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伝説が幕を閉じる日

26年。私にとっては想像もつかない年月だ。
2023年12月3日。小野伸二が、サッカー選手として26年間のキャリアを終える日。

引退発表

今年9月27日。彼の44歳の誕生日に本人から、今シーズン終了をもって引退するとの発表があった。年齢の44は、今の彼の背番号と同じ。誰でも印象に残るような、粋なやり方だ。
それを知って私も夫も、行かないという選択肢がなかった。夫はチケットが発売されるないなや、速攻で購入した。

私たちは東京に住んでいて自分の生活もあるから、彼の練習を見学しに行くことも、ファンサービスを受けることも、寄せ書きに参加することもできなかった。
そのような行動も、最後の試合を観に行くことも、私にとっては同じ、自分のためという認識だ。
詰まるところ、彼に伝えたいのは感謝と敬意しかない。だから、最後の舞台で、ピッチから見渡せる景色のほんの一点となって、見送りたかったのだ。

毎回、北海道に行けると決まると心が躍るが、今回は違った。指折り数えて日が経つたびに、彼の引退が近づいていると思うと。それでもSNSにアップされている彼の姿はとても楽しそうで、彼の周りには同じ速さで時間が流れいるようだった。

久しぶりの札幌ドーム

前日の土曜日に飛行機に乗り、札幌市にある義実家に宿泊させてもらった。
当日、札幌ドーム入る前から、辺り一体が人、人、人……。列に並んでやっとの思いで入場した後も、人、人、人……。場所によっては前進することも難しかった。

道路越しに見えた入場待ちの列

都内在住の私には、年に一度来られるかどうかのホーム戦だから、いつもなら現地の友達数人と会う約束を取り付けたくなるところだが、あれこれ約束しなくて良かったと思った。

姿を目に焼き付けて

ピッチ練習中、私は夫としゃべっていることが多いのだが、この日ばかりは何も言わずに、小野伸二の姿を目で追っていた。本当に終わりなのだと思うと、涙が溢れてきた。

選手入場。この日のキャプテンである小野伸二が先頭で入ってきた。私もコレオグラフィー(人文字)に参加した。ゴール裏に大きく「44」の文字があらわれた。
サポーター有志が今日のために準備してきてくれたから見えた景色だ。

前半11分、小野の方にボールが飛んできた。大きく足を上げて対応した。そのひと触れでちゃんと方向をコントロールしていた。
そのプレーは、会場を、画面の前の人々を大きく沸かせた。

その少し後、ピッチサイドには、スパチョーク選手の姿があった。
夫は誰に向けてでもなく、プレーが途切れないようにと願っていた。

最後に札幌がフリーキックを得た。キッカーは小野。私も大きく息を吸って見守った。
ボールは曲線を描いて飛んだが、残念ながら浦和の選手にはじかれてしまった。

伝説が去るとき

前半22分。交代を告げる笛が吹かれた。
彼の周りに選手たちが集まってきた。浦和の選手のひとりが両手をあげて、自チームの選手を呼び寄せているのが見えた。彼が去るところに寄り添う人で花道ができていた。
後でNHKの放送を見返した時、実況の人も云っていた。まさに、試合中の光景とは思えなかった。
万単位の人々の視線、心、札幌ドームの空気、すべて彼のものだった。
それはほんの数秒のこと。これほど美しいものを、私は見たことがない。
26年の現役生活を終える瞬間。彼は瞳の奥に、何を想っていたのだろうか。

その後、後半で2失点。最終戦は黒星で終わってしまった。これに関しては非常に悔いの残る結果となった。

ありがとう

サンクスウォークの際には、セレモニーを終えた後も最後まで残っていた浦和サポーターから、感謝の横断幕と、「小野伸二・オレ!」のコールがあった。それは札幌側にも呼応し、共に彼を讃える瞬間がうまれた。

寒い中札幌に来てくださりありがとうございました

「みなさんの力を合わせれば、こういう景色をつくることができるんです。」
彼はスピーチでそう言っていた。他ならぬ彼の言葉だからこそ、私は「そうだよね」と思うことができた。

小野伸二はなぜ天才なのか。生まれ持ったものだから。たゆまぬ努力をしているから。家族の理解や協力があったから。でも、たとえ同じ条件が揃っても、彼と同じように輝けるとは限らない。やっぱりサッカーの神様から愛されているとしか思えない。

プロサッカー選手としての物語は終わっても、小野伸二と彼が吹かせた風の物語は続いていく。

これから、サッカー小僧としても、サッカー小僧ではないひとりの人間としても、彼が今後の人生を楽しめるように願っている。
この街を、世界を、人々の心を、踊らせてくれて、ありがとう。

そして、彼を支えた奥様とご息女、天国のお母様に、私からも感謝申し上げる。

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