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福島出身大学院生による福島FS〜1日目午前編〜

出発

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ここからが本編である。新白河駅でレンタカーを借りてFSの幕が開ける。
自分でも何が起こるか、予定通りに行くかわからなかったが、心の中には楽しみだという気持ちとワクワクという気持ちと若干の不安があった。

今回は本来のFSと異なり、「一人」で回ることになる。本当だったらたくさん写真を撮ったり外の風景をじっくり見たかったが、中々それができないということに出発直前になって気づいた。その中でも止まれるところは止まってじっくり見ようと考え、その場その場での対応をすることにした。

3月8日午前8時17分出発。

コミュタン福島ー福島県環境創造センター交流棟ー

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まず最初に訪れた施設は「コミュタン福島」である。三春町にあり、敷地もかなり広く感じられた。ただどこで曲がればいいのか分からず、若干迷いかけた。

交流棟に展示があるということで、一番右側の建物に入ることに。入場料は無料。館内はかなり綺麗で、入ってすぐ右手には著名人のサイン色紙が飾られてあった。館内は基本的に撮影可能で、動画の録画録音等が禁止されていた。私も展示品のいくつかを写真に収めたが、皆さんにはぜひ目で見てほしいということで敢えてここでは多く掲載しない。

館内は白が基調になっており、入ってすぐ目の前には小さなスペースが設けてあり、動画も流れていた。奥には売店があり、フリーペーパーやお土産が置かれていた。

そしてついに展示である。館内は6つに分かれた展示がされており、番号順に順路となっている。映像もあるということで、時間が限られている中ではあったが折角なので視聴してきた。

まず1つ目は、入ってすぐ10〜15分程度の映像を見るスペースがあり、そこには震災直後の新聞が並べてある。当時の新聞がそのまま残ってみることができたのは、改めて当時を振り返るいい資料であった。横一列に並べてあったため、流れを追いやすかった。映像が始まるまでに新聞を読んだが、当時の記憶が一気に戻ってきた感じがした。いつも震災の映像や写真を見たり語ろうとすると、心拍数が上がり、顔が火照り、少し緊張した感覚に陥る。そんな体験をここでもした。

ネタバレは避けたいので本当に簡潔にいうなら、映像は福島の10年を語るものであった。映像を見終えると、「私はこの10年何をしたのだろうか」という気持ちになった。当時小学校6年生だった私は、今11年を迎えるにあたり大学院生になっている。福島で生活している間は別に郷土愛というものもなく、ただ放射線や震災関連のことが身近に感じられるだけだった。しかし、東京に出てみるとそこには郷土愛があった。そして大学院に入って環境教育を学び進め、いろんな人に出会った末、自分の関心は震災にあるのだと気づいた。この映像だけではないが、皆さんもこの11年、何をしてきたのかを改めて振り返ってみるといいのかもしれない。

通路を挟んで向かい側には、原発(事故後)の模型や震災年表なるものがあった。年表に関しては本当に事細かに記されており、地震発生から時間単位でまとめられている。原発に関しては映像や写真でしか見たことがなかったが、事故後の姿を模型として見ることができるのは貴重である。

年表を見ていると、当時の記憶がさらに蘇ってくる。地震が起きた時にはワックスがけをするために机を廊下にほとんど出しており、教室内に残った机は少なかった。1つの机に3人で入っていたものの、やはりきつく、足は出てしまっていた。自分の足には、ロッカーの上に積んであった絵の具セットが1つ落ちてきたことも覚えている。それから校庭に出て親が迎えにきて帰宅し、家の整理をした後買い出しに出かけても中々食料が手に入らない。停電していたため手回しのライトを使ったこと、テレビがつかない間はラジオを聞いていたこと、寝るときには2階で固まって寝たこと、水が出なくて水をもらいに行き、そこで友人に会ったこと。いろんなことがその年表を通じて思い浮かんだ。

水素爆発を起こした原発の姿。当時を思い返すと、中学校のジャージの一部の柄が原発の水色と白のデザインに似通っていて、友達同士でも「原発のデザインと似てるよね」と話した記憶がある。今思えば不謹慎極まりない会話である。事故後どのような状態になっていたのかを見たい方は、ぜひ見てほしい。

