【白血病再発】死ぬもんか ~生きるための購入代金支払い~

こんにちは、ポロロンめがねです!

また1ヶ月ほど空いてしまいましたが、おかげさまで忙しく過ごしておりました。

まず、今後の生活について考えました。
彼女はメンタルの病気も持っており、更に僕の看病までしなくてはならず、到底のこと二人の生活を支えるだけの安定した仕事ができる状況にはなく、僕自身も白血病の髄外病変による再発で、安定して働くことは困難であると。
再発するまでは、あくまでも社会復帰して、発病前の生活を取り戻すことを目標としていましたが、前回の記事にもある通り、今はそれが目標ではなくなりました。
クオリティーオブライフを優先して、やれることをやれるうちに。
まずは今あるお金を有意義に使って、来るべき生活保護を受けながらの生活に備えることが最優先事項となったのです。

そのためにはまず、引越が必要でした。
これまで借りていた部屋は、家賃が高額であり、僕たちの住む地域の2人世帯における家賃補助の上限額を越えてしまっていたのです。
ここで二つの選択肢がありました。
一つ目は、少し先にある市営住宅の公募にかけて、それまでかなりの節約をしながら過ごす。(この場合、うまく行けば引越にかかる費用も生活保護費から出して貰える可能性あり、ただし抽選漏れしたら絶望)
二つ目は、なるべく早い段階で良い条件の物件を見つけて先に引越の心配を取り除き、残されたお金を生活保護を受給し始めたらなかなか捻出できなそう且つ必要と思われる所に充てる。

前回の記事では市営住宅応募も見据えてパートナーシップ宣言もしたと書きましたが、その記事を書いた翌翌日の先月8日には、なんととある物件の内見に行ってきました!笑
家賃は上限ギリギリで、駅まで徒歩圏内、広さもこの地域でこの家賃では他に1つとして出てこないくらい広く、非常によい物件であったため、即決で申し込みをし、住んでいるアパートは解約手続きをしました。
事前に市役所の地域共生社会推進室に相談に行き、行政と直接連携している不動産の会社にも協力頂けたこともあってか、今後生活保護受給となることも伝えられた上で審査も通ったので、まずは一つ目がクリアとなりました。

引っ越し先が決まったことで、引越の費用や時期が明確となり、残された時間とお金で次にすべきことを考えました。

因みにもう1つ、初出しの内容なのですが、転院というイベントもありました。
神奈川県立がんセンターは移植治療を前提とした病院であり、以前記した通り、僕の場合は移植せずに化学療法のみで治療していく道を選んだので、転院は必須となっておりました。

これらのイベントを短期間で、体調にも考慮しつつスケジューリングする必要がありました。

まずは、ゲッターズ飯田さんの日毎の運気の本を見ながら、管理会社との引越の手続きや運び出しの日を決定しました。
引越は28日(水)に決まりました。



転院については、12日のがんセンターの診察を最後として、それ以降の毎週水曜日に転院先の初診を受け付けているとのことだったので14日(水)に滑り込もうとしましたが、その日はもうすでに予約でいっこぱいとのことでした。
翌週は旅行、翌翌週は引っ越しと、どうしても水曜日だけは都合がつかず、やむを得ず初診は少し先の7月5日(水)になりました。

予定が決まってからは大忙しでした。
引越しのパッキングや各種手続きはもちろんのこと、かつてDIYした棚を解体したり、ベニヤにブライワックスを塗布したお手製の飾り壁を剥がしたり。

そうこうしてる間に、徐々に進行していく右足鼠径部(そけいぶ)の髄外病変を気にしつつ・・・。

実は、副鼻腔付近の髄外病変は放射線治療でかなり縮小したため、快適に過ごせていたのですが、鼠径部にも髄外病変が存在していました。
以前がんセンターでPET CTを撮ったときにはすでにあったため、いつからあるのか詳細は不明ですが、とにかく先月位から症状が徐々に出始めました。
はじめは膝より下がなんとなーく痺れてるような症状を感じはじめ、そのうちそれが吊ったときのようなピーンと張る感覚を伴い始め、連続して仰向けで寝ることができなくなってきました。
次第に張るような感覚が太ももにまで上がってきて、地面に座る姿勢(あぐら、体育座り、伸ばすなど座りかた問わず)が取れなくなり、階段の上り下りやスクワットのように膝を曲げて太ももに力を入れることが徐々に出来なくなりました。

でもやられてなんていられない!
彼女とのこんなに楽しい幸せすぎる時間を
「これが最後の○○かな」なんてしたくない!
箱根以降行けてない、旅行にだって行きたい!


