見出し画像

2022年3月前半

時間間隔がますますわからなくなってきたこの半月。ウクライナとロシアの戦いは収まりそうな気配がない。日本のマンボーは3月21日で解除予定。


20220301 Tue.

ザワザワが続く期間。思いのほか2月後半のジャーナルをまとめるのに時間を要した。書きたかったのに書いていないこともあったことに気づいた。

たとえば作ったニシンの酢漬けがとても美味しかったこと。

日曜夜のスーパーへ出かけ半額になっていたニシン3尾(はらわたと頭は取ってある)に目がロックオン。塩焼きでもいいのだけれど、まもなく京都へ行くのだし、保存できるものをレシピで探して酢漬けに決めた。半身にして塩振りしてラップ冷蔵に1日。塩漬けもうまい。塩漬けしたニシンをそぎ切りにして玉ねぎスライス、つくったピクルス酢とを瓶に詰める。1日置いて実家から帰ってきて食べる。酢漬けうまい。さらに4日、京都から戻り浸かったところを食べる。いや、ニシンの酢漬け最高!

足元の、こんなにもちっぽけな幸せ。それと世界で起きていることへの思い。同じ時代を生きて、お互いがお互いの状況を知ることができる。その意味は? それぞれが生を生ききるとは?


『銀鏡(しろみ)』 という映画。

500年ほど続いている神楽の、年1回の大例祭の記録。冒頭の宇宙物理学者 晴夫さんの「宇宙はひとかけらの光から始まった、人は星に戻っていく」という話が効いている。

悠久の流れとつながっている感覚は、いまを生きるちっぽけなものにとって、救いを感じる方法だ。自己に捉われる感覚を最小限にしてくれる。

映画では、時間の流れを通じて紡がれてきた、現代の目線では見えないもの、これをつないで次へ渡す祭りを撮影している。ドキュメントとして撮っているためか、人々の顔つきがいいし、お互いがとても友好的だ。もともと協力してやってきているわけだが、きっと仲の良い人・分かり合うことが難しい人もいるのだろう。でもそれを乗り越え、皆が力を合わせて祭りの準備や練習をこなし、本番を見事に紡ぎだしていく。さらに準備する過程で重要な二人が亡くなる。そのことも強烈なスパイスになっている。夜通し踊る銀鏡神楽。宮崎県の山間の小さな集落の営みに触れる113分。

20220302 Wed.

ずっと「信じられない世界」を生きていかなければならないのか、という重しを感じる。

交戦する戦争以外に、水資源のこと、食品添加物のこと、プライバシー含めた情報のこと、いろいろと問題ばかりだと感じている。そんな目でこの世をみている。このところ「戦争」の定義を考えていた。

戦争が自由と愛が奪われる状況ならば、戦争はあらゆるところにある。人間らしい生活を出来ない状態。

戦争の定義とは何か。自由と愛、そして人間の尊厳が損なわれるあらゆる事象をなんと呼べばよいか。

ハナムラチカヒロさんの論考
2022.02.28 Updated by Chikahiro Hanamura on February 28, 2022, 18:50 pm JST


20220303 Thu.

新月、ひなまつり。京都で買った関西風ひなあられを頂く。すでに封は開いていて、今日で食べきる。関西風のひなあられは、直径1センチくらいの丸いおかき。関東はコメつぶを爆ぜたもの。京都デパ地下で文字通り漁るように短時間に見繕っているときに買ってしまったが、支払い時に気づけば「赤坂柿山」のお店。もう仕方ない。
関西風は、しょうゆ・塩・砂糖がけなど甘いだけでないところが特徴。甘辛甘辛とあとを引くパターン。まぁスイーツ好きにはなんだって理由になる。


朝の読書会。『インテグラル理論を体感する』。本日の箇所では倫理と道徳の話が興味深かった。

道徳moralは倫理ethicsとは異なります。倫理とは規則や決まり事、すなわち、特定の文化や集団において当然従うべきだとみなされている事柄に関係した概念です。つまり、その文化の中では何が良いことなのかを問題にしているのです。

他方、道徳においては、特定の集団だけが考慮されるのではなく、普遍的な理念から見れば何が「正しい」のかが問題となります。何が「よい」goodかではなく、何が「正しい」rightかが問題となるのです。それゆえ、倫理は、非常に道徳的であることもあれば、あまり道徳的でないこともあります。

