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難病・障害と生きる

初めまして。ぽつぽと申します。

私の障害や難病、職歴、資格取得遍歴を書きました。

同じように病気や障害に苦しんでる人やそのご家族や支援者の参考になれば幸いです。

ありのままの気持ちや経験を率直に記載しているため、一部不快な表現があるかもしれませんが、ご理解の上お読み下さい。

よろしくお願いします。


障害と難病について


①難病(神経線維腫症1型のStage5)
先天性の染色体異常で発症します。そして私はこの難病のステージ5であり、「最も病状が進行し、日常生活に大きく支障がある状態」です。

小学3年生の時に初めての手術をしてから、何度も手術を経験してきました。術後は傷口が痛く、特に小学生の時は痛みで眠れなくなり、辛かったです。手術を繰り返し過ぎた為、皮膚の再生力が低下し、現在は手術を見合わせています。

また私の場合は骨が変形してしまい、身体障害もあります。それにより膝や腰に痛みがあり、そのことから医師より「スポーツは控えた方が良い、もしやるなら水泳にしなさい」と指示をされました。私はスポーツ(特に球技)が好きだったので、ショックを受けました。

ただ医師の指示を無視してテニスなどのスポーツをしています。しかし、能力的に健常者の様なパフォーマンスは出せないと感じています。

さらに全身に腫瘍ができてしまい、痛みがあります。腸や骨盤内に出来た腫瘍は、下血や血便の原因となります。それにより慢性的なめまいや疲労感があります。

またこの難病は、腫瘍が悪性化(癌のようになる)することがあるので、定期的に精密検査を行っています。

②見た目に関する問題について(いわゆる見た目問題)
難病は見た目に関する問題についても、深刻な影響を与えます。体中に無数の腫瘍が出でき、かつカフェオレ斑と呼ばれるシミが出来るからです。

見た目に関する問題は自信を著しく喪失させ、生き方や考え方に悪影響を与えます。

③発達障害(ASD、ADHD)併発
子供の頃は、場面緘黙症(選択性緘黙症)やチック症に悩みました。学校のイベントでは突然固まってしまい何も出来なくなる事がありましたが、誰からも理解を得られず苦しみました。また遅刻する、忘れ物をする、板書が出来ない等の症状があり、学生生活を送る上で多くの困難がありました。

周りの人から理解を得られない事が辛かったです。もっと早く発達障害の診断を受けていれば、自己理解という意味でも他者からの支援という意味でも、状況は変わっていたのではないかと思います。

④統合失調症
私の場合は、監視されているという緊張感、誰かに追われる、馬鹿にする声が聞こえるなどの妄想や幻聴が症状です。追われていると思い込み、逃げ回って全く知らない駅にたどりついてしまったこともありました。

⑤気管支喘息
私の場合、特に寝る前に咳が止まらなくなくなることがしばしばあります。

⑥その他の病気
その他にも、突発性難聴、顔面神経麻痺、過敏性腸症候群などになりました。

生まれつき病気のせいか、身体が弱く、悲しくなります。

私の職歴

現在の職業
障害者雇用(4年目)

以前の職業一覧
介護職・介護支援専門員(11年)
スーパーマーケット店員(1年)
寿司職人(1年)
コンビニバイト(1年)
ゴルフ場バイト(2か月)
など

職業についてのエピソード
私はもとは料理人になりたいという夢があり、調理師専門学校を卒業し、ホテルで寿司職人として働き始めました。しかし難病が悪化してしまい退職をしました。その後、イタリア料理店や懐石料理店などでも働きましたが、やはり難病が悪化しました。

私の難病では体力的に料理人は無理なのだなと思い夢を諦めました。

その後、スーパーで働いたのちに、介護職員として11年働き、介護支援専門員にまでなる事が出来ました。しかしここでは精神病が悪化してしまい、精神科の閉鎖病棟に入院することになり退職しました。

学生時代のアルバイトについて
学生時代はコンビニエンスストアやゴルフ場のアルバイトを経験しました。

私にとって仕事は、難病や障害の影響があり常に困難でした。

就労移行支援事業所での経験

就労定着支援事業所での訓練内容
私は精神科閉鎖病棟を退院した後に、就労移行事業所に1年ほど通所しました。

私が通っていた就労移行支援事業所では、プログラムが細かく決められており、パソコン訓練、オフィス訓練、グループワークなどを行いました。それらは現在の職場でも役立っています。

