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【青秀祐、江川純太】二人展「色相は8月の冗談でした」鑑賞メモ

eitoeiko で開催していた二人展を見に行った。出かける前に、Facebookページで、作品画像を見ていた。下のリンクの4枚の写真の左下の写真が特に印象に残っていた。

青秀祐、江川純太 色相は8月の冗談でした 9.3 - 9.18 出品作品

Posted by eitoeiko on Tuesday, September 14, 2021

この作品《Assembly/001-A》(2021)であり、前述の写真を見た感じではプラスティックか、何か固い材質を使った立体作品だと思っていた。

ギャラリーの扉を開けると、すぐに作品と対面する。


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一目見て、これは布のようなものだと理解した。合皮を使って作られている。そうした意味ではハンドバッグと呼べるかもしれない。ダメージを受けたと思われる穴が無数に開いており、記号のような英数字が大きなモチーフになっている。この記号のフォントはミサイルなどの兵器に印字されているものを模しており、ダメージを受けたような穴はレーザーカッターによって彫刻したという。兵器を思わせる外観に対しての合皮という素材、これこそアイロニーに溢れている。

アーティストと話をすることができた。作品を写真で見たとして、それで終わりではなく、現場に足を運ばせたい。そうした鑑賞経験を作ることに楽しさがあるという。

なるほどと思ったものの、その作品写真がどのように露出していくのか、それを見て納得してしまったら、現場で確認するというモチベーションをどのように醸成するのか。デジタルマーケティングに関わっている身からすると、そうしたことが気になったが、些末な事だろうと思う。

一方で、写真というメディウムについて思い至る。目で見たままではない写真の特性を展覧会の会場とSNSでのメディア拡散によって、その違いを可視化させているのではないか。


デジタルでの関係性の構築あるいは、デジタルでの身体性とはどのようなものなのか。現場でエンゲージメントを高めてきた現代アートだが、デジタルアートも現代アートの範疇なのか違うのか。デジタル上で表現するだけでは無いなにかがあるだろうか。

デジタルへのシフトは間違いなく起こっている。最近、本業でオンラインミーティングを行ったが、先方はリアルで、現場で会うことで信頼感を醸成できると主張していた。確かにその通りであるが、リアルか、バーチャルかという二項対立は、既に通り過ぎているように思う。




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