『インテグラル理論を体感する』p.311

医療倫理、法曹倫理、政治倫理。そしてマフィアの倫理的な掟。これらは特定の集団、文化に帰属するもので同列ととらえることができる。倫理は、必ずしも道徳的なものだとは限らない。

そして何が道徳的に正しいか。議論をよぶテーマだ。これを道徳的知能Moral Intelligenceという知能として、この本では捉えている。

私たちが誰かを公平に扱うのは、自分がその人とのあいだに何らかの同一性や連帯を感じている時だけであるといえます。それゆえ、私たちのアイデンティティが、6つから8つの発達段階を進むなかで広大になればなるほど、私たちの道徳的反応もまた、ますます偉大なものへと変化していくことになります。

先に述べたように、こうした発達を最も単純な形で述べたものの一つが、自己中心的(自分自身のことだけを気遣う)、自集団中心的(自分の関わる集団だけを気遣う)、世界中心的(全ての人間を気遣う)、宇宙中心的(生きとし生けるもの全てを気遣う)という一連の段階なのです。

『インテグラル理論を体感する』p.310-311

要は器の大きさ。ウクライナでの戦いにおいて、2022年はプーチンの自集団中心的と見せて、実は自己中心的ではないかと思われる論理を主張している。2014年のウクライナ動乱では一体だれがどう主張したのか。ここはロシアにも、民族主義のマイダンにも、より小さな集団に立脚した主張がなされているように見える。


26日に京都から帰ってきて、気持ちも落ち着かないなか事務的手続きに時間もエネルギーも取られ、すっかり忘れてしまったことがある。スターバックスで溜まったStarを電子化すべきところ、2月28日で期限切れになりStarが消えてしまった(700円分の商品1点と引き換えられる)。まぁそれだけのちっぽけなことだが、損してくやしい。くやしいけど仕方ないなぁ。気分を切り替え、再び事務作業に集中する。


山本文緒作『自転しながら公転する』を図書館で借りて読んでいる。結構、寛一の話ぶりが好きだなぁ。都が安心するのもわかる。まだ途中だが、この二人は別れてしまいそうで、いまから残念だなぁと思いながら読み進めている。


神宮外苑の伐採について、5万名の署名を東京都に提出したとニュースで知る。この先、3月7日には高校生3人も都庁へ署名提出するそうだ。伐採だけの問題でない。次世代へ商業地区として渡すのか、大正から育ててきた神宮の森として渡すのか、その選択なのだ。


昨晩3/2、初台オペラシティにて武満徹の作品ばかりのコンサートがあった。32年前、武満徹の還暦祝いで演奏した『弧(アーク)』がメインプログラム。この曲はなんと、15分の演奏、15分の休憩中に楽器編成を変えて、15分の演奏という、効率が悪いといえばその通り。楽器の編成が大がかりで特殊なことと、楽譜による指示が厳密でなく、演奏家に委ねられる部分が多いため演奏家の自発的な演奏が試される。楽譜そのものも図形楽譜という、特殊なものだそうだ。響きや楽器の呼応が重要な要素となっているので、録音を聞くより、ホールで聴いた方が面白味がある。メロディ主体ではなく音の響きを重視、メロディは構成要素の一部として存在する音楽。

還暦祝いのときにピアノを弾いた高橋アキさんが今回も演奏なさって、指揮者はシンガポール人で世界的に活躍しているカーチュン・ウォン氏。アジア人若手にバトンが渡された記念すべき一夜だった。ホールの名前は、タケミツメモリアルホール。これ以上望むことはない。

実は、友人がオミクロン関連で上京を自粛して流れてきたチケット。稀有な場に偶然居合わせたのだ。私は武満徹の中期以降の作品はある程度耳に馴染んでいるが、今回の1960年代の作品は「弦楽のためのセレナード」程度しか知らない。だから私にとってこのコンサートはとても素晴らしい音楽体験になった。友人に感謝だ。


20220304 Fri.

ロシア芸術家の動き。個人名を挙げた連名の意見書。そして総支配人が差しでプーチンと話し合っている。これは相当な勇気がいることだろう。ここにゲルギエフも一肌脱いでくれたらなぁ。


このウクライナの人は、人間と人間の慈しみを知っている。そして行動している。尊厳・愛・体温がある。(この記事を当初Yahooで閲覧したが、いまYahooでは削除されている。)