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2つ目、3つ目、4つ目の展示はそれぞれ福島の今を示す展示があったり、放射線についての展示、再生可能エネルギーを中心とした展示がなされていた。そこの展示はとてもポップな仕様で、展示自体も低いところに置かれている。そこで職員の方とたくさん話したのだが、その展示は小学5年生を対象として設計されたという。言葉遣いや絵などがとても簡潔で、とても納得した。

それぞれのスペースには実際に見たり体験したりするところがあり、身をもって学ことができる。特に放射線に関する展示は霧箱だけでなく、線量計があったり除染をする際の模型があったりと、個人的にもとても為になるものばかりだった。所々に映像もあり、自分の関心に合わせて深く学ぶことができる。自分でも知らないことだらけだと実感させられた。

5つ目の展示は映像になっており、全球型シアターの中で映像を見ることができる。この全球型シアター、全国に2つしかないそうで、もう1つは科学博物館にあるそうだ。今度時間がある時に行ってみたいものである。

映像は2つあり、震災についてと福島についてだった。全球型とありかなり迫力のある映像と、360°見渡せるスクリーンのおかげでまるで自分が本当にその場にいるかのような感情になった。全国に2つしかない全球型シアター、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。

6つ目は、地球儀に触れながら世界各国の環境問題について学ぶことができるものであった。デジタル地球儀がまずカッコよくて、学校に1つあったら面白いだろうなと。SDGsとも絡めた展示がなされていたため、トレンドに即したものになっていた。

あまりズラズラ書いてしまうとキリがないので、展示はここまでにしておこう。最後に、職員の方2人とお話をして印象に残ったことを挙げておく。

まず、この施設は「きっかけ作りの場」であること。他にも震災を語る施設はあるが、この施設は概要を掴むことができるような展示になっている。これからの福島や世界を担う子どもたちにとっても分かりやすいものにしておかなければ、震災についての記憶は徐々に風化していってしまう。そう考えた時に、県内の中心に近いところにある施設という点でもアクセスはしやすいだろう。そして、子どもたちも震災を経験していない世代が徐々に増えている。そもそも経験しても記憶を持っている子どもも少なくなっている。校外学習や探究学習として学校とも連携した取り組みをしているということであるため、学校種もあまり関係なく訪れているそう。

そして職員の1人は「この仕事をしていると実際に原発に見に行ったりするんですけど〜」という話をしており、そのようなツアーとの関わりも示唆してくれた。実際に目で見る体験であったり、経験者の語りを聞くだけでも、自分がまるで震災を経験している感覚に陥るのだろうと感じた。今後、子どもたちには実際にこのような施設を訪れて関心を持ってもらいたいものである。

えすぺり

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お昼ご飯を兼ねて「えすぺり」へ。コミュタン福島から車で5分程度の距離である。

小さく木材でできた店舗がとても心地よい。有機農業をやっているとのことで、農園で採れた野菜を使って提供していたり、野菜を販売したりしている。私は野菜のカレーをチョイス。今までに食べたことのない味で、さっぱりとしつつもしっかりとカレーの味がして、とてもヘルシー、カロリー0と言いたいくらいである。

「先週みんなで訪れる予定だった〜」とお伝えしたところ、すぐに反応してくれた。少しお話を聞くと、コロナの前は海外の方もいらしたそう。人形劇をやるにあたっても英語に翻訳したものを覚えた上で上演したそう。

本来であれば先生と大学院生でそれを見る予定だったが今回は見れなかったため、ぜひ次回行った時にはみんなで見たいものである。

人のつながりと温もりに包まれて

午前中だけでも中々濃い内容だったが、まだまだこれからも続いていく。ここまでで感じたのは、「人のつながり」が大切であるということである。コミュタン福島の職員の方々、えすぺりの皆さん、今後私が福島県内で働く上で、確実にこの人脈が活きる機会が来るはずである。インドア陰キャの私ではあるが、こんなに自分から話して人脈作りをする機会は初めてかもしれない(先生というクッションもあるが)。これが "有機物" になった証拠か。

To be continued...

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