海の向こうのエルサレムへ
先週末、家族みんなでエルサレムに登った。テルアビブから高速で一時間弱。巡礼でも訪れた場所だが、来るたびに何故か神聖で新鮮な気持ちになるのは、エルサレムストーンで作られた美しい建物が、朝な夕なに輝いているせいかもしれない。
イスラエルはシャバットの準備が金曜から始まり、会社などは金土とお休みなところも多い。そして日曜日は平日だ。異邦人にだけ許される?車の運転で、介護施設で働く友人と少しだけ会う。
年上のアラカン仲間に聞いた話、大変なのは45日ごとに3万円の健康保険の支払いだという。もちろん職場でも保険を掛けてもらっているらしいが、海外で働く時は給料より、保険のことをまず心配したほうが良さそうだ。
働き手が兵役にいっているため、出稼ぎの外国人の労働者は少なくない。戦時下のせいで主に中国人が多い。アジア人の扱いについて、お嫁さんが言うには、言葉がわからないと思って、悪口を言っているのをよく聞くと言う。彼女は英語とヘブライ語がほとんどネイティブに近いので、聞いていていつも嫌な思いをしているようだ。その国で働く時、ほんとに語学は大事だなと思った。言い返し、主張しなければ、いいように扱われるのは確かだ。
そして彼女はエキゾチックな目鼻立ちで美人だ。日本人特有の顔平族ではない。それでも一緒に出かけた時、スーパーのロシア人のレジ打ちの女性から私が感じたのは、明らかな差別。言葉がわからなくても、視線や、態度や荒っぽい口調を隠さない白人は多い。
お嫁さんがこちらに来たばかりの頃、バス停で「あなた家のメイドになりなさいよ。仕事探してるんでしょ、お手伝いに来てちょうだい」と英語で声をかけられることもあったそうだ。ヘブライ語で「すでに仕事をしている」と言うと「何の仕事か」と聞かれたので、「日本語学校の先生だ」と言うと急に、「私も前から日本語に興味あったのよ」などと言って態度をガラリと変えてすり寄ってきたという。
コロナの時期に酷かったアジア人差別は、形を変えてまだあるのだと国を出てみて痛感した。さらにユダヤ教やユダヤ人に対する世界的な偏見や差別は、この戦争を得て、ますますひどくなっていると感じる。ヨーロッパ各地で、あからさまな排斥や、暴力を振るったりといったことも、ニュースで流れてくるからだ。
どこに住んでも自分たちの律法をまもり、シャバットを続けてきた『記憶の民』がようやっと手に入れた祖国はここ、イスラエルしかない。
このたび祖国に帰ってきた人たちは、人質を取ってテロを正当化しようとするハマスを憎んでも、パレスチナ(いつこの言葉ができたか、ぜひ調べてみて欲しい)人を全部が全部、排斥しようとは思っていないだろう。何故ならユダヤ人は迫害の痛みを今も背負っているからだ。民主主義国家では、必ずしも政治的な動きと市井の民の心が一致しないのは日本を見ても明らかだ。
今はこの町で、ミサイルアラートを聞かない日々が続くよう祈りつつ眠ろう。
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