あるウクライナ人のインタビューコメント。長いけれど聞く価値があった。このような視座の人もいるのだ。


ロシアの内側から溶けるしか、このプーチンが始めた戦争は終わらないと思っていた。上記のような動きが出てきて一筋の光明を感じる。これをアメリカなど正義の顔をした私利私欲勢力がぶち壊さないでほしいな。時間遅れにならぬよう。


山本文緒『自転しながら公転する』を読み終えた。よかった、2人は別れるわけではなかった。当初は連載され、書籍化するときにプロローブとエピローグを書き下ろしたものだという。Amazonレビューでは、書き下ろした部分はなかった方がよかったという意見もあったが、私はエピローグでの寛一の記述に安堵した。


20220305 Sat.

リモンチェッロならぬ文旦チェッロづくり。昨年、レモンを自宅で育てている某氏が作り方や出来上がった美しい色のリモンチェッロをFacebookで紹介していた。夏にソーダで割っておいしいと。つい最近も今年のリモンチェッロづくりが掲載されていてスイッチが入った。

こちらの記事は、リモンチェッロとはどういうものか親切に説明してある。リモンチェッロをお土産として初めて売り出したアマルフィの土産物店も紹介されている。2019年12月に旅行で行った場所。そのときはそうとは知らず、このお店をちらっと眺めただけだったな。惜しい。

で、リモンチェッロからの文旦チェッロ。

そういえば、毎年農家さんから直接取り寄せている文旦は無農薬。つやつやした分厚い皮を捨てるのは忍びないなぁと毎年思っていたのだから、これでリモンチェッロの真似事をすればいいじゃないか! ウォッカを買ってきて(普段買わないものだから、ちょっと強がるような気持ちになった)、文旦の皮から白い部分(アルベドという、ナリンギンという成分が食欲抑制するらしい)をそぎ落として漬け込む。文旦の果肉を取り巻く分厚い皮。白い部分がとても厚く、ここは苦みがある。試行錯誤して結局はナイフで削ぐようにした。

一度にやると怪我した手首が痛くなるので、何日かにわけて、文旦3-4個分をやってみよう。


20220306 Sun.

だいぶ左手首を使えるようになったので、硬い瓶のふたも開けられる。だから今日は新しい蜂蜜瓶をかたっぱしから開けよう。蜂蜜パーティだ。

旅行で買ったもの、最近産地直送で買ったものなど、気づけば瓶7本ほどあった。どれも未開封。ふたを開けられる喜びを感じながら味比べ。蜂蜜と一言で言っても、結構味は違うものだ。よくあるアカシアは素直な味に感じられ、それよりも栗は濃い。濃いということはミネラルなど入っているものが多いということ? シナの蜂蜜。これはシナ=菩提樹ということらしい。菩提樹はチェコを回った時に、愛されている木だったなぁ。菩提樹の木陰で遊んでいたり、菩提樹の花が咲けばその香りにみんなが寄ってきたりするそうだ。シナの蜂蜜はすっきりした甘さで、喉をこえていくときにふわっと香りが立ち上がる。素敵な感じだった。ほかにマルタ島で買ったマヌカっぽいもの、京都で買ったシチリアのレモンの花の蜜。黒パンに少しづつつけて味わった。7種類も味見すると、味覚がいっぱいいっぱいになった感じだ。


プーチンはどのような考え方をするのか。ウクライナ2014年の騒乱をテーマにした動画『ウクライナ・オン・ファイヤー』 byオリバー・ストーン

(一部残虐な映像があるためアラームが英語で出ますが、Learn moreをクリックすると動画が始まります)


20220307 Mon.

確定申告を提出。青色申告に少し迷う部分もあり、相談コーナーにて確認してからと思ったけれど、予約者が長打の列をなしているのを目撃してしまったら、こんなマイナーなことで聴く必要もないと、あっさり自分でGOサイン出した。えいっとオンライン提出。

相変わらず落ち着かない気分で、何か聴いたり、観たりしたくなる。しかし何を視聴したいのかが定まらず、行き当たりばったりな状況だ。


本日、整形外科にて骨折治療は修了。引き続きマイクロ波を照射するリハビリに来てもいいとのこと。手首の可動域は屈曲6割、背曲7割ほど。回内8割、回外6割。日常動作はいろいろ出来るようになってきたと思う。荷物を左手で一時持つことはできる。両手で椅子を運べる。コートの脱ぎ着に左手を使える。だけど、持っているつもりで皿ふきしている皿や茶碗を落としそうになる。重いフライパンは両手でないと持てない。皿洗いの後、少しして骨折した部分がしんみり痛くなる。腕立て伏せはできない。壁に手を衝くこともまだ厳しい。というわけで数か月の単位で解決を目指すことになるってことだ。
手のひらを広げると、骨折していなかった小指側の方が親指側より筋肉が小さくなっている。


