することになった。素晴らしい指揮者なので残念だがこの状況下、プーチンと仲良しだと有名なゲルギエフが歓迎されるわけはない。むしろプーチンをなだめて説得にあたってもらいたい。

スタバで隣の席に、ロシア語を話している女の子たち4人がいた。他愛もなくファッション関係の話をしているようだった。複雑な気分。どう思っているのか尋ねてみたいような気もした。


20220225 Fri.

日本とウクライナの時差は7時間。いまウクライナでは、住民がその場を逃げ出し、成年男性は戒厳令のもと国外退去できずに武装待機している。同じとき私は昨年6月に予定した京都旅行一泊旅行へ友人と品川駅を出発している。新幹線に乗って、快晴のもと富士山を眺めたり、関ケ原のあたりが雪に覆われているのに驚いたり、京都の街並みに身を置いて幸せを感じている。この違い。100%楽しめるわけでなく、通奏低音として戦争が流れながら。

京都は空が広い。こころなしか人々に落ち着きが感じられる。

東京で感じる空の狭さ、街を行きかう人々に余裕のなさ、殺伐とした雰囲気、離れてみてその異様さに改めて気づく。昼間は空が見えて日が当たる。夜は日が落ちれば暗くなる。京都から電車で10分ほどの場所でも、夕方18時ぐらいには自然と街が暗くなり、それが落ち着きを醸し出している。東京のように、照明が明るすぎない、看板が派手でない、宣伝の音・電子音があまり聞こえない。東京には東京の役割があり、人・もの・金が集積する場所ではあるが、最近富に品が悪くなっているのではないか。京都の環境のほうが、その人らしくあるのではないかと思わされる。

4人で街歩きを楽しみつつも、ウクライナの話がちょいちょい出てくる。

京都御所の蝋梅


20220226 Sat.

新聞朝刊、一斉に報じる。

滞在先ホテルに並んでいた朝刊は、どれも大きな写真と見出しが並んでいる。否応なく目に入る、逃れられないと感じる。

ゼレンスキー大統領が、主だった閣僚を紹介しながら、我々はキエフに留まっていると話す動画をBBC放送で観た。切羽詰まっている感じと決意が伝わる。ゼレンスキーさんはコメディ俳優出身の方。動画を扱う感覚を持っているようだ。



京都は高層ビルがほとんどなく、空が大きい。お天気に恵まれて梅が青空に映える。京都御苑には犬を散歩させる人がいたり、梅を愛でる人々。鴨川のたもとには、2人組がソーシャルディスタンスを保って何組も並んでいる。南座では、京都五花街合同「早春夢舞台」開催のポスターが張られていて、会場入りする手を引かれた舞妓さんをちらりと目撃。のどかな春だ。

鴨川


20220227 Sun.

ウクライナ侵攻に、大勢の人が声を上げている。このことは、ウクライナの人にとって心強いだろうし、間違ったことばかりではないと思えて、少し安堵する。

日本でもロシア人による反対集会があったと後日知る。

渋谷駅前では在日ウクライナ人はじめ大勢が集まったことを友人の投稿で知る。この光景をみた関係者は心強く感じるだろう。日本でこういった活動は珍しいのではないだろうか。一方、なぜこれがミャンマーについて行われなかったのか。なぜ中国のチベット族、ウイグル族について行われなかったのか、とも思う。

ロシアが戦いを始めたという図式が明瞭なので、意見表明しやすいからだろうか。それともチベット、ウイグル、香港、ミャンマーと続き、いよいよおかしいという意識が、私たちの間に十分溜まったということか。

とはいえ、いまここでNoと思うことが大切だ。今回声を上げた体験は、私たちの中に何かを残すだろう。

しかし、この一線を越えてはならぬとこれだけ多くの人がわかっているのに、なぜウクライナ侵攻に至るのだろう。プーチンの判断は一国の首相と思えない・尻馬に乗る他国勢力がある・EUは戦争回避を試みているがうまくいかない・・・。このくらいのことは多くの人が認識しているのに。

ひとつの答えはシステムとして色々なものが絡み、簡単にストップできないという説明だ。しかし、戦闘状態を避けるために全力を尽くすとは、システムを言い訳にすることではない、はず。


原宿にあるLORANSという花屋に併設されたカフェへ、友人と3人で初訪問。花と緑で彩られた空間が居心地よく美しい。日本財団の支援を受けている就労継続支援A型として、一人ひとりの状況と就労内容を調整しているそうだ。

LORENS店内 天井からドライフラワー。光があふれる。


今日気になったこと
・ウクライナ各都市への攻撃進む。
・ドイツが軍事費を拡大
・ウクライナとロシア。ベラルーシの国境付近で前提条件なしで会うことで合意したと発表。

正直なところ、この事態から抜け出したくなる。毎日この話。ちっとも打開が見えない。腹をくくらなければならないのも、受け入れがたい。
こうしてイライラしてくる。こんなときこそ、深呼吸・深呼吸。


20220228 Mon.

ロシアが、プーチンが、行ったことは許されないこと。いまそれを各国が、ひとりひとりが、口々に非難している。しかし、一旦いまの状況が改善されたとき、非難されたロシアと再び国際社会を構成していかなければならない。つまり出口戦略も考えないとならない。だから、声高に非難しすぎることを控えなくてはならない。

ウクライナとロシア、およびその周辺で、これまで戦ってきた事実があり、そこには攻めて、攻められてきた事実がある。どちらが100%正しいということは言えない。お互いに積年の恨みはある。


