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私の故郷はどこ?

noteをはじめたきっかけ


「北海道のどこに住んでるんですか?」「今日は北海道から来たんですか?」
行く先々で訊かれることです。「私のTwitterを見てくださっているばかりに、混乱を招いてしまっているんだ!」と思い、きちんと自己紹介をするためnoteをはじめました。
 結論から申し上げますと、私の出身地は茨城県、現住地は東京都です。最寄りのスタジアムは味の素スタジアムです。当然、「なぜ縁もゆかりもない、いわきFCとコンサドーレを応援してるの?」という疑問が生じますよね。私自身も、過去に戻って「未来のあなたはサッカーを応援してるよ!」と言われても信じなかったでしょう。私がサッカー自体に興味を持つようになったのは、今の夫との結婚がきっかけでした。
 話せば長くなります。私の出身地は茨城県ですが、実はそこでの記憶がほとんどありません。わけがあって私の両親には、もう二度と会うことができないからです。その「わけ」が邪魔をして、故郷の茨城を思い出すことができないし、たぶん思い出さない方が身のためなのでしょう。今も電車で昔の最寄駅を通過すると胸が苦しくなってしまいます。(高速道路は景色の変化が乏しいのでセーフ)。もちろん、茨城という土地に罪はありません。念のため。

福島での思い出


 さて、生まれ育った土地とはいえ茨城に住み続けるのはつらいと思い、隣県の福島で一人暮らしをしながら就学・就労をしていました。季節ごとに美しい着物を着たような山々。田んぼの緑と空の青のコントラスト。茨城と似ているようで少し違う景色が、今でも脳裏に焼き付いています。

私が風邪をひくと必ず来てくれて、食べ物を置いていってくれた近所のおんつぁん
疲労困憊な友人を励ました思い出


勤務中に物損事故を起こした思い出

 あたたかい福島弁の中で、支えられたり支えたりしながら、人とのつながりを築いていきました。そのうちの何人かは、今でも私の大切な友人です。
 それでも、本当に耐えられないことがありました。孤独です。「別に今更生き返られても困るし…」とうそぶきながら、家族不在の孤独に勝つことはできませんでした。きょうだいはいますが、仲は良くなく、散り散りになってしまってからはほとんど連絡をとっていません。とりわけつらかったのは、年末年始の静けさでした。当時住んでいたアパートの住人は皆出払い、音を出せばこだまが返ってきそうなくらいガランとしているのに、テレビの中は色とりどりで、祝福の雰囲気しかありません。少し外に出ると、近所の神社の周辺は幸せそうな家族連ればかりです。いつもなら家族を見ても何とも思わないのに、この時ばかりは本当に惨めになりました。あんなの、仕事していた方がまだマシです。
 そんなとき、当時連絡を取り合っていた今の夫がとても心配してくれました。
「このままじゃ病気になっちゃうよ」
(実際発症してた)
 私を見かねた夫は毎週のように、特急ひたちに乗り、いわきに来てくれました。私は車を走らせ、当時はまだあった駅前の駐車場まで迎えに行ったものです。食欲がなくやつれていた私も、夫と一緒なら食べようと思えました。そして、笑顔になることができました。駅前の喫茶店『BREAK』で、はち切れそうなお腹でサンドイッチと格闘する夫を見て笑ったこと。居酒屋『赤ひょうたん』で、泥酔して号泣する男性客を見て笑ったこと。(あれ?感動的な思い出がない…?)
 札幌で生まれ育ち、東京で生活する夫にとって、海は馴染みが無いものらしく、小名浜付近は毎回ドライブしてました。
「週末だけじゃなくて、毎日この人と一緒にいられたらな。」
 そしてもはや、それ以外の選択肢はないように思えました。仕事を辞め、なけなしの荷物をまとめ、私の軽自動車に乗せ、いわきから東京に引っ越しました。

札幌の新しい家族


 札幌に居る彼の両親に挨拶をしに行くと、案の定、最初は私の特殊な事情に戸惑っていました。でも、彼らは私より何歳も年上の大人です。それ以上は何も訊かず、すぐに私を娘のように受け入れてくれました。

ゲーフラ製作してくれる優しい義母


 結婚式はしませんでした。幼い頃は、結婚式をしたくてたまらなかったのに。いざ大人になったら、全然したくなくなっていました。式に出席できる私の親類は誰もいないからです。
 それでも、人生の節目に夫との思い出を残したくて、ブライダルフォトという選択をしました。(ステマではありません)
 それが実現できたのも、入籍から1年も経ってからでした。夫のお母さんがとても喜んでくれたのが、何より嬉しかったです。
「こんな日が来るなんて。」
笑顔のお母さんはカメラマンの後ろで、何度も何度も、デジカメのシャッターを切り続けていました。

