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妖精の国で友を探す | アイルランドと私 #4

ゼルダの伝説の世界に憧れてアイルランドに住み始めてしまった人の、旅の記録です。植物の調査をするお仕事をしています。移住の経緯は自己紹介へ。

23歳で地元東京から初めて離れ、北海道に引っ越した。その時一番苦戦したことは、友人探し、居場所探し。大人になって、いざ新しい友人を見つけるとなると、これがなかなか難しい。誰かと日々を過ごし、何かに共に没頭できる機会も時間も、得難くなってくる。

アイルランドに住み始めた時も、例に漏れず、大いに苦戦した。「一緒に出掛ける知り合いも出来て、楽しいな!」となるまでになんと渡航してから10ヶ月を要した。今でも、アイルランドに居場所があるような宙ぶらりんのような気持ちではあるが、滞在1年目という節目に、現地についてからの友だち探しで出会った人やもの、自分の心持を、少しずつ回想したいと思う。


妖精の国で友を探す

登山グループに入会しまくる

北海道で働いていた会社に、ドイツからやってきた同僚Rがいた。彼女は北海道に来てからものの一週間以内で、知り合いゼロの状態からあっという間に休日を共にする友人を作っていた。
「コツは?」と聞くと、
「Meetupを使って、同じ趣味の人たちと会っているんだよ」と教えてくれた。
Meetupとは、利用者が好きなテーマでコミュニティを作り、イベントを開催出来るアプリだ。日本よりも、ヨーロッパで活発に使われているらしい。

Rに倣い、ダブリンに住むと決まってから、早速その近郊で集まっている登山グループに片っ端から登録しまくった。準備は万端だ。

主人公ばりの自己紹介

「私みはら!湿原が好きなんだ。よろしくな!」
主人公が新たな仲間に言う自己紹介、そんなテンションの文言で、登山中に会う人会う人、名乗りまくった。アイルランドに到着した去年9月、この国に私を知る者はほとんどいなかった。まだこの時は1年契約で、この先も居られるのかは分からなかった。だからとにかく生き急いだ。顔見知りを増やさねば、痕跡を残さねば、あわよくば、良き友と出会いたい。

グループで登る登山は楽しかった。私が日本人と聞くと、日本に是非一度は行きたいと言ってくれる人達(桜を見る、が一番人気の目的だった)や、眺めの良い場所で周辺の山々を「これがアイルランドの山だ!」と丁寧に解説してくれる人もいた。林に身を寄せて雨宿りをしたり、登山後には麓のカフェでお茶をして、解散、なんてのも素敵な思い出だ。

登山では主にウィックロー国立公園の山を縦走した。
ここはグレンダロック(Glendalough)というU字谷に向かう途中。
アラゴルン、レゴラス、ギムリが駆けたローハンのような岩がちな草原