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愛のコンコンダッシュ。同居人がコロナに罹ってわかったこと。

隔離生活のはじまり

「なんか具合悪い。冷房にあたり過ぎたかも。」 
そう言いながら、夫が定時で会社から帰ってきました。
 翌日に体調が悪化したため、予約をとって発熱外来を受診することに。夫は発熱していて、服薬もしていたので、クリニックまでは私が運転しました。私が運転する時、夫はいつも助手席に乗るのですが、なんとなく嫌な予感がして、私から一番距離がとれる後部座席に乗せました。
 到着したクリニックの駐車場に車を停め、夫を降ろして待ちました。その途中、バックで駐車してきた車にぶつけられそうになりました!「あっ!」という声が喉元まで出かかった時、スレスレのところでストップし、何度か切り返して回避されました。数秒ほどの出来事でした。何もなくて本当によかったです。もし車をぶつけられていたら、病人をかかえながら話し合ったり警察呼んだり……超絶めんどくさいことになっていました。
 さて、程なくしてクリニック内の夫から「陽性だった\(^o^)/」とのメッセージが。「やっぱりね」という気持ち半分。目の前が真っ暗になりそうな気持ち半分。夫も私も、コロナの重症化リスクが高いといわれる基礎疾患をいくつか持っています。しかし、絶望や不安な気持ちに浸っている時間はありません。薬剤師から薬を受け取り、まずは夫を乗せて一緒に帰宅しました。
 夫は車内で、ひっきりなしに会社の人たちに電話をかけていました。責任がある人って大変。当たり前のことだけれど、具合の悪いときでも、やることをやらなければ安心して休むこともできません。でも夫はいつも残業続きで、この頃はずっとしんどそうにしていましたから、こんなことにならないと休めなかったのかもしれません。
 帰宅後、夫は身の回りを整えて寝室に入っていきました。それを最後に一週間ほどの別れになりました。

ストレス

 こんな生活で一番ストレスを感じたことは、隔離されている現実そのものでした。私たちはお互い好きで結婚したわけですから、『婚姻』というノリでくっつけた生地どうしを無理やり引き剝がすと、ビリビリと音が聞こえそうなほど痛いのですよ。結婚した当初は、同居しながら一週間も夫の顔が見られない日が続くことになるとは、思ってもみませんでした。住み慣れた家が、全然違う場所になってしまったようでした。
 そして、その状況がいつまで続くのかわからないことが、ストレスをさらに大きくさせました。
 また、すでに私も感染している可能性も充分にありましたので、明日動けなくなるなるかもわからない恐怖が常にありました。
 そのうちに、上半身と足にじんましんのようなものもできてしまいました。学生時代の実習中、新しい会社に入りたての時など、昔から負荷を感じるとよくできました。特に生活に支障はないので、本当は気にするほどのことではないのですが、自分のストレスを可視化されたようで嫌でした。何もない方が余計な不安が増えなかったのに。
 「病気してる人が一番つらいわ!」と思われるかもしれません。もちろんつらいと思います。身体も環境もいつもと違ったものになってしまいますから。でも、看病する側には看病する側の苦労があると、今回の経験から思いました。
 「私と仕事、どっちが大事なの?」というよくあるセリフ。「男(女)の人生の方が女(男)よりつらい!」という終わりのない論争。こういうことは、比べること自体がナンセンスだと思います。比べようのないことを天秤にかけようとしたら時空が歪んで無限ループが発生してしまうので、ダメ。ゼッタイ。

家庭内感染への対策

 夫も触るトイレや洗面所、風呂場のドアノブをアルコールで最優先で除菌。洗面台・トイレ・風呂場の水まわりもまめに掃除。夫の動線に入るたびに手洗い。夫が使った食器は別のスポンジで洗う。入浴は私が先、夫は後にさせる。夫の洗濯物やゴミは夫の部屋で保管してもらう、やむなく洗濯するものは漂白剤でつけ置きしてから…、そういったことを徹底しました。(食器を使い捨ての紙皿にする方法もありましたが、この時期に生ゴミを部屋に置かせるのは可哀想だったので普通の食器を使っていました)
 私たちヒトは昔から、目に見えないものを特に恐れます。暗闇、菌、ウイルス、放射線、出処のわからない噂、犯人のわからない凶悪事件など……。そしてそのことで、時に他者に対して取り返しのつかない傷つけ方をすることもあります。
 夫は「自分がばい菌扱いされてるみたいだ」と、心外な様子でした。でも、夫を愛しているからこそ、私が動けなくなったら行き詰まってしまうと思い必死でした。とはいえ、ひとにされて嫌だったことって、ずっと覚えているもの。私の言動が深く彼を傷つけていたら……。「ごめん」で済むといいのですが。

