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多様性を受け入れるってどういうことなんだろう。

ゲイカップルの友だちがいる前で、ドラマで男の俳優さん同士のキスシーンがあったという話題になり、つい「えぇー気持ち悪い」って言ってしまったことがある。

すぐにはっとしたけど、私は謝らなかった。その時はみんなも笑っていたけど、なんて言ったら良いかわからないくらい恥ずかしかった。

女装男子、ニューハーフ、おかま、おねぇなんて差別用語なんだろうけど、私が子どもの頃のテレビはそんな言葉ばっかりで、

染みついてしまっていたんだろうな、私にも。

とても恥ずかしい。今でも思い出すと恥ずかしい。

友だちのことは理解しているつもりでも、どっかに自分の中の「普通」がでっかく陣取っていて、それ以外を馬鹿にしたり遠ざけたりする。そんな自分がまだいるんだな、と思って悔しくなった。

小学校でも、中学校でも、オネェ系の男子の友だちはいて、仲も良かった。一緒にアイドルがかっこいいと盛り上がったりもした。

でもきっと、私はその子と友だちだったから、自分は多様性を受け入れられる人間だと勘違いしていただけで、テレビでやってる性的マイノリティに対する差別には何も関心を持っていなかったんだろうな。

テレビの中の人たちも、親も、私も、当たり前のように差別ばかりのバラエティで笑っていたし、
知らず知らずのうちに差別文化を植え付けられていたんだな。

知らず知らずのうちに自分と違うものを遠ざけて笑ってしまうことを、自分のせいだとは思わない。

きっと今までの私のいた環境がそうさせているし、そういう自分を作った。

ただテレビを見ていただけで、
ただ親と話していただけで、
ただ友だちとつるんでいただけで、

何も考えずに生活していただけで、
私の中には差別心が育っていたのかもしれない。

実家の近所に性的マイノリティの夫婦が住んでいて、親が仲良くしていたら違っていたかもしれない。

アメリカに生まれていたら違っていたかもしれない。

知らず知らずのうちに自分の中に入ってくる情報が、自分の思考の道筋を立てていくのだと思う。

私はきっとまだ、性的マイノリティの人たちを根っこの部分で理解していないのかもしれない。

でも、私の友だちがきっかけをくれたんだと思う。

私は友だちをもう傷つけたくないし、自分の中の「普通」をこれ以上大きくしたくない。

思考の道をこれ以上太い一本道にはしたくない。

そのために、情報は自分で取りに行こう。

いつまでも誰かに動かされるのではなく、たくさんの知識を得て自分で選び取ろう。

いつでも寄り道できるように、
いつでもやり直せるように、

柔らかい細道をどんどん増やして、
行きたくなったらどの道にも行けるようにしておこう。

私の周りにはいつも、
私を成長させてくれる人がいる。

多様性を受け入れるって、
私にとってはまだまだ難しいことだけど、

友だちのおかげで一歩は踏み出せた。

もっと成長できるようにいっぱい考えよう。

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