中島公園にて
見ればわかる場所にて


入籍してすぐのやつれた頃に撮れば、もっと細く写ってたのになあ

北海道コンサドーレ札幌との出会い


 前述のとおり、私はサッカーにまったく興味はありませんでした。夫の趣味に付き合うつもりで最初に足を運んだ場所は、豊田スタジアムでした。初めて生の試合を観て、「サッカー選手って大きいんだなあ」という印象を受けたのを覚えています。
 結果は負け。一生懸命遠くに来たのに、負けるとこんなに悔しいんだということを最初に知りました。
 勝ち試合が観たい思いで、それからも色々なスタジアムに足を運びました。その先々で巡った観光地での思い出も、夫との宝ものです。
 いつからかは覚えていませんが、私はいつの間にか北海道コンサドーレ札幌のサポーターになっていました。そして今では、中島大嘉選手という推しの選手もいます。もちろん苦しい時もありますが、充実したサポーターライフ?を送れています。

いわきFCとの出会い


 そして去年の暮れ、
「いわきFCがJリーグに参入したんだってよ」
夫が知らせてきました。その日から、私たちはいわきFCの開幕を楽しみに待っていました。そのワクワクを増幅させたのは、おなじみの『謎の卵を孵化させろ!』の動画でした。
「何が生まれてくるのかな?」
正体もわからぬまま、クラウドファンディングでぬいぐるみの返礼品を選ぶという博打を打ちました。
「初の女の子メインなんじゃないか?人魚とか、フラガールとか」「フラおじさんみたいなやつだったらどうしよう」(おじさん、ごめんね。)
 様々な憶測を交わしながら、待ちわびたホーム開幕戦。3月20日の深夜0時にアップされた動画を、湯本温泉の宿で見て2人で大笑いしました。キックオフ前のJヴィレッジで私たちの目に飛び込んできたのは、とても可愛いフタバスズキリュウでした。
 そして、いきいきと踊る小さなチアガールたち。嬉しそうな観客。報道陣までもが嬉しそうでした。結果は華々しい勝利。でも、この日、私の中で勝敗はあまり関係がありませんでした。
「次はいつになるか分からないけど、また必ず、いわきの人(と首長竜)たちに会いに来よう。」
 その時から私は、いわきFCのサポーターになりました。

いわきのJ参入を祝う気持ちで持参した、ゲーフラですらない紙。
タオマフは札幌。

東京での思い出


 私と夫が一緒にいる時間、その8割以上が東京都内で過ごした時間です。でも、東京都内での思い出は実はあまりありません。中でも大半を過ごす家での時間は、ほとんど印象に残りません。思い出があることばかりが幸せなこととは限りません。私の一日一日が、夫からの贈り物だからです。かといって、洗濯物を干すときや皿洗いをするとき、何を考えていたかなんていちいち覚えていませんよね。
 そんなわけで、現住地・東京での思い出が乏しい中、ごく最近、はじめて東京で友人ができました。FC東京の某選手の個サポだというので、一緒に味スタに試合を観に行きました。自宅からすぐに行けるっていいですね。

 ここまで来て、FC東京に結論をかっさらわれるのは癪ですが(笑)
You’ll Never Walk Alone
この言葉に私の伝えたいことが詰まっていると思います。

これから創る故郷


 私の身の上話を知ったあなたは、もしかしたら、「肉親がいないなんて、可哀想な人だ」と思うかもしれません。私も自分を世界一不幸だと思ったこともありました。でも、今は違います。欠落した記憶の分の人生を、今、生き直しています。
 生まれた場所、住んだ場所は、役所でもらえる紙に記録されるだけです。その記録は、私にとって大きな意味はありません。
 たくさんの楽しい記憶を創っていきたいです。できることなら、この記事を最後まで読んでくださったあなたと一緒に。

追記

  • 「北海道に縁もゆかりもない」というのは語弊があります。私の実の祖母は、ソ連の侵攻がはじまり、引き揚げ船に乗るその時まで、樺太に生きていました。その血のおかげで、私は寒いのは平気な方なのです。

  • 病気をしてから、細かい活字を読むのが非常に苦手になってしまいました。皆様の記事を読むのに時間がかかります。ご承知おきください。

  • 身体が脆弱なため、45分間立っていることができません。目下筋トレ中ですので、札幌にしても、いわきにしても、ゴール裏に行けるその日まで長い目で見守っていただけると嬉しいです


下肢筋力を中心に鍛えてます

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