僕自身も音楽クリエイターとしてある程度稼げるように努力もしつつ、彼女の個人事業を最大限に手伝って、どうにか生活保護を抜け出して自分たちの稼ぎで生活していけるようにならないといけない!
つまりは病気にやられてなんていられない!


人生で始めて白血病になって、たくさんの辛い治療を乗り越えてこれたのは、『また発病前と何変わらない、元の生活に戻りたい!』という目標があったから。
だから、一時的に生活保護を受給したりすることもなく、両親に無理言ってお金を借りながら、どうにか引っ越もせずに、意固地になって元の生活を維持し続けてきました。
そして現に、数ヵ月の期間ではあったものの、元々勤めていた会社で社員として復帰し、働くこともできたのです!
だから、もう満足。
一度元の生活に戻ることができたので、次は長く先の見えない治療の基盤を安定すべく、生活保護を受給することになんの抵抗もないし、それがあるべき姿だと思いました。

話がそれますが、7月1日、実家の父親が脳室内出血で倒れたとのこと。
突然のことで当然に母は落ち込んだ様子でしたが、話していくうちに僕自身が白血病と診断されたときのこと、また、それからどうやって治療を頑張って来れたのかといったことを考えていました。
僕が頑張ってこれたのは、社会復帰をして、彼女と二人で楽しく仲良く暮らしていくことばかりを考えていたからでした。
そしてそんな考えをリードしてくれたのは、紛れもなく彼女でした。
今は何かと大変な時期で、目の前のことに囚われてしまいがちでしょうが、『お父さんが元気になったら一緒に○○するんだ!』って、お母さんがお父さんに生きる希望を、生きるための目標を与えてあげられれば、お父さんのリハビリの質も変わってくるんだと思う。
母にはとても言えないけど、もう親の世話にはならずに、生活保護を受給しながら生きていくと決めたこのタイミングでの父の病気は、なにかを物語っているような気もしました。
僕自身は、『彼女と一緒に旅行に行く!』という新たな目標に胸に、今後の治療を頑張っていきたいと思います。

さて、その後の僕の具合はというと、引越日まではびっこ引きながらどうにか荷物を持って歩くことも可能な位で、最低限の引っ越しはできました。
ただ、まだまだ引っ越し後の片付けや旧居の掃除、デリケートな荷物の運び出しなども残る最中、7月に入るといよいよ限界を迎え始めました。
太ももに力を入れることが更に難しくなり、家の中や平坦な道を歩いているだけでも、かなりの頻度でつまずくようになりはじめました。
そして、翌日に初診を控えた4日の朝起きてすぐ、ベッドの中で右下肢の突っ張るような激痛に襲われついに座れなくなりました。
彼女に救急車を呼んでもらって、転院予定としていた市民病院に搬送されました。
数日間検査の検査の後、坐骨神経痛なども考えられたものの、やはり鼠径部の腫瘤が全ての根元である可能性が高いとのことで、本日からは、今度は鼠径部の放射線治療に入っていきます。
尚、運ばれた日から先は、自力で直立することも困難で、右足を常に曲げていないと突っ張るような酷い痛みが走ります。
また、7日の夜からは仰向け、横向き等問わず、いかなる寝姿勢を取ることができなくなってしまい、椅子のような、足を腰の高さよりも下ろせる所に座りながらの就寝を余儀なくされています。
この痛みや、オキシコドンの副作用により、一日中ボーッとした状態にも関わらず寝付けず、また、吐き気や便秘などの症状にも悩まされています。

彼女の方は、僕が急で入院してしまったため、最終的な旧部屋の片付けや、新居での部屋作りなどなど、たくさんのやることを残してしまいましたが、8日には無事、大きなダメージも見つからずに旧部屋の退去に伴う立ち会いもこなしてくれました。
また、途中まで二人で相談に行ったりと進めていた生活保護についても、申請まで進めてくれました。
まだ入院してすぐなのに、休むことなく頑張ってくれてて心配になってしまいますが、今はなるべく心配をかけないように、僕自身は一日でも早く回復していけるよう勤めたいと思ってます。

ところで、前回の副鼻腔の放射線治療は非常にうまく行きましたが、今回はどうなるでしょう?
髄外病変の腫瘤自体は放射線でかなり縮小する見込みがあるそうですが、一度圧迫された神経がすぐに戻るかについては特定の評価方法があるわけでもなく、自分的に良くなったかどうかということらしいので、今回もよく効いてくれと願うばかりです。
まずは、横になってぐっすり寝たい。
そして身体のことを気にせず、新居の部屋作りを一緒にやっていきたい。

今回は1ヶ月の流れを駆け足で説明するだけになってしまいましたが、また詳しく書いていけたらと思っています!

あ、あとplugin boutiqueで奇跡の無料配布してたMdynamiceqも早く使いたいです。

それではまたー!

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