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笑われながら成功した人はいるが、他人を笑って成功した人はいない

昔の私は、意識高い系女子を見て「自分にはむりだわー」と笑ったり、
新しいことにどんどん挑戦していく人を見て
「やりたいことだけやってても意味ないよね」とか
「どうせ失敗するよね」とか
陰口を言っていました。

それもこれも、
自分にその人たちと同じようにする勇気がなかったのと、
素直にまっすぐ行動することがなぜか恥ずかしいと思っていたからだと思います。
若かったのね。

ぬるま湯につかっているカエルは、
少しずつお湯の温度をあげられても気づかずにつかっていて
最後はそのまま茹って死んでしまうそうです。(本当か何かの例えかはわかりませんが)

初めから熱湯だったら触ってすぐ気づきますが、
少しずつじわりじわりと温度が上がっていることには
気づきにくいんですね。

昔と同じやり方で、
自分の慣れているやり方で、
ずーっと同じように成果が出せるとは限りません。

ある程度経験を積んで慢心し、
自分がぬるま湯につかってゆったりしていると思ったら、
もうすでにゆであがっていた。
なんてこともあるのかも。

怖いです、、、。

初めに書いたように、
昔の私は
新しいことに挑戦する勇気も、
元気もありませんでしたが、

たくさんの人との出会いによって
考え方が少しずつ変わっていきました。

周りから何を言われても気にせず自分のやりたいことを貫く後輩や、
海外でマーケティングを勉強しながらカフェ開設を目指す友だち。
上司に堂々と反対意見を言える同僚。
婚活を一人でこつこつ続けている友だち。
起業に向けて自分のアプリ開発をしている彼。

今までの私だったら、
この人たちを遠くで見ながら
「よくそんなできるよねー」とか言って
冷笑していたかもしれません。

自分は何も行動に起こしていないのに、です。
本当に恥ずかしい人間だわ。笑

実際、そんな一生懸命な人たちを前にすると
劣等感や妬みみたいな感情がわいてきて、
素直に応援できない気持ちもありました。

でも改めて考えてみると、
今の私の考え方、人生観を作ってくれたのは、
【自分と違う考え方の人】の存在だったと思います。

同じ考え方の人と一緒にいるのはとても心地よく、
まさにぬるま湯で安心感しかなかった。

でも違う考え方の人と出会えたことで、
「やベっ、もうちょっとでゆであがるとこだったわー」
ってぬるま湯が温度上がっていることに気づけた。
みたいな感覚です。

人を笑っているうちは、自分たちが正義だと勘違いして心地よくいられるけど、
人を笑っているうちは、その他大勢でしかなくて何者にもなれないよなぁ、
キラキラしている人はたいてい人に笑われながらも努力を続けることができる数%の人だよなぁ、
なんて思ってしまいました。

人目を気にしないことは私にとってとても難しいことですが、
まずは他人を笑う側から笑われる側になってみよう。
と思い始めています。







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