落ち着かないなか、滝口竜介監督の映画二作品について解説動画を観た。どちらの映画も繊細でいいなという感想を抱き、時々思い返す。思い返すがよくわからないところ、不思議な感覚がある。これらの解説動画はマニアックに詳しく捉えている。私自身が気づいていない、あるいは消化していないことが沢山あることに気づいた興味深い解説。

『偶然と想像』解説


『ドライブ・マイ・カー』解説


映画はどんな風に味わってもよい、それが基本だろう。でもこんな風に詳細までくみ取ってみる観客がいるということは、監督や俳優さんはじめ、映画づくりにかかわる人にとってとても嬉しいことだろうな。

観客の存在は、演じる側や作り手がそのレベルを高めていくことに幾分か寄与する。実際それが成立するときと、そうでないときがある。真剣に観るお客さんに作り手は育てられる。いいものを観たいので、こっちも真剣に観る。


20220308 Tue.

神宮の森。知る限りで3つの署名活動があった。3人の高校生は昨日都庁へ行ったのだろうか? どういう対応を受けたのだろうか。

日本イコモス国内委員会が、計画の見直しを求める提言を公表しており、これは異例なことだそうだ。「神宮外苑は、公共性、公益性の高い文化的資産。都は破壊ではなく継承していくべき」と計画見直しすべきとの強いコメントを出している。

file:///C:/Users/admin/Downloads/opinion211228.pdf


ウクライナ・オン・ファイアーに続いてオリバーストーンの『プーチンインタビュー』を観る。


ニュースを観たくも聞きたくもない、動画サイトもうるさいと感じる心境。以前から好きなリヒテル(ソビエト時代のピアニスト)のピアノを聴く。

ロシアの芸術を排除したり、無視することはできない。そうしたくもない。豊かな文化を持っている。『ドライブ・マイ・カー』だってロシア文学をモティーフとして使っている。ロシアの営みがあって、村上春樹や滝口竜介らの営みがあるのだ。そうやって人間は文化をつくってきた。


20220309 Wed.

朝、夢を書き留めたあと、つらつらと頭に浮かんできたことは、自分のこと、世界のこと、身近な人や出来事。世界で起きていることに自分が刺激され単に反応しているのか。自分が長いモラトリアムの中にいて、世界で起きていることに対峙する力がないということか。何かできるのか。


多面的にウクライナをめぐる情報を紹介している。わりとコンパクトにアメリカ・ウクライナ・ロシアの立場を説明している。中国・台湾・日本についても触れている。

松田学 対談シリーズ 緊急配信!『本当は何が起こっているのか!?ウクライナ危機 現地”生”情報から分析する!』ゲスト:危機管理コンサルタント 丸谷元人氏



片づけものをしていたら、普段あまり開けない戸棚から昔買ったアクセサリーが2つも出てきた。なんだ、いいもの持っているじゃないか。こういうことが時々ある。特にこの2年。もともと私は物について忘れっぽい。そして、この20年位ひたすら前へ生活を進めて、ひたすら働いていた。そして振り返って物を整理することがあまりなかった。

ひとつは銀のネックレスで、酸化して黒ずんでいる。動画でも観ながら磨こう。春先にさっそく身につけよう。


音楽について論考が出てきた。2/25のゲルギエフがリンカーンセンターでの演奏指揮を前日にキャンセルされたことに対して、特段のコメントを出さず、プーチンに対する働きかけも見えなかった。もしかすると自分が軽率に動いて、このようなロシア音楽家排斥に拍車をかける事態を憂慮していたのかもしれない。

ソプラノ歌手のネトレプコが、自国の批判を強要することは出来ないと述べているそうだ。もっともだと思う。出演機会はしばらく減るのはやむを得ないように思う。しかし、ロシアの芸術家を排除することが目的ではないし、永遠に排除することは無益だ。復活する機会をいまから見据えてどのように和解するのか、準備すべきだ。


忌野清志郎の歌を聴きたい。彼は平和が崩れることも見据えた歌を歌っていた。RCサクセションが流行っていた当時は聞いていなかったが、彼が亡くなる少し前から時々聞くようになった。

