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残虐性を求めてCERO: Zのゲームをやってるんじゃない

クリスマスなので、世界中の子どもたちがサンタさんにリクエストするであろうビデオゲームの話を。

※当記事に残虐な画像等は載せていませんので安心してお読みください。

目を閉じると、あの懐かしい生活を思い出す。
思い描いていた未来像は、一瞬で変貌することがある。心の準備が出来ていなくても。それは誰にでも、人生のどこかで起こること。
ここは自分が望んだ世界じゃなかった。だけど、間違いなく自分の居るただひとつの世界。
(中略)
叶うなら、時計の針を戻し、全てを元通りに。
だがわかってる。もう後戻りはできない。
世界は変わり、この先に待つのは険しい道。今度は覚悟はできている。俺には教訓があるからだ。
人は、過ちを繰り返す―――

Fallout4

 これはとあるビデオゲームで、主人公が最後にひとり語りするセリフ。筆者はこの言葉のひと言ひと言に共感できる。大好きなセリフだ。
 そのゲームはFallout4。残酷な表現が多く、CERO(遊ぶ人の対象年齢区分)A、B、C、D、ZのうちのZに指定されてる。18歳未満は購入ができない。いわゆる18禁のゲームだ。
 筆者は残酷さを求めてゲームを選んだり遊んだりしているわけではない。面白いゲームがたまたまCERO:Zだっただけだ。


※日本のゲーム機のソフトにおいて、残酷な表現はだいたい認めらている。しかし、性的な表現はかなり厳しく、CERO:Zのゲームでもヒトの大事な部分を画面に映すことはもちろん無く、(外科手術のシミュレーションゲームでさえ不可)男女の営みも画像・映像として一切描写できない。変態が作ったMODを入れない限り、せいぜいセクシーな格好で踊るくらいがせきの山。理由は知らないけど。
ということで、以下CERO:Zのゲームの残虐性にのみ言及する。

記事を書いたきっかけ

 筆者、小さい時からゲームが大好き。
 筆者が子どもの頃は既に外遊びがはばかられるような時代だった。子どもたちが外で遊べない問題を、最近では三つの『間』の消失なんて呼ぶようだ。(『時間』『空間』『仲間』の消失)
 そんなわけで、小さい頃から親から与えられたゲーム機で、本当にゲームばかりしていた。子どもの頃に遊んだゲームを、今もたまにやってみることがある。街並みや人間は変わっていくけれど、ゲームの中身は決して変わらない。数十年ぶりにゲームを起動する瞬間は、私にとってタイムカプセルを開けているようなものだ。
 さて、当時はきょうだいや友達と遊ぶこともあったが、8割の時間はひとりだった。案の定、運動機能は生活に支障が出るほどのポンコツになってしまったが、人間性は人並みだと信じたい。
 さて、小さい頃から一緒にいたマリオとかポケモンとかは、今でも楽しく遊べるが、年齢が上がるにつれ対象年齢つきのゲームもやるようになった。それの面白いこと!
 タイトルでも言い切ってしまったが、私は別に、画面上で人を傷つけたり殺したりすることを求めてそのゲームをやっているわけではない。
 でも、そういう人も一定数いると思う。それを否定する記事ではない。
 もうずいぶん前のことだが、いつもの精神科での問診中、会話の流れで
「どんなゲームやってるの?」
と訊かれたので、
(FPSっていってもわっかんねだろな……)
という私の勝手な判断で
「人を殺すゲーム」
と答えると
「日常の対人ストレスをゲームの中で発散できていますか?」
と、思いがけない問いかけをされたことが、この記事を書くきっかけになった。
 私の伝え方が悪かっただけかもしれないが、まったくそういうつもりでやっていたことがなかったのだ。ちょっと違う。いや、だいぶ違う。でもその場でうまく説明できず、頭の中で思っていたことを、今になって言葉にしてまとめてみた。
(勘違いしないでいただきたいのだが、先生のことは全面的に信頼している。先生の発言で気分を害したとかそういうことではない。)