また他の訓練生たちとの交流からも多くを学びました。何人かの訓練生とは友人となり、今でも定期的に会って楽しい時間を過ごしています。

就労移行支援事業所で学んだ大切なことは、他者を信頼し、適切に頼ることは、恥ずかしいことではないということです。困ったときは、適切に他者や社会に助けを求め力を貸してもらう、一方で自分の貢献できることで精一杯貢献していけば良いと思いました。それが共栄であり自立です。ひとりで何でもこなそうとするのは自立ではなく孤立です。

障害者雇用の就職活動について
就職活動は半年で、5社目で就職が決まりました。私が面接で企業に対して最もアピールしたことは、就労移行支援事業所を1度も休まなかったこと、また遅刻や早退をしなかったことです。障害者雇用では安定して就労できることが重要ですので、良いアピールになったと思っています。

就労定着支援こぼれ話
精神科閉鎖病棟入院や就労定着支援事業所通所を経て再就職が決まった時は、感慨深いものがありました。本当に支えてくれた方々のおかげだと深く感謝しました。

また初給料で祖母にプレゼントしました。祖母がとても喜んでくれたので、凄く嬉しかったです。その思い出は、私の宝物です。生涯忘れることはないでしょう。

障害者雇用や就労移行支援事業所で悩むこと
障害者雇用や就労移行支援事業所で悩むことは、私の場合、2つあります。

1つ目が、簡単な事をやらされる事が多い点です。物足りなさや虚しさをを感じる事があります。

2つ目が他者尊重が難しいということです。同じ障害を持っている方たちと一緒に仕事をすると、「私だって障害があるのにあの人ばかり楽をしている」という感情が沸きあがることがあります。また障害の特性が衝突することもあります。

これらは私の課題でもあり、他者の課題でもあり、また社会の課題でもあります。難しい課題ですが、考え続けていきたいと思います。皆が生き生きと活躍できる世の中になったら良いなと思います。

人生について考える

困難の多い人生
これまで述べてきたように私の人生には多くの困難がありました。

私の難病は片親が当事者の場合、子供に50%の確率で遺伝します。私はこのことから子供を持つことを諦めました。私は幼い頃から子供が大好きで、親戚の子供の面倒を良く見ていました。皆から「将来は保父さんが向いてるね」と言われていました。自分の子供を持てないショックは計り知れず、一時期は毎日泣きました。生きている意味を完全に見失い、何もかもやる気が出なくなり無気力になりました。

今はそれをようやく乗り越えつつあります。ただ悲しい気持ちが消えることはありません。

楽しいこともある
辛くても苦しくても、働いて、その賃金で趣味を楽しんでいます。友達や家族と素晴らしい時間を過ごすことも出来ています。

好きな事は、音楽鑑賞、読書、美術鑑賞、生け花、料理、テニス、ピアノ演奏、カラオケ、散歩、猫や犬と遊ぶこと、お酒(ワインやビール)、コーヒー、などです。

また最近は音楽や美術、文学、科学、医学、など様々なことを学び、文章としてアウトプットすることもしています。それらの文章をAIに校閲させ、完成度を高める作業もしています。

私は、様々な寄付活動をしています。募金箱があったら寄付をするようにしています。特に障害や難病のある子どもたちを支援していきたいです。その他、地元の保護猫団体に定期的に物品を寄付しています。私は子供の頃、ボーイスカウトで様々なボランティア活動を行いました。そういった活動にやりがいを感じていました。他者の役に立つことが、私にとって大きな喜びです。

障害や難病があっても誰かの役に立つことができます。出来る範囲で、継続的に、誰かの力になりたいです。

これから挑戦したいこともあります。例えば社会学や日本の伝統文化を勉強したいです。

障害や難病があっても、好きなことを楽しんでいきます。また、微力であって、他者の力になれるように考えて行動していきたいです。

資格取得遍歴

資格取得を頑張ってます。今までに取った資格を表にまとめました。よろしければご覧ください。

資格一覧表


あいさつです

読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。皆様にとって、少しでも参考になれば、私としましては望外の喜びです。

それでは、皆様の健康と幸せを祈っております。

以上です。