愛のコンコンダッシュ

 病気になったにも関わらず、さいわい夫の食欲は変わらなかったので、食事はいつもと同じようなものをつくりました。その時思いつきで、食事を部屋の前に置く動画を撮ることにしました。
 「看病をネタにするなんて!」と指摘されたら、返す言葉もありません。でも、動画を撮ることで、食事の品数を多くすることを意識できました。生きるとは、食べ続けること。夫が食べたものはきっと、彼が病を乗り越える活力に変わっていったのだと思います。

@ponponpon5963

コロナに罹り隔離中の夫の部屋の前まで食事を運んだ時の動画をまとめました。別に怒ってないです

♬ 三日月 (オルゴール) - ring of orgel

 私なりに心がけたことは、栄養よりも楽しめるようにすること。いつもより盛り付けに気を遣ったり、うさぎリンゴを添えたり、知育菓子や子ども向けのかわいいお菓子をつけたり……。自分で食べる分の料理をする時は「どうせ食べるなら見た目に意味はない」と思ってしまいがちな私ですが、このような非常時には、意味のないことに意味が発生すると考えていました。

うさぎリンゴ
アンパンマングミ
発掘恐竜チョコ
9月に入ると、ハロウィンデザインのお菓子が売られていた

 なお、お菓子のほとんどは封を切らないまま部屋に放置されていました。泣いていいですか……。

発生した問題

 夫を隔離したその日のうちに発覚した問題は、私の着る服がなくなったということ。夫を隔離した部屋に私の服を置いているため、最後に洗濯していた服3着しかしか手元に残りませんでした!

 そして、毎日堅い床の上で寝るので、大変な腰痛になりました。特にお辞儀をするような姿勢をすると激痛が走ります。夫が復帰してしばらくしたら、まずはマッサージか鍼灸院に行きたいところです。
 余計なお世話かもしれませんが、もし、今までコロナ患者が出ていないご家庭でこの記事を読んでいらっしゃる方は、その時のことをシミュレーションしておくといいのかもしれません。どの部屋に隔離するのか、その部屋に置いてあるものはどうするのか、何日くらい洗濯しなくて済みそうか、寝る時の寝具はどうするのか、いよいよ共倒れした時はどうするか、その時何が必要になるか、などなど。損にはならないはずです。
 一人暮らしの方は尚更お気をつけて、感染時の対策を万全にしてお過ごしください。

義母の言葉

 最後まで一人で看病する自信のなかった私は、何もできないことを承知の上で北海道の義母に電話しました
「ああ、とうとう……。」
というのが、最初の反応でした。私もわかっていました。一生コロナに罹らないということはもはや不可能だろう、ということを。
「食事は?できてるの?」
という義母の問いに
「時間になると『お腹すいた』って言うんですよ。出したのは残さないで全部食べますよ。」
「ああ!じゃあ大丈夫だ!」
食事ができることを知った瞬間、義母は急に明るい声で、無事を確信しました。
「あの人は食べられないっていうんだったら心配だけどね。それなら大丈夫。」
「もう何十年も離れてるけど、今まで病気したとか怪我したとかで連絡してきたことないのよね。何かあっても、ずっとひとりで何とかしてきたってことだと思うの。今はぽんぽ子さんがいるから、だいぶ安心してると思うよ。」
とのこと。義母はブレることなく終始「心配ない」というスタンスを取り続けてくれたので、私も安心できました。
 きっと義母も心配だったとは思うのです。愛する息子が流行り病に罹って、心配にならないはずがありません。でもこの時は、私の為にそう言ってくれたのだと思います。義母には感謝しかありません。

節電

 真夏に隔離生活を送ることになったので、必然的にそれぞれの部屋で24時間冷房をつけっぱなしになることに。我が家は、エアコン2台+電子レンジ+電気ケトルくらいの負荷をかけるとブレーカーが落ちてしまうので、同時に多くの家電を使わないように気を付けました。(1シーズン1回くらいの頻度でブレーカーが落ちます。)
 少しでも節電したいと思い、私の部屋では一番広い窓の雨戸を一日中閉めて、日光を遮断することで室温があまり上がらないようにしていました。そのため冷房の設定温度は、日中は27℃、夜は28℃で過ごせました。エアコン2台を同時稼働している時点で気休め程度の節電だろうけど……。

リフレッシュ方法

 忙しさはまったく感じないものの、じわじわ心がすり減っていく感じがしました。そんな毎日を癒してくれたものをご紹介します

その1. X (旧 Twitter)
 不安なこと、不便なことを毎日事細かくつぶやいてしまいましたが、その度に何人かのフォロワーさんが私を励ましてくださいました。そのことがどれだけ、私を支えてくれたことか。
 また、「かわいい画像をください!」と呼びかけると、予想よりはるかに多くの癒し画像をいただきました。ありがとうございました。

その2. 芳香浴
 私はいい香りがするものが好きです。(でも香水だけはあまり得意ではなくて、ひとつしか持っていません。)
 集めたアロマオイルで、日中はミントやレモングラスの香り、夜はスイートオレンジやラベンダーの香りをデュフューザーで拡散させてリラックス効果を図りました。
 また、手荒れしがちな私は、自分でも「こんなに要らんだろ」と思うくらいの数のハンドクリームを持っているので、手洗いの度に色々変えて塗っていました。

