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さよならを云いに。札幌の夏


 引き裂かれるような別れ、祝福すべき別れ、あっけない別れ……色んな別れがありますね。どんなときでも、別れとは寂しいものです。
 寂しいものだけれども、さよならを伝えられることは、実は幸せなことなのだと思います。大した人生を生きているわけじゃないけれど、私はそう信じていますよ。
 本記事は、私なりに厚別競技場と札幌の選手とお別れするために、現地まで足を運んだ日の覚え書きです。

厚別ラストだってよ

 厚別公園競技場は、北海道コンサドーレ札幌にとって『聖地』と呼ばれる特別な場所です。札幌ドームができるまでは、ここがメインスタジアムでした。手に汗握る試合、歓喜にわいた試合……。札幌のサポーターでなくとも、厚別での印象に残る試合があるのではないでしょうか。
 そんな厚別競技場は改修工事の為、Jリーグでは7月15日のホーム新潟戦をもって、数年間試合会場として使われなくなることを知りました。
「最後に見ておきたいな。」
素直にそう思いました。できるかどうかは別として、その思いをそのまま夫に伝えてみました。
「連れて行ってあげたいけどね……。」
と最初は後ろ向きな返事をしていました。
 その後間もなく、新潟戦の翌日16日に、サポーターズデーが開催されることになりました。そのことが夫の決定打となったらしく、私の知らないうちに根回ししてくれていたようで、最終的になんとか厚別行きを実現することができました。

クマさんの恐怖

 Jリーグがあってもなくても、いつも「北海道に行ける」というだけでわくわくします。
 今回の滞在中は義実家にお世話になることになっていましたが、最近そのあたりでヒグマが出たという知らせに、内心ビクビクしていました。義母にも電話で、「夜に到着するなら徒歩で来ないように」と念を押されました。気休めですが、カバンにつける鈴を購入したところ、夫に
「要らんだろ……。」
と呆れられてしまいました。

札幌までの旅路

 試合は土曜日。キックオフは13時。(北海道だからという理由で夏でもデイゲームです。)ですので、金曜日のうちに移動しました。夫は仕事を終わらせたその足で空港まで行き、飛行機に乗りました。新千歳空港で、ひとりのコンサドーレサポーターの姿を見かけました。遠い地から厚別に駆け付けようとしていたのでしょう。声をかけることはしませんでしたが、彼と同じ気持ちになれた気がしました。
 電車を乗り継ぎ、ギリギリ金曜日のうちに義実家に到着できました。
 この時から、翌日の雨天は確定していました。「雨の日に試合を観に行ったことなんていくらでもある。」と、私たちはこの雨を甘く見ていました。

土砂降りの聖地

 当日は朝から予報に違わぬ雨。ここまでは想定できていたので、不快な気持ちはありながらも、予定通り出発しました。
 しかしこの雨、いつまで経っても全然弱まらない。確かに雨の試合は多く見てきたけれども、出発する時から帰宅までずっと降りっぱなしなんてことは、初めてだったかもしれません。
 不運なことに今回は、最寄り駅から厚別競技場までバスが出ていません。赤いレインポンチョの人々がずぶぬれになりながら、競技場に向かってものも言わず歩いていました。
 途中、セイコーマートでペットボトルの飲み物を3本調達しましたが、私はすぐにそれを後悔しました。レジ袋に入れて持っていたのですが、みるみるうちに袋の中に雨水がたまっていくではありませんか。このままカバンに入れたらすべて水びだしです。持っているのが嫌になってしまいましたが、我慢してずっと持っていました。
 競技場の近くの川が、ひどく濁ってすごい勢いで流れていました。既にどこかで災害になっているんじゃないかと思ったほどです。
 競技場に着くと何人かのサポーターが、顔や手が隠れるように、ポンチョをすっぽりかぶっていました。アニメ映画『千と千尋の神隠し』のキャラクター・カオナシのように見えました。何をしているのかと思ったら、ポンチョの中でスマホの操作をしているようでした。取り出したらスマホが壊れそうな雨の降り方でしたから、「なるほどなあ!」と思ったものです。私も真似してそうしました。他にも、プールで使うような防水ケースにスマホを入れている人もいました。私も、こんな雨だとわかっていたら用意していきたかったです。
 当時の厚別の様子を例えるなら、辺り一帯が銭湯の床のようでした。その辺に金魚を置いても生きていられると思ったほどです。
 しばらくは、屋根のある場所で待機しました。屋根の下には、同じように大勢のサポーターがいました。厚別行きが決まったときは、「スタグル何食べよう?」とわくわくしていましたが、この時、スタグルを買いにいくことなどまったく考えてもいませんでした。