ゲームで対人ストレスは発散できない

 誰でも生きていれば、一度や二度は必ず思うこと。
「こいつ、ぶん殴ってやろうか?」
「首絞めてやろうか?」
「なぜ今まで誰にも刺されずに生きていられたんだ?」
心の底から嫌なやつと関わっていたら、そんなふうに考えることもあるはずだ。(私が今までに出会った中で最低最悪の人でなしを前に考えたことは、裸にして身動きとれなくしてからそいつの肛門に導火線のついた爆弾をぶっ刺して目の前で火…)
 でも、普通は頭の中で描いた凶行を実行しない。法的なペナルティがあるから。勇気がないから。実現不可能だから。相手にも家族がいるから……。理由は色々ある。でも、人の命を奪うことをためらう、そんな当たり前のことに理由なんてなくていいはずだ。理由があったら人を殺めていいことにはならない。世の中何の抵抗もなく暴力する人だらけになったら、おしまいだ。ディストピアでアウトロー。
 だからといって、画面の中の人間を、嫌なやつに置き換えて攻撃してもスッキリすることは、少なくとも私にはない。アルカノイドをやる時にブロックを嫌な奴に見立てて崩していく人はあまりいないだろう。(一時的に気を紛らわせる効果はあっても。)私にとって画面の中のヒトは、ヒトの形をしたブロックに過ぎない。
 対人ストレスを解消するなら、エアーボクシングなどで身体を動かす方が効果があると思う。

(余談だが、人を殺めるゲームでも、ちゃんとやれば、殺人や暴力を否定するエピソードもあることがわかる。)

 ケイトは、幼い頃より両親から酷い虐待を受けきた。ケイトがある程度成長した時、両親はあろうことか実の娘を組織に売ってしまう。
 売られた先で散々な目に遭いながら大人になったケイトは、意を決して親を殺すために家に戻ってきた。両親は間の抜けたような驚いた顔を見せ、それが最期の表情になった。
 そしてケイトは、「その光景は一生頭から離れない。結局何も残らなかったんだ。」と主人公に話す。

Fallout4より 筆者要約

そもそも彼らは最初から生きていない

「人を殺すゲーム」と私は表現した。
でも、ゲームの中でやっつけるべき「人」のほとんどに、生い立ちは存在しない。過去はなく最初からそこにいた。家族も友達もいない。モブは個性がなく、だいたいみんな同じ顔だ。そして、どんな人物もゲームをロードし直せばまた何回でも復活する。もっといえば、彼らの身体を構成するものはタンパク質ではなく、1と0の集合体なのである。
 彼らはそもそも、生きてなんかいない。最初から命などない。だから、「命を奪う」=「殺す」という表現は不適切なのかもしれない。

血は苦手

 ゲーム画面で出血の表現を見ても、正直何とも思わないのだが、現実ではまったく別だ。
 筆者、詳細は教えられないのだが、血だまりの掃除をしたことがある。何の情報もなく、いきなりその前に立たされたものだから、びっくりしてしばらく動けなかった。小学生の頃やった鉄棒のにおいがずっとしていた。
 やがて、「何事ぞ?」と集まってくる人、バタバタと駆け回る人……。立ちすくむ私の前にあった鏡に、色々な人が映っていた。誰かがひどく負傷したとき、ただ目の前に怪我をした人間がいるだけではない。その場所には目に見えなくても、とてつもない大きさの感情が動いていて、いやでも肌で感じるのだ。
 「大量の血を見ても全然大丈夫!」という人は少数派のはず。体の外に血がたくさん出ているということは、死に近づいていることを意味するからだ。負傷した人が目の前にいる時、状況によっては、自分も危険な目に遭う可能性もある。だから体の外に出た血液は、本能で避けてしまうものなのだと思う。毎日血を見る仕事をするお医者さんや看護師さんたちは本当にすごいし、ありがたい。
 そんなわけで、私は実際にゲームのようなグロテスクな場面を見たいとはまったく思わない。一生。

