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ジェンダー、山岳信仰、女人禁制、宗教の女性蔑視


昨今、ジェンダーレスにまつわる議論が喧しい。

僕は恩恵を受けているとされる男だから、男性であるメリットを深く考えたことはない。ただし、女性は大変だなと思うことが多い反面、女性も男性にはない恩恵をたくさん受けているとも思う。

日本では古来、多くの山が信仰の対象で、ふもとの人間すら立ち入ることが禁じられた場所があった。これをベースにしたのが修験道(山岳信仰)。だから古来からの神社やお寺は山の中にある。

参拝するだけでなく、山に立ち入って霊力を得ようとする修行者が現れた。山自体が修行場となって俗人の立ち入りが禁止される境界が生まれたわけだが、これはもともとは男女を問わないものだった。この境界の概念と仏教や儒教、奈良時代の律令制などの女性観が融合し、日本に女性蔑視の思想が根付いてゆく。

女人禁制は血の穢れ(生理のこと)に対する不浄観、仏教の戒律(不邪淫戒)、仏典に見える女性蔑視思想、日本民俗の本質に根ざすことに由来する。

鈴木正崇 哲学第149集

仏教戒律の『不邪淫戒』にのっとり僧寺では女人禁制、尼寺では男子禁制だった。日本で最初の出家者は女性だったはずだが、徐々に尼寺が廃れていった結果、女人禁制が突出していく。神父と修道女にはっきり別れているキリスト教も、歴史的には女性蔑視のある宗教と言える。

古書を渉猟すると、女性天皇の崩御を目的に女性蔑視の思想を広めたという説もある。僕の印象としては、男女の区別というのは女性を虐げるための思想ではなく、とどのつまり単なる役割分担なのかなと思えないこともない。

こういう女性蔑視の歴史を勉強すればするほど、女性は憤るだろうなということも想像に難くない。だからジェンダーレスを殊更に叫ぶ女性は、インテリな方が目立つのか。

女人禁制であるはずの宗教が、世襲で受け継がれてきた矛盾はどう説明する?歌舞伎の女形や、宝塚の男役は?女性の給料を男性並にするとなれば、「結婚も出産も諦めて」となる可能性もあるけど、それで本当に幸せなのか?

ジェンダーレスにおける矛盾は尽きない。活動家はそれら一つ一つに声を上げ、改革していこうとでも言うのだろうか。ゴールはあるのか?現代のように何にでもジェンダーをこじつける姿は、資本主義に対する共産主義のような、ただ不満や憤りをぶつける対象でしかないような気もする。

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