右側がビジターのゴール裏席。
私の席の足元。小さい魚なら泳げそうだった。


 キックオフ前には、マスコットのドーレくんや、ダンスチームのコンサドールズが近くまで来てくれました。試合を盛り上げるという大切な使命があることはわかっていますが、「無理しないで!」と思わずにはいられませんでした。
 選手入場の際、用意していた紙のメッセージボードを掲げたのですが、何も防水対策をしていなかったので、数十秒で穴が空きました。またそれを見るといたたまれない気持ちになりそうなので、画像は載せないことにします。

弱り目に祟り目

 試合時間が、いつもよりとても長く感じられました。頭から足までずぶぬれになりながら、選手たちが最後までが全力で戦ってくれたのは言うまでもないこと。
 前半はスコアレスで折り返し。試合が動いたのは後半8分。新潟に先制を許してしまいました。
 その後、新潟の選手の反則があり、主審のオンフィールドレビューを経て、後半16分に新潟の選手にレッドカードが提示され、退場となりました。
「勝てる!」
そう思いました。でも、そうはなりませんでした。新潟の堅い守備を最後まで崩すことはできず、0-1で敗戦。
 どっと倒れこみたいような疲労感に追い打ちをかけたのは、新潟サポーターから聞こえてきた、「すすきのへ行こう」のチャントでした。ものも言いたくありませんでした。弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはこのこと。あのチャントを歌った人は全員、あの雨の中、すすきので大量のお金を消費してくれたのだと信じたいです。

厚別との別れ

 負けた悔しさ、雨の不快感で頭がいっぱいで、厚別の見納めに来たことを忘れそうでした。今になってようやく、思い返すことができます。
 アニミズム的な考え方ですが、私は、『場所』にも記憶があると思っています。その場所について、目を閉じると思い出すこと。それは、その『場所』が映し出している思い出なのかもしれません。私たちの脳裏に刻まれた記憶は、『場所』の記憶でもあるのではないでしょうか。もっといえば、『場所』が持っている記憶こそが歴史というものなのではないでしょうか。
 厚別公園競技場が憶えていること。私たちにとって良いことも、悪いことも、そして直近のこの試合も、ひとつの歴史に過ぎません。
 厚別は改修工事で、新しく生まれ変わるだけ。永遠の別れではありません。勝利の歓喜は、いつかの未来までお預けです。

雨で良かったこと

 厚別競技場の席を立つ頃には、今にも風邪をひきそうなほど身体が冷えていました。帰りに『純連』(じゅんれん)というラーメン屋に寄りました。私は醤油ラーメンが好きなので、好んで味噌ラーメンを頼まないのですが、それが本当においしいこと!
スープの表面に油の層があって、最後まで熱々のまま食べられるのです。この日が暑い日だったら、ここまでおいしくいただけなかったでしょう。

麺が見えないのは油の層があるから。

 義実家の最寄駅からタクシーに乗ると、ユニフォーム姿の私たちを見て、運ちゃんが
「厚別行ったの?」
と尋ねてきました。この日に厚別で試合があるということをわかっていました。私は東京に住んでいるので実感する機会がほぼ無いのですが、コンサドーレという存在が、地域に根づいていることがよくわかりました。
 義実家につくと、義母がお風呂を沸かしてくれていました。雨に打たれた後のお湯があんなに気持ちいいものだとは。
 就寝するまでは、レインポンチョを干したり、服を洗濯したり、靴に乾燥機をかけたり、やることがたくさんありました。雨のときに出かけると、帰ってきた後も大変です。夫が着替えとしてカバンの中に入れていたシャツが、飽和状態の濡れ雑巾のようになっていて、義母は「あら~」と、びっくりしながら洗濯してくれました。
 あの日からひと月も経っていないけれど、ザッと雨が降ると厚別を思い出します。


サポーターズデー

 朝までになんとか靴を乾かし、サポーターズデーの会場・宮の沢白い恋人サッカー場に向かうことができました。
 この日は前日と打って変わっていい天気で、歩けば汗をかくほどの夏らしい一日でした。
 練習場の前には、既に長い行列ができていました。暑さを感じていたので、すぐ向かいの白い恋人パークの敷地内でソフトクリームを購入して食べました。前日のラーメンとはまったく逆の理由で、とってもおいしかったです。