本日のスターティングラインナップ

 夫を看病しているとき、いつもの倍以上は手洗い・手指消毒の回数が増えましたので、たくさん持っていて正解だったと思います。
 1日の終わりに、いい香りの入浴剤を入れたお風呂に入る最も心安らぐ時でした。夫もそれは同じだったようです。私は「温泉や銭湯が大好き!」という人にあまり共感できない方でしたが、このとき心から、「お風呂ってすごいんだな。人間に必要なものなんだな。」と感じました。

その3. 神頼み
 病気から人間を救ってくださるという薬師如来。寝る前にそのお経をYouTubeで聞いていました。実際に目に見える効果があるかどうかは些末なことで、私の癒しになったことが大切なことでした。
 この件が落ち着いたら、薬師如来をご本尊としたお寺に参詣しようと思います。

嬉しかったこと

 土曜日、隔離から3日目のこと。私たちが応援しているサッカーチーム・北海道コンサドーレ札幌が実に10試合ぶりに勝利しました。ひとりでDAZNを観ていて、試合終了の笛が鳴った後、自然と嬉しさ100%の涙が溢れてきました。
「この瞬間を夫と一緒に迎えたかった」
とか、そういう感情は一切なく、この数ヶ月間ずっと待ち望んでいた勝利が、ただただ嬉しかったのです。
 その後は、夫にほんのちょっとのサッポロクラシックを分けて共に勝利を祝いました。


「自分が戦ったわけでもないのに、泣くほど嬉しいの?」」
と、過去の私なら不思議に思ったでしょう。この気持ちは、本気で好きにならなきゃわかりません。
 私はこのチームを好きでいて本当によかったです。サッカー観戦はつらい思いをすることも多いですが、人生を動かすような偉大なコンテンツだと思っていますよ。

当たり前に感謝

 隔離生活中、何度か買い物に行きました。特に自分の体温計の電池が切れた時は思わず焦って買いに行ってしまいました。その時に、普通に働いてくださっている方が、どれだけありがたい存在かを改めて感じました。
 命がけで患者の対応をしてくださる医療従事者のみなさま、私のような濃厚接触者も来る可能性のあるお店で働かれているみなさま、そのほか感染のリスクを背負って働かれているみなさまには、頭が上がりません。あんたが大将。
 しかし残念ながら、そのような方々に直接お礼をすることはできません。少しでもお仕事のリスクに見合ったお給料に近づけるように、選挙に行くことは必ずします。

帰ってきた夫

 一週間後の夕方、症状が落ち着いた夫が部屋から出てくることに。家の中から「今から出るよ」と電話がかかってきました。
 夫に会えたら感動するんだろうな、と思っていましたが、いざ対面すると特に何の感情もありませんでした。ちょっと髪が伸びたな、という程度の印象。
 夫は空気と一緒。そこにあって当たり前だから、いなくなったら息ができなくなってしまうのです。私にとって夫はそういう存在です。

おまけ。ドラマ・『JIN-仁-』から学ぶ感染症との向き合い方

 10年ほど前に放送されたドラマ、『JIN-仁-』。現代から江戸時代にタイムスリップした医師の物語です。いつ見ても色褪せない名作だと思います。以下のセリフなどはうろ覚えにつきご了承ください。
 第2話は、感染症の話。江戸時代、当時「コロリ」と呼ばれる感染症が流行し、多くの人々の命を奪っていました。正しい知識がないために、かえって感染が広がるような誤った対処をしてしまったり、パニックに陥ったりする人々が描かれています。

 武家屋敷の娘・咲はコロリ患者を治療する為、母親の反対を押し切り家を飛び出してしまいます。
 連日懸命に患者たちの看病をする咲。そのうちに咲の兄が現場に訪れ、咲に一旦家に帰って休むように提案します。しかし、母の態度を思い出すと「帰る」とは言い出せない咲。
「帰る場所などありませんよ。」
そこに現れたのは、あれだけコロリ治療に関わることを反対していた咲の母でした。
「これは戦なのでしょう。中途半端で帰ってくる戦がどこにあるのです。勝って、帰ってきなさい。」
そう声をかけ、咲におむすびや白衣の差し入れを置いていくのでした。

 武士の妻として母として、常に厳しい態度を崩さず、素直でないけれど、娘を愛し心配する母の気持ちがよく伝わってきたシーンです。
 『JIN-仁-』は他にも色々な感動的な場面がありますが、私は一番このシーンが印象に残っています。
 いつまでも夫の顔が見られない生活が続くと、「何故こんな目に?」
と思わずにはいられませんでしたが、コロナウイルスを悪者にして、
「これはコロナとの戦いなんだ」
と意識すると頑張れる気がしました。

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