知らない痛みに共感できない

 筆者は、銃で撃たれたことも、刃物で刺されたことも、戦鎚で殴られたことも、矢を射られたことも、猛獣に食べられたことも、暗い谷底に突き落とされたことも、魔法で焼かれたことも凍てついたことも感電したことも……ない。だから、画面の中でそういうダメージを受けている人に共感できない。カミソリでちょっと顔を切っちゃった、という描写が今まで見た中で一番痛そうだった。
 反対に、呪文やアイテムで一瞬で回復するという感覚は、もっとわからない。そんなことができたら、怪我したとき、病気になったとき、どんなに楽になるか!その技術が早く実現してほしいものだ。

やっぱり子どもには有害だろう

 いくらCERO: Zでもゲームの本質は残虐性じゃない、といっても、やっぱり子どもがやっちゃだめだと思う。年齢制限にはそれなりの理由がある。
 ある程度の年齢までの子どもって、空想と現実の間に生きている。筆者が一瞬保育園に勤めていた時、「どうしてそんなに私たちが思いつきもしないことを考えられるんだろう。」と、子どもたちの想像力によく驚かされたものだ。
 聞いた話の例ではあるが、子どもが空を飛ぶ能力を得る系のアニメーションを見ると、自分も試してみたくなり、高所からの転落事故につながることがあるという。
 私がいつも遊んでいるゲームは、人体を傷つけると血しぶきが飛んで、尊厳もなく命をを奪うこともできるという現実でもあり、それらはすべて画面の中の虚構でもある。個人の見解だが、こんなのをやったら、子どもの頭は現実と虚構の間で混乱すると思う。第一、グロテスクで刺激が強すぎる。やっぱり子どもに遊ばせたり、見せたりするものじゃないと思う。

その人の暴力性をゲームのせいにしないで

しかし!
「残酷な表現がありますよ?」
という事項に同意してゲームを購入したいい大人が、何か事件を起こしたとしたら、それはゲームのせいじゃない。もともとの人格か、虐待などゲーム以外の原因でその人の人格に問題が生じていたのだろう。
 たまにそのような、あたかもゲームのせいで事件が起きた、というような偏った報道を聞いていると腹が立つ。非常にだ。
 だったら、先生が私に言ったように、ゲームの中で人を殺して発散させる使い方をしないといけない。なぜゲームをやって突然残虐スイッチが入ることになるんだ。勝手に起こしたことの責任をゲームに押し付けないでほしい。

残虐性を求めてCERO: Zのゲームをやってるんじゃない

 そういう訳で筆者は、残虐性を求めてゲームを選んでいるわけではない。
 グロテスクな表現にまったく耐性がない人でなければ、一度食わず嫌いせずにCERO:Zのゲームをやってみてほしい。できれば面白いものを。製作側が一番伝えたいメッセージは、そこではないところにあることがわかるはずだ。

以下、おすすめのゲーム紹介

こっちが本当に書きたかったこと。

※それぞれの項目で壮大なネタバレをしています。
※リンク先はプレイステーションストアになっています。購入する際は内容をよくよく確認してください。リンク先での責任は負いかねます。
※18歳未満の方は18歳になるまで待ってから遊んでください。ゲームは逃げません。

Fallout4

「人は、過ちを繰り返す。」
この言葉を同シリーズで必ず使う。
原作の英語では
“War never changes.”
だということを知り、
「なんで!?」という気持ち半分。
「そうだよね。」とひどく納得する気持ち半分。
筆者は英語が話せるわけでもなんでもないが、様々な想起をさせる素晴らしい訳だと思う。

あらすじ:
 2077年のマサチューセッツ州。配偶者と、まだ赤ちゃんのひとり息子と、それから家事ロボットと、一緒に幸せに暮らす主人公が核戦争に巻き込まれるその日から物語ははじまる。シェルターに入れたのはいいが、どさくさに紛れて配偶者は目の前で殺害されるわ、息子は誘拐されるわ、よくわからないけど目が覚めたら200年以上経ってるわ、文明社会は終了してるわ、まさに何ひとつ良いことがない浦島太郎。
 世紀末な世界でやっと探し当てた息子は、自分よりずっと年上の老人になっているし、しかも危険な組織のリーダーだった。まともな子育てをされていないから、一般的な人間性も欠如しているときた。
 その息子に味方しても、裏切っても、主人公が最後にひとり語りするのは、本記事の冒頭でも紹介した以下のようなセリフ。

