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あまり知られていないが、カザフスタンは世界で第九位の国土面積を誇る。広大な大地は鉱物資源や石油や天然ガスなどのエネルギーに恵まれているものの、その豊かさや自然の美しさはまだ日本の人たちには遠い存在のように思える。おそらくカザフスタンと聞いて、何かのイメージを思い浮かべられる人はなかなかに多くはないはずだ。

私はどうしても「カザフスタン」と聞くと同国をフューチャーした(同国の面を汚した)『ボラット』という映画が脳裏に浮かぶ。主役のボラットはカザフスタン人という設定で登場する。内容はカザフスタンからアメリカへ派遣されたボラットが世界でNo.1の先進国の文化や流儀を学ぶ、というものだ。

しかしながら、かなりきつい人種ネタや下ネタが多いため、かなり好き嫌いが別れるはずだ。また、あくまで「カザフスタンという未知の国から来た」という提なので演じられているだけなので、紹介される文化も言葉もめちゃくちゃ。そのため、カザフスタンを勉強するためには全く役には立たない。ただ、残念なことにこれが最近で「カザフスタン」という名前が知れ渡った最も大きい影響力を持ったものだろう。興味のある方は細かい点をご自身で確認して欲しい。

カザフ語が教えてくれること

さて、カザフスタン、カザフ語の話に戻る。

カザフスタンの国語であるカザフ語は他の大多数のテュルク系の言語と同様に、日本語と語順が同じだ。つまり、「主語ー目的語ー動詞」の順番を基本としている。そのため、語彙の違いはあるものの、日本語を逐語訳的に置き換えればそれなりのカザフ語の文章が完成してしまう。

ところで、英語で語学が嫌いになった人は是非、テュルク系やモンゴル系の言葉を是非、根気よく学んでみて頂きたい。そうすれば、英語だけが語学の全てではないということに気づけるはずだ。ただ、カザフ語は後述するように、大学書林の文法書はあってもレッスンを含めた教科書が日本語で出版されていないと思うので、難易度は高い。また、他の点も初学者には手に取りづらいことがあるので、それについては後述したい。

きれいな正書法

個人的にはカザフ語は美しく見える。それには理由が二つあって、まず独自のキリル文字を使うこと、それから一文字一文字が発音にきれいに対応している(ように思う)ということだ。どこかの言語のようにある文字が二つ並んだら「こう」、この文字の組み合わせだったら「こう」とイレギュラーが少なく、勉強していても気持ちがいい。このような正書法やつづりを持つ言語は最初の学習ステップで余計な時間を使わないので助かるのだ。

個人的な印象だと、正書法がきれいに発音と一致する言語の書き言葉というのは歴史が新しいパターンが多い。例えば英語やフランス語のように書き言葉の歴史が長い言語は不規則な読み方が多くないだろうか。逆に一九世紀にできたフィンランド語の標準語は"ng"を例外とし、基本一文字一音に対応しているスマートな正書法を持っている。カザフ語もそのような正書法を持っているように感じる。

もちろんこれは難点でもある。初学者には手に取りづらいことの一つと考えるのが「独自のキリル文字を使う」という点だ。もちろん、ロシア語やブルガリア語、モンゴル語などすでに他のキリル文字を使う言語を勉強された方には一段と敷居は低くなるが、なかなかそういう人は少ないだろう。

さらに、カザフ語はほぼカザフ語でしかみられない文字や他のロシア内のテュルク系言語等に共通して使われるキリル文字を使っており、ほんの少しだけロシア語などよりは量が多い。逆に言えば、次のような文字が含まれた文章があれば、高確率でカザフ語である可能性は高い。例えば、ロシア語などからみると、次のような文字がカザフ語にある:

Ә Ғ Қ Л Ң Ө Ү Ұ Һ І 

特に決定的な文字は短い"う"のような発音を表す"Ұ"だ。私は少なくともカザフ語以外にこの文字を使っている言語を知らない。一方で"І"のような文字もある。これは一九一八年頃まではロシア語にも存在していたが、正書法改革により消滅してしまった。その文字がカザフ語では現在も使われているのである。