そんなことを思い浮かんでいたら、ラジオで、岩崎宏美さんが清志郎さんとのエピソードを話しているのをたまたま聞いた。


『進化の構造』読書会にて、
宇宙<銀河<太陽系<ガイア<家族<人間集団<地域、民族<国家
という図式で、人間が進化するときに、その前の段階を越えて含められないと、その先のステージはうまく進まないのだという。例えばいま人間の活動により地球環境が危機的状況にある。人間がそれまで基盤としてきたもの=ガイアを統合できないと人間が滅びるという。ガイア(地球)は残るが人間は滅びる。それが理。

つまり環境問題に関して、自分たちが自然を壊している、だから自然を守りましょうという、弱き自然を人間が仕切っているかのような理解。しかしそれは本末転倒で、自然が壊れきる前に人間が滅ぶことになるのだ。


20220310 Thu.

夕べ出た話を朝読書会のメンバーにシェアした。そうしたら、ここはここで別な方向へ盛り上がった。
宇宙<銀河<太陽系<ガイア<家族<人間集団<地域、民族<国家
今度は国家の方向へ。

人間集団以降を詳しくみると
生存のための集団<部族的集団<封建的帝国<初期の国家<法人型国家<価値の共同体<ホリスティックな共有空間、と進んでいくと整理されている。

いま資本主義をとる民主主義国家は、法人的国家といえるのかもしれない。今現在まだ封建的な国家もある。バラバラに各々の国を営めるうちはよかったが、地球全体がつながって世界をなしている今、各国の状況をうまく統合して含んだ仕組みをつくらないと、どこかにひずみが出てしまう。進化した国も統合できなさ故に崩れていく、という話になる。

いま国家という概念がひとくくりにできなくなっている。

思い返せば、昔もそうだったのだ。それは農耕や狩猟をしつつ定住する生活と、流浪あるいは遊牧生活との違い。定住生活からは国家が出来たが、遊牧生活する民族を国家というくくりで吸収しきれていない。おそらく今の国家という形に何か無理があるのだ。あるいは、より成熟した仕組みを見出す可能性がある。

チンギス・ハンが昔は成功していたが、いま現在、アフガニスタンはうまくまとまらない。中国やモンゴルの少数民族もそうだろう。国家という仕組みが、遊牧民族やその文化を持ちうる人たちをうまく統合していない、と考えることができそうだ。

民族でまとまった営みを行っていたところ、人工的に国境を設定されたアフリカでは、帝国主義的な欧米の動きに妥協しつつ、さらなる未来へ向かって現実的な適応をしたのだ、とスピーチしたのが2月21日の国連でのケニア キマニ国連大使。

国家という概念をもう一度考えないとならない。少なくとも、国家という枠組みですべてを語ろうとすることは難しくなっている。

英語で国を表す言葉は3つある。
土地に根差した国 Country :「国」の意味を表わす最も普通の語で、国土を意味する

民族に根差した国 Nation :国民に重点を置く言葉。ナショナリズムにもつながる

政治に根差した国 States :政治的状態としての「国」。厳密には、領土があり、国としての政府・統治機構があり、主権を有する存在のことをstate、つまり「国家」


Oliver Stone‘s The Putin Intervewsを観る。

今日はシリーズのなか4つ目、最後のエピソードに到達。

4エピソード、約4時間、510円。プーチンは政治家として、戦略もあるし、記憶力がよく過去含めて情報が頭に入っていて、良くも悪くも自分で判断してきた人物だということが伝わってくる。オリバー・ストーンの質問は核心をつき、答えがずれれば再度衝いている。2015年から2017年までのインタビュー。

・自分が大統領を離れた後、あるいは、死んだあと、どうやって身を守るか・家族を守るかが大きな課題

・冷戦後、ロシアはひとつの主権国家として各国と対等に付き合おうとしてきた。そのため新しいパワーバランスにおける提案もしてきた。が、それは検討もされない場合が多く、対等な付き合いというものが叶っていない。

・何年もやってきたが、それでも欧米がそう出てくるのなら、自国は自国の利益のために戦略的にやるぜ。

インタビューのなかで全て真実を語っているとは思えないし、語っていない重要なことがあると思う。が、哲学と戦略をもって主権国家として政治に取り組んできたことに自負があり、ロシアの地位を高めようとしてきたことが伝わってくる。(日本のことは、主権国家とは思っていないようだった。アメリカの属国という意識か)