むしろ避けねばならぬことは、当事者を助けるふりをして、自らの利益となるよう振る舞う「正義の顔をした私利私欲」に巻き込まれることだ。ノルドストリーム・クリントン財団・軍需産業・・様々な利権が見え隠れする。

現在の国際法に照らして、国際社会の一員として、正すべきことを明瞭に伝え、そのうえで、また共に社会を構成していかなければならない。しかし、過剰な反応は危険。むしろそれが次なる害へつながる。

圧力をかけたら、その反動がある。圧力の応酬を繰り返してはならない。

そのことをすでに私たちは学んでいるはずだ。


今日気になったこと
・SWIFTからのロシア排除。これに対し中国が反対表明
・チェコで7万人の集会。ヴァーツラフ広場(1968年「プラハの春」の記念碑がある)ウクライナとの連帯を表明。
・EU=ヨーロッパ連合は現地時間27日、G7=主要7か国の外相による緊急会合始まる。
・FIFA、ロシア国内で予定されていた国際試合の開催をすべて禁止、代わりに中立国で無観客開催。ロシアは「ロシアサッカー連合」のメンバーとして出場。

このサムネイル、毎回プーチンの顔なんだけど、変えてくれないかなぁ?

2007年から時間をかけて構築してきた和平プロセスを経て、プーチンの怒りの爆発でこの事態に至ったのだと畔蒜泰助氏(国際情報ネットワークINA笹川平和財団)がコメントしていた。感情のメンテナンスをして一歩一歩プロセスを推し進めてきたメルケル元ドイツ首相がいなくなったことは少なからず関係しているだろう。しかし正式にポジションを外れた人が居ないから、ということは侵攻を止められなかった理由にはならない。

感情と力に対して、取り巻くEU・アメリカ・中国・日本が、同じように感情と力で対応していては事態がよくなるわけがない。そして、私たちがウクライナ侵攻に対してNOを言うことは必要だが、それに乗じて相手を叩いてはいけない。


いま多くの人々が怒りと悲しみを感じている。

怒り anger
 怒りの解釈 「これは間違っている」 
 怒りの力  「明晰さ」

怒りが良いか悪いかは、その力の性質ではなく、むしろそれが指し示す意図にあります。私たちは皆、この感情が全く異なる表現をすることもできることを知っています。影の表現(シャドー表現)では、怒りは破壊的であり有害です。

私たちが影響を及ぼすことができない状況では、怒りは適切な反応ではありません。この力を悪用すると、私たちは、状況と自分の能力を誤って判断し、変えることができない状況に反応して癇癪を起こす、いわゆる「ひどい二番煎じ」を経験している子供のように振る舞うことになります。

怒りを通じて、私たちは立場を取ります。怒りは明晰さの力です。私が行動を起こすことを可能にしてくれます。

The Power of Feeling by Vivian Dittmar
訳はDeepL翻訳をベースに私の理解した範囲で言葉にしました

悲しみ sadness
"これは残念だ "という解釈で悲しみが生まれます。悲しみは、大きな深みと広がりと知恵の力です。
怒りという目標の追求に従事する健全な力の明確さとは対照的に、悲しみはかなり柔らかい立場を伴っています。自分が何をしたいのかはわかっているが、今のところそれを達成することができないこともわかっている状態。このように、「それは残念だ」という解釈には、自分が望んでいないことであっても、あるがままを受け入れようとする意志がすでに含まれているのです。
私たちは、変えられないものを、違ったものであってほしいと願いながらも受け入れる/それを変更するための力が私にあるわけではないことを知っている/私はあるがままのものを受け入れ、同時に、物事が違ったものであってほしいという私の願いを尊重する。これらが悲しみを、愛と平和の力としています。

私たちは悲しみを必要としている
- 私たちの心を開く
- 受け入れる
- 手放す
- 立場を手放す
- 己の無力さを認識し、受け入れる
- 同様に願いと状況との平和である
- 思いやりのある
- 深いところへ
- 知恵を開発する

The Power of Feeling by Vivian Dittmar
訳はDeepL翻訳をベースに私の理解した範囲で言葉にしました

■■
この半月を振り返ると、初めのころは自分の身のまわりの物の乱れに、心が揺れていた。それらを少しでも整えることで、自分の内側の声を聴くことができて、自分の内界が安定することを改めて体験した。

受検という山を越えた人やご家庭の方も大勢いらっしゃるだろう2月下旬。

一方、ロシアの情報戦から武力の行使、ウクライナの反応、巻き込まれた人々のことで、直接手が届かないけれど毎日考えさせられている。そしてここでも私は心が揺れ動く。しかしそのまま大きなうねりに絡めとられ、怒りに燃えたり、悲しみに打ちひしがれるのは、きっと違う。
どういう状態であっても自由と愛を揺るがさず生きていくことが大事だろう。身の回りの物事の整理と同じように、自分の内側の声を聴きつつ。

そして直接それとは気づかないまま、無意識に、怒りに絡めとられて攻撃的な気持ちが沸き上がることがありそうな時期。人へ攻撃が向かったり、自分へ攻撃を向けたり、そういうことがありがちだ。

一人の人間として

足元の生活、身近な人との関係、それらを整える。
自分を損なわず、自分を育て、生きていることを存分に楽しませること。
良く寝て、深呼吸をする。

ウクライナ、中国の少数民族、明治神宮の森、食品添加物、ワクチン、マスク、香害etc... を考え続けること。
祈ること。できることを行うこと。

そんなふうに3月へ進んでいきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?