白い恋人ソフトクリーム
(ちょっと頭かじっちゃった。)

 ピッチに入るのは、実はこの日が初めてでした。踏む芝生が柔らかく、ピッチ内は外よりも涼しい感じがしました。風が吹くと心地よかったです。
 サポーターズデーの時間は12時から16時まで。そのほとんどを、物販の列に並ぶことに費やしていました。中でも、公式グッズ販売の列を確実に進めていった販売員さんは本当に手際が良く、販売スキルがカンストしている!と感心したものです。
 開会宣言の後、ドーレくんが歩いているのを見つけたので、一緒に写真を撮ってもらいました。ドーレくんに会うのは去年の10月ぶり。彼との再会は今回の大きな目的でした。


↓最後にドーレくんと会った時の思い出です。

 それから、キッチンカーのたこ焼きを買おうと列に並んでいたところ、いつの間にか後ろの方に人だかりができていました。よく見ると某選手が現金を手に列に加わっていました。いつも画面越しか遠目にしか見ない選手が目の前にいる光景は、不思議なものでした。
 選手との関わり方、ファンサービスの受け方についての考え方は人によって違うと思います。ルールを逸脱しない限り、どんな関わり方を選んでも愛なのだと思います。私の場合、あまり選手に話しかけようと思いません。ただずっと見ているだけで、ずいぶん幸せを感じられました。
 ほかには、夫と抽選会に参加したり、アトラクションに参加したり、お祭りのような楽しい時間が過ごせました。

 ひととおり目的を済ませてからは、芝の上に座ってステージを見ていました。サポーターも参加した選手たちのレクリエーション。ファッションショー。選手たちのカラオケ。笑顔に包まれた、とても穏やかな時間が流れていました。彼らが戦うときの表情とは全然違います。戦士たちの休息ってこういうことかな、と思いました。そんな時間を過ごせたのは、多くのスタッフの方々のご尽力あってこそだと思います。思い出に残る素敵な時間をありがとうございました。

 ↓集った選手・サポーターたちと空からドローンで撮った写真。どこかに私と夫がいますよ。

金子選手

 楽しい時間も終わりに近づいてきた頃、兼ねてから海外移籍の報道がされていた金子拓郎選手について、正式な発表がありました。
 薄曇りになった空の下、大勢のサポーターがしんと静まり返って、三上GMと金子選手の話を聴きました。
 金子選手がこの地での思い出を振り返っているとき、言葉を詰まらせて天を仰ぐようにしました。ぎゅっと胸の奥が締め付けられ、時が止まっているようでした。
 祝福で送り出したい気持ち、彼の意思を尊重したい気持ちが半分。でもやっぱり、悲しい気持ち、本当は行かないでほしい気持ちも半分ありました。
 私は、彼のいるコンサドーレを応援できてよかった。彼の名前を歌えてよかった。心からそう思います。

俺らの金子拓郎
誰にも止められないのさ

 その後、金子選手はNKディナモ・ザグレブに移籍してからわずか数日で試合に出場していることを知りました。嬉しい気持ちになりました。彼が海の向こうで最大限輝くように願っています。

選手との別れ

 6月中に中島大嘉選手が名古屋グランパスに期限付き移籍しました。サポーターズデー終了後に、ク・ソンユン選手は京都サンガF.C.へ、田中宏武選手は藤枝MYFCへ、それぞれ期限付き移籍が決定しました。
 改めて、Jリーグとは諸行無常なコンテンツであることを痛感しました。Jリーガーの選手生命とは、花火のように、あるいは桜の花のように、美しく儚いものです。
 特に移籍が集中するこの時期というのもありますが、くびったけになった選手を、次の機会も同じように見られる保証は、実はどこにもありません。サポーターが、移籍を決断した選手を引き留める術はありません。(もっといえば、堅い決意をした人間の考えを変えることは誰にもできません。)
 だから私は、その機会、その機会で選手をしっかり見つめようと思います。それしかできないからです。

今度は出会う為に

 北海道は、また何回でも行きたくなる不思議な場所です。別れる人や場所にさよならを伝えることも大切なことですが、今度は何かと、誰かと出会う為に足を運びたいです。もしかしたら次は、新しく生まれ変わった厚別に行くかもしれませんし、新しく加入した選手を見に行くかもしれません。

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