ロシア離れするカザフ語

そういった意味で、カザフ語とそれを国語とするカザフスタンはキリル文字からみると、ギリシャ文字〜教会スラブ語時代〜キリル文字〜ソビエト連邦の「新正書法時代(ヤナリフ)」を経て、現在のカザフ語に辿りつていると考えられる。ソビエト時代にカザフ語はアラビア文字での書き方を止めて、ラテン文字に移行した。その後、キリル文字となった。

その点で、自らの言語アイデンティティーを振り返る際にカザフ語はロシアの政治体制変動の歴史に補強されていると言えるかもしれない。またロシア語と文字を使うことにより、ロシア側に一種のシンパシーを感じさせる効果も期待できる。

そして、現代、カザフスタンはどうも文字から見るとロシア語離れをしたがっているようだ。これが国際情勢にとって、そしてカザフ語にとっていいことか悪いことかはわからないが、その結果、カザフスタンはキリル文字の使用を廃止し、ラテン文字への移行を二〇一七年に発表している。

しかし、アポストロフィーなどがついたラテン文字について一悶着あり、二〇一八年にはそのような記号がつかないラテン文字にするとの決定がされた。TRTによればカザフスタンは二〇二五年までにこの言語改革を終わらせる予定になっているらしい。

アポストロフィーがついたアルファベットを避けるということは「トルコ語であればセディーユをつけて"ş"としているものを、ウズベク語では"sh"で「シュ」と書き表す」というようなことを新しいカザフ語の正書法ではやろうとしている、ということなのだろうか。

結局のところ、想像なので言いたいことは何でも言える。ただ、まずアポストロフィー付きのラテン文字はいま使われているソビエト譲りのカザフ語の文字を単純に置き換えただけのように見えなくもない。

次に既存のフォントやユニコード、活版が使えない文字を導入した場合、不足分の文字を開発し、導入しなければならないのでコストも上がるだろう。

それならばもっとグローバルに通用でき、経済的な負荷もより抑えたアポストロフィーなしの文字の方が合理的と考えるが、どのような議論が国内で沸き起こり、「アポストロフィーあり」が「なし」へと転じたのか、私は存じていない。

ただ、個人的には今のキリル文字の方がカザフスタンの複雑な歴史を感じるし、面白い文字の形も相待って好きだ。逆にこのような文字の方が言語オタクとしては勉強するときに楽しいと思っている。新しいカザフ語の選択をカザフスタンがどの様にするのか興味があるところである。

#とは

オススメ

カザフ語の学習環境はソビエトがなくなった三十年前くらいから、少しも変わっていないように思うのは気のせいだろうか。そういった意味で日本でカザフ語は不遇の地位にあるように思う。

日本語で読めるカザフ語の教科書は大学書林の『カザフ語文法読本』が唯一ではないだろうか。ただ、これは文法の読本なので白水社の『ニューエクスプレス』シリーズのような手軽な学習書とはいえないだろう。そのため、手軽な読み物系の学習書となると英語やロシア語の教科書がメインになってしまう。手軽な読み物系の教科書といえば"Colloquial"シリーズが頭に浮かぶが、なにぶん値段が高くて、学生などには購入を勧められない。

となると結局、行き着くところはロシア語の教科書となってしまい、オススメするにはまた、敷居が高くなってしまう。トルコ語でもあるだろうけれど、ロシア語より流通度はもっと低くなる。とほほ、である。

総合すると今のところ、投資をするような覚悟でオススメできるのは英語で書かれた"Turkicum Book Series"の"Kazakh"である。値段も安く、二〇〇ページちょっとの分量で、しかもkindleだから即日で手に入る。それでカザフ語はどんな感じなのか俯瞰できるだろう。内容は一見しっかりしているよう見える。"Turkic"という名前を全面に出しているので、それぐらいはしっかりやってもらわないと。


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