ウクライナの人々の映像、爆撃された病院や、ママが・・と泣きじゃくる男の子、バスに向かっている家族や、地下で歌をうたった小さな女の子。こちらの胸も辛くなる。

77年前の今日。東京で、とても効率的な計画で、日本家屋に適したナパーム弾が大量にばらまかれた。春先の風の方向まで計算された作戦で、囲むように火の手があがり、炎から人々が逃げ惑う。逃げ切れず着物や髪の毛が燃えだして苦しむ人。その人たちの無念さに辛くなる。私の父は4月の空襲を何とか生き延びた。

どちらも戦争だ。時間の差は77年あるけれど、人間の歴史からすればちょっとの違いだ。地球の歴史からすれば瞬きほどの違いだ。ほとんど同時代に起こったこと。

日本人は、こういった経験を直接・間接にしているのだから、何か平和に関して役割があるのではないだろうか。ウクライナ戦争・77年前3月10日の東京大空襲・11年前3月11日の東日本大震災。私たちが旗をあげることで、少なくとも他の国にいる同じ思いの人が勇気づくのではないか。

いまこの現実に私が直面していることから、何が学べるか、何を読み取るか、どう行動するか。ひとつひとつの出来事がバラバラにあるのではなく、共通したものがあるように思う。


ラジオも動画も落ち着かないし、読むべき本にも集中できない。スーツ交通の動画で、自転車で東海道を下る様子をみながら、手持ちのアクセサリーの掃除をした。
手仕事は、比較的誰でも心が落ち着く作業かもしれない。色鉛筆で「大人の塗り絵」をする人もいる。プラモデルづくりも同じような効果があるのかもしれない。

アクセサリー掃除の概要:高校や大学のころから持っている古いものや、仕事しながら楽しみに購入したもの、旅行先で買ったものなど。黒ずんだ銀細工は、お湯と重曹を混ぜたものに浸して、やわらかいタオルで拭きとると光を取り戻す。金メッキは、お湯に中性洗剤を混ぜたものに浸して、歯ブラシを何度か往復させるとある程度綺麗になった。

アクセサリー全てを出してみて、もう私には似合わないけれど使えるものを仕分ける。物々交換か寄付しよう。修理が必要なものがあるので、修理の店を探そう。使えるものはどんどん使おう。


経緯がよくわからないけれど、消えたと思ったスタバのrewardが復活した。システム上のトラブルが起きているとのアナウンスはあったけれど、自分の記録との関わりがあったのだろうか。理由はわからなくても、ポイント復活は小さな嬉しいこと。はなはだ得手勝手な。でも喜べばいい。


20220311 Fri.

12年前を同じ金曜日となる3月11日。東京大空襲の翌日が、東日本大震災と福島原発事故の日。14:46黙祷する。


大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院(字幕版)2時間49分
ひたすら静かな世界。最も厳しいスタイルの修道院、フランスにある。

なんとなく気になって観たビデオ。自分の話だった。

NYでフォトグラファーとして活動し、時々俳優やモデルの仕事も声がかかる男性52歳。生活コストを下げるために家を持たず、とあるビルの屋上に不法に寝泊まりし、生活用品をスポーツクラブのロッカーに置いている。数年前からホームレスの生活を選んでいる。
家・定職・恋人、母親の期待に応えることなど、あきらめた。大学を卒業し頑張ってきたけれど、人生に満足していない。一体どうして? 何か間違えたのか、判断を誤ったのか、人生の迷子になっている。

彼が何を求めているのか、本当のところはわからないけれど、社会的な名声を求めつつ、その勝負の源は自らの感性とセンスと業界知識と人脈。しかしNYのファッション業界は、競争が激しく、ルールメーカーが好きなようにモデルやカメラマンを消費できる世界だった。

これはドキュメンタリーなのか。本人は悪びれもせず堂々と、これが自分の人生だとさらけ出している。時に溢れる涙も隠さない。自分を憐れんでいないなら仕事を探せ、部屋を借りろ、という友人の声が正しいアドバイスなのだろう。それもわかっている。それでも一生懸命やってきたのに、どうしてこうなったのだろうと思う。

私も迷子だ。そんな怖れが立ち上がる。

私の場合、日々を生きているようでチャレンジをしていない。形だけ大丈夫ですという恰好を装っていて、大丈夫だと思おうとしているのかもしれない。きっと周囲からはバレバレである。死なないように生きているのかもしれない。