(中略)
目を閉じると、あの懐かしい生活を思い出す。
思い描いていた未来像は、一瞬で変貌することがある。心の準備が出来ていなくても。それは誰にでも、人生のどこかで起こること。
ここは自分が望んだ世界じゃなかった。だけど、間違いなく自分の居るただひとつの世界。
(中略)
叶うなら、時計の針を戻し、全てを元通りに。
だがわかってる。もう後戻りはできない。
世界は変わり、この先に待つのは険しい道。今度は覚悟はできている。俺には教訓があるからだ。
人は、過ちを繰り返す―――

 きっと、わかる人には「うんうん、そうだよね」と共感できる言葉だと思う。主人公は、息子を連れて公園に行く、という数分後の予定も叶えられなかった。
 行こうとしていた場所にいけなかった。会おうとしていた人に会えなかった。叶えようとした夢を叶えられなかった。そういうことが人生において、必ずあるはずだ。だから、この言葉は本当に私の胸に沁みた。理想の未来とは、一番遠い未来なのかもしれない。サッカーの応援してるとよくそう思う。
 また、筆者がこのゲームの特に気に入っているところは、夜は本当に真っ暗なところ。ライトを付けないとほぼ前が見えない。そして夜空を見上げれば、星が降ってくるかのよう。核戦争で文明社会が滅んで200年。電気がない!ということが一目でわかる。筆者は災害などで何日か電気のない日々を過ごしているので、その不便さと電気のありがたさを思い出すようだった。

Fallout4の世界の夜空。
(ちょっと見えにくかった為、筆者による画像加工あり。)


 こんな荒廃した世界でも、ラジオをかければFrankie Carleの『One More Tomorrow』が流れてきて、風情を感じた。

 そして、筆者が強く思ったのは、このゲームにおいての正義とは、悪を打ち倒すことではなく、連邦に生きる人たちとともに畑を耕し、端材をかき集めて雨風をしのげる家屋を建て、当たり前の「生きたい」という願いを叶えていくことではないか、ということ。製作陣の意図とは違うかもしれないが。
 残念なところは、バグが多いところ。ロードが長いところ。たまに訳がわかりづらいところ。

スカイリム

正式なタイトルは
The Elder Scrolls V: Skyrim
最近、アニバーサリーエディションが追加で発売され、さらに面白い内容になっている。

なお、発売元は前述のFalloutシリーズと同じベセスダ・ゲーム・スタジオ。
“The Elder Scrolls” の訳は『星霜の書』。またまたイカスな訳。

 舞台は、大きな月がふたつ見える世界、スカイリム。
 道ゆく人を突然ぶん殴ったり、スリをしたり、家の中のモノをかっぱらったり……。思いつく悪行はだいたいできる。目撃者がいれば衛兵に追われることになるが。
 また、スカイリムはFalloutシリーズとは違って、豊かな自然に溢れている。背の短い草花の自生する平原に、小川が流れている光景なんかが特に良かった。その上に、夜になればオーロラも出てくる。文字通りファンタジーな風景だ。

スカイリムは雪山が多い
オーロラの見える夜空

 オープンワールドゲームといえばスカイリム!と、言わずと知れた有名な作品である。
「膝に矢を受けてしまってな…」
というネットミームは、この作品が出典。
 やっぱりこちらも残念なところは、Fallout4とほぼ同じ……。

特定のNPCのセリフではなく、衛兵であれば誰でも同じパターンのセリフを話す。


ファークライ5

 主人公は新米保安官として、過激なカルト集団の教祖を逮捕しに行くところから物語ははじまる。
 信者は噂に聞いた通り、本当にイカれた危険な奴ら。教祖に手錠をかけた後、護送用のヘリコプターに乗せて飛び立つが、ルパンもドン引きな驚愕の方法で逃げられてしまう。結果として主人公はカルト集団と全面的に戦うことに。
 最後の最後で、自分が正義の為にとやっていたことは全て間違いだったのだと気づかされる。いわゆる胸糞エンド。でも筆者は嫌いじゃない。

