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アメリカ2週間の貧乏旅行記

アメリカ貧乏旅行は、クリスマス休暇で寮が閉鎖される前日からスタートしました。

冬休み中の旅全行程(すべてバス)

旅は全行程で約11,200キロを走破。

稚内から鹿児島までが約2,800キロですから、日本縦断を2週間で2往復した勘定になりますね。毎日800キロ近くバス移動していた計算になります。

無茶な貧乏旅行の醍醐味は若い時にしかできない財産だと思います。

やらない後悔よりやってからの後悔」が経験に基づく財産になる事に間違いなし❗️

Part1:サンノゼ&サクラメント 往復3,000キロの旅

クリスマス前後は、友人宅に泊めてもらいながら現地家庭のクリスマスを堪能。

ホームステイ先では、先ず家中の案内後に冷蔵庫の中まで見せてくれて、好きな時に好きに食べなさい〜と言われても人の家の冷蔵庫を勝手に開けて食べるのは遠慮がでるのが日本人。

ホームステイ1

2日目だったでしょうか? 喉乾いて冷蔵庫開けてジュース出している自分を見つけた友人の母親が「みんな〜来て来て。Hiroshiを見てごらん!」

えっ‼️ 何した❓と戸惑っていたら、

「やっと冷蔵庫開けて食べてくれた。うちの家を快適に感じてくれている〜」と喜んでくれていました。(ホッ〜)

ホームステイ2

Part 2:ソルトレイク  往復2,800キロの旅

初ラスベガスは往復とも休憩の10分程度

一旦サンディエゴに戻り、大学のスキーバスツアーに参加。
ソルトレイクに向かう途中ラスベガスで休憩を入れる車中泊での移動。

ソルトレイクのモーテルに2泊しながらPark WestとPark Cityという最高のスキー場で人生2度目のスキー体験。スキー部だった友人の手解きで新雪斜面も両足揃えて滑り降りれるほどに半日で上達。(実体は転げ落ちるが正解)

Ski in Salt Lake

Part 3:南部テキサス州 往復5,400キロの旅

スキーから再びサンディエゴに戻り、年が明けて今度は一挙に夜行バス(グレイハウンドバス)でテキサス州ウエーコにある姉妹校ベイラー大学を目指して移動開始。ウエーコは、あの炭酸飲料「Dr. Pepper」が生まれた街でもあります。

アメリカ南部の旅

何処に泊まるかも決めず、行きありばったりの旅のお供は「地球の歩き方」一冊と小さなバックパックのみ。宿泊は基本的にYMCAの様な安宿で旅費と時間節約のために隔日で夜行バス(Greyhound Bus)使っての旅でした。

Greyhound Bus

ダラスに向かう夜行バスで隣とひとしきり話し、夜中になって周囲も寝始めたので、シート倒して寝る準備しながら、

“It was nice talking to you. Good night!”

すると周囲の様子を伺って僕の方を向き直して、彼が耳元で囁いたのが、

“This is just between you and me, but I am a gay!”

と告白された時には、その趣味はないとハッキリ言って背を向けて窓に持たれて寝るのがやっとでした。旅しているとまあ色々とありますね〜

予約もせず街に着いてからの宿探しでしたけど、宿なかったら冬の寒空の下どうなっていたのか? 若さゆえの無謀というか無知というか。

ダラスではJFKが暗殺された処を見届けて、そのままウエーコにある姉妹校ベイラー大学に滞在中の留学生組3名を訪ねて行きました。

JFK暗殺現場 Dallas

スマホがない時代にどうやってタイムリーに見知らぬ異国の地ですれ違いなく会えていたか? 記憶に残っていないのですが、郵送の手紙と固定電話しかないですね。スマホに依存し過ぎた生活スタイルとは違い、「不便を楽しむ心の余裕」は持ち続けたいと思います。

ベイラー大学では雪降るなかで半パン1枚に上半身裸のまま寮の共同ランドリーで洗濯。寒さのあまりドライヤーにしがみついて暖を取っていた自分を出入りする学生が怪訝そうに見ていました。

そこから一路、テキサス州の州都であるオースティン経由して、サンアントニオでアラモ砦など観光。

The Alamo in  San Antonio

まさか卒業して2年後にダラス隣町のフォートワースに単身駐在で3年間住み、その後Dellに転職しオースティンを行ったり来たりする人生が待っているとは夢にも思っていませんでした。

そして、サンディエゴに戻る前にサンアントニオから途中ツーソンで下車。

マクドナルドの注文が全てスペイン語だったのにメキシコとの国境を意識せざるを得ませんでした。「地球の歩き方」で知ったトニーラマのブーツを買いSDSUに戻ったら、Zura Hallのペントハウス入寮許可が待っていました。

さてSpring semesterは何が待っていたのか?お楽しみに〜

Tuscon

正月挟んで2週間音信不通だったので、両親は一体何処で何をしているか心配のあまり大騒ぎになっていたようです。本人はというと貧乏旅行達成感に浸っていて親の気持ちなど全く気になってはいませんでした。

息子に大学卒業後の就職前に貧乏旅行進め、彼が台湾出発して、ベトナム、カンボジアからタイなど東南アジア旅行中にスマホあっても音信不通で、人の親になって初めて親の気持ちというものが判ったりですね。

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