何か目標を定めてコツコツ具体的に積み上げているのとも違う。実際、社会的な要請にこたえてもいないし、要請などない。
このまま死ぬと、やり終えていない感覚がして、生に執着しそうだ。そうでなく、思い切り生きたと思って死にたい。


11年前の3月11日金曜日
職場にてPCに向かって仕事をしていた。長い揺れが続き、その長さに皆が驚いているうちに、可動式の書庫がレールの上をがーっと音を立てながら右へ左へと動いた。19階にあるオフィスで、揺れに伴い大きな重い書庫が動いていた。誰かがストッパーを止めて書庫を固定した。誰だったのだろう。的確な行動だ。
帰ろうと思えば帰れたけれど、職場のメンバーもいることだし、その日は職場に残ることにした。夜、食堂のテレビがついていて、陸前高田などの津波映像に度肝を抜いた。

あれは日本にとって「喪失体験」だった。あのとき、東北の人たちには言えなかったことだけれど、日本人が皆、何等かの喪失を感じたときだ。阪神淡路・中越・北海道・熊本のときもそうなのだ。

2011年から11年、私の人生にもいくつかの喪失が起きた。
いま世界中で喪失を体験している。

日本にとって、
・沖縄戦:民間人も軍人も、殺されたり自死を強いられ大きく傷ついた。
・広島・長崎への原爆投下:核爆弾により建物も人々も一瞬にして大きく傷ついた。
・東日本大震災と福島原発事故:津波により根こそぎ生活を壊され、核爆発で東北の山林や海を汚して大きく傷ついた。

このような体験をしている日本人には、世界へ向けて何かできることがあるのではないか。言えることがあるのではないか。望むことがあるのではないか。


本日参加した読書会にて、やはり戦争の話は出てくる。投影について・戦争について。

投影は、それがネガティブに発揮されるとき、自分のシャドー(劣等感やコンプレックスなど)を自覚せず、なおかつ他人の中にそれを見出して攻撃する。投影の結果、不安・自己嫌悪・相手への攻撃・感情の爆発が生じる。対人関係のみならず、国と国の間では争いとなる。

ユング 
第二次世界大戦が終わった後の1945年のTVインタビューで、
「人類は、起るかもしれない(核兵器の使用も想定される)第三次世界大戦を回避できるか?」という質問に対して。

ユングが語った言葉。

「それは、私たちが自分とは異なる意見を持つ人との緊張に、どれくらい耐えうるかということにかかっています。その緊張に1人1人が耐えることができれば、留まることができます」


マハトマ・ガンジー 
1940年にナチス・ドイツ軍がイギリス本土に侵入しようとした時、イギリス国民への助言

ガンジー「持っている武器を下に置いてほしい。武器はあなた方を、ないしは人類を、救う役には立たないのだから。あなた方はヘル・ヒトラーとシニョール・ムッソリーニを招きいれることになるだろう。あなた方の国、あなた方が自分たちのものと称している国から、かれらは欲しいものを持っていってしまうだろう。もしこの紳士たちがあなた方の故郷を占領したなら、あなた方は立ち退くことになる。もし、かれらが脱出を許さなかったなら、あなた方は男も女も子どもも、虐殺されることになる。しかしあなた方は、かれらに忠誠を尽くすことは拒むだろう」

不服従はするが、無抵抗はできるだろうか。武器を一旦使い始めれば、泥沼になる。バルト三国のような人間の鎖はうまくいくのだろうか。

少なくとも対話することをあきらめてはならない。対話において、どれだけ異なる意見へ耳を傾けられるか、他人の靴を履いてみることが大切だ。これしかない、という場面は危険すぎる。

日々のニュースが白々しく感じられる。アメリカの議会や政府でのコメント、西欧の対応、日本の政治家のコメント。戦争終結や、一時中断に結び付くようには思えない。


イギリスのウィリアム王子が「第二次大戦以降、初めての悲惨な戦争」と述べたと。”ヨーロッパにおける明らかな国家間の戦争”という前提が明らかならばそう言えるのだが、第二次大戦以降、ベトナム戦争もあったし、イラン・イラク・アフガニスタンで戦争があった、ルワンダでも民族の争いがあった。第二次世界大戦以降悲惨な戦いは何度もあった。わかる、ウィリアム王子の感慨もわかる、わかるよ。でもその発言によって中東・アフリカ・アジアで起きたことは何なのか、という疑問を人々に湧き起こさせてしまった。


4月から7月にかけて、いくつか遠方でのプログラムや旅行を検討中。自然のなかに入って身体を動かしたい。


20220312 Sat.

ロシア音楽、ロシア文学、ロシア料理、他にもかわいい文具デザイン、ポスターも印象的。ロシア映画。それらをないがしろにしてはいけない。

プーチンについての単行本が、ウクライナについての本とともに本屋で売れているようだった。知ることはいいこと。ロシアやプーチンについての動画や資料をSNSで紹介していた人が知り合いから忠告されたようだ。「あなたはプーチンの考え方に毒されているのではないか」という趣旨で。その人は「そうではない、あらゆる情報を集めているのだ、ものごと各方面から見ることが必要だ」と答えていた。

敵性音楽は禁止と、太平洋戦争にて英語や音楽を禁止した。いま放映している朝ドラ『カムカムエブリバディ』にも出てきた場面だろう。その愚かさに通じる。

ピロシキを食べよう、ロシア料理店を助けよう、いじめるのはやめよう。

ロシアの狡猾さ、プーチンの考え方、それを単にずるいと片づけるのでなく、そこから学び、北方領土の打開策を考えるくらいをしてもいいのではないか。


20220313 Sun.

鎌倉のうぐいすは、ほぼ上手に歌えている。調子が出るまでウォーミングアップとして「ケキョ、ケキョ、ケキョ」と妙に長く続けているがちゃんと「ホーホケキョ」と歌えている。

ニラが庭のあちこちに生えていて成敗するのに手を焼いている。芝生部分はまだ葉だけ、花壇部分は花が咲いている。うす紫の綺麗な花が沢山咲いていて美しい、だが我が家としては取り去りたい。地中7-8センチのところに球根がありそこから葉を伸ばしているので、見逃さずに球根を取らねばならない。


20220314 Mon.

なぜこの状況を私たちは体験しているのだろうか。

朝から頭痛がして楽しみにしているお出かけなのに、いつも以上にぼんやりしている。友人と横浜でおいしいランチ、気づけば2時間近く経過しており、横浜郊外のアンティーク倉庫で見繕い戻ってくるまでさらに1時間半。楽しいのに、後半はお腹が膨れすぎて頭がぼんやりしている。

ポンコツ状態でゆっくりしか話を繰り出せないことを残念に感じつつも、対話できる喜びを感じる。知人間での投影から起きたこと、真に生きているとは自分にとってどういうことか、既存の価値観に縛られず自分の軸で生きていく感覚とはどういうことか、等々。こういう話をできる相手に恵まれていることに感謝。


20220315 Tue.

原宿駅近くから表参道を歩いたら、春休みの10代が増えて休日かのような人出。気温も暖かくて春のコート、短いジャケット、ミニスカに長いブーツ、白、モスグリーン、黄色、淡いピンク、カーキのトレンチコートなど。

春は苦手だ。毎年春は、代謝が悪くなり身体の浮腫みをうまくコントロールできない。苦みがあるものを食べて身体を動かせばよいと言われるが、やっていても量が足りないのかタイミングが合わないのか、好転したと思える年が少ない。


全く事態の収拾が見えないウクライナでの戦争。最終的にプーチンだけを悪者にして終えるのではなく、彼には生きたまま、この事態に至った判断基準や掴んでいた情報など証言を引き出して、次なる世界の調和のために役立ってもらいたい。どの国が偉いとか一番だという世界ではなく、それぞれの国にそれぞれの特性があり、それを生かしていく世界だ。

過去20年以上もロシアを代表してきた人が情報を持ったままこの世を去ってはブラックボックスが大きすぎる。プーチンがこの事態の引き金を引いたことは確かだ。だからその点でプーチンが悪い。

しかしそのようにプーチンが振る舞うに至った過程には、西側諸国も絡んでいる。先進主要国になりたかったロシア。安全保障理事国の一員であったにも関わらず一人前とレスペクトされていると思えなかったプーチン。その力学を検証し、ほどくことで、次なる安定を生む必要があるのではないか。

米露冷戦が溶けた後、アメリカが世界の警察、中国の台頭ときた。いつもGDP第一位はどこか、軍備の順番などで強い国を決めてきた。
これからはどの国が一番というパラダイムではなく、国ごとの特色を生かした(八百万の神的な・・・という表現は日本でしか通じなさそうだ)多様性を生かした国際社会を創る時代に入っていくことを望む。それを日本がファシリテートしていけたらとても嬉しいことだ。


revised without changing the purpose of the text at March 17.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?