 このゲームの好きなところは、アメリカ・モンタナ州の広大な自然の表現。日本とは全然違う木々の並び、地面の感じ、そういったものがよく伝わってきた。そんな自然の中で、狩りや釣りも楽しめるようになっている。小さな動物を仕留める時でも、油断するとこちらがやられる。クズリが超こわかった。自然の厳しさも学べる。(?)

 また、そんな広大な土地を移動する為に、だいたいの乗り物を操縦することができるが、筆者には全然できなかった。ヘリコプターは離陸ができても着陸ができない。クルマはアメリカで右車線なのを忘れてよく事故してた……。ゲームの中だからいいか。

 一番気に入ったところは音楽。これが本当に良い。ゲームを起動させると、子守唄のような、ウェスタンな響きが聞こえてくる。日本人には馴染みがないはずなのに、何故かアメリカの田舎の風景を思い浮かべられるほど。寝る前にどうぞ。


そして、このゲームをやっているとThe Plattersの『Only You』を口ずさめるようになる(笑)

BIOHAZARD VILLAGE

18歳未満の人に朗報。こちらの商品には残虐な表現が控えめなCERO: Dバージョンもあります。
バイオハザードシリーズ8作目。

あらすじ:
 過去色々怖い思いをしたけれども、妻・ミアと、生後半年の娘・ローズマリーと3人で一緒に暮らす主人公・イーサン。たまに妻の様子がおかしいけど……。
 いつものように娘を寝かしつけた後、突然目の前で妻を銃撃される。犯人はあろうことか、かつての仲間のクリス。泣き叫ぶ娘は取り上げられて連れて行かれるし、自分もどこかに拉致されてしまう。
 次に目を覚ましたのはどこかの雪山。拉致した側の人たちはみんな死んでいる……。がむしゃらに歩いた先で、不気味な村に辿り着いた。そこでイーサンは、娘を取り返す為に奮闘することになる……。


 このゲームで筆者が好きなところは、風景。筆者は関東出身だから、中途半端に雪の積もった未舗装の道や墓地なんかは、何となく故郷を思い出すようだった。
 ゲームプレイの要素では、バイオハザードシリーズ恒例の謎解きが相変わらず楽しかった。
 そしてなんといっても……、親が子を想う気持ちを描いたコンテンツは巷に溢れているけれど、これほど親の愛が伝わってきた作品を、私は他に見たことがない。ラストシーンには心を動かされた。製作陣はプレイヤーの心を動かせるように、丁寧に丁寧にこのシーンを描いたのだと思う。

ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク

 北欧神話の世界にどっぷり浸かれるゲーム。神話好きなら迷わずやるべき。
 主人公は戦いの神・クレイトスと、その息子・アトレウス。
 今作では、最終戦争『ラグナロク』の予言と運命に翻弄される姿を描く。クレイトスらは、ラグナロクの勃発を防ぐことはできるのか…?
 登場人物は大体神だが、傷つきもすれば死ぬこともある。他者との関係で悩むようなところも、人間と変わらないように見えて、やっぱりちゃんと神としての視点を描き出しているのが良かった。


 実はこのゲームについて記事を書いています。
筆者の記事で閲覧数最低なので良かったら読んでくださいw

おわりに

 色々なことを書いたが、これだけは揺るぎない思いだ。暴力や流血は、画面の中だけの虚構であって欲しい。これからもずっと笑ってゲームができる世の中であってほしい。ゲームばかりやってろくでもない人間の綺麗事に過ぎないが、これが私の願いだ。

 さて、対象年齢に関わらず、何か面白いゲームがあったら筆者にこっそり教えてほしい。(なお、メニュー画面が見づらいゲームは途中で放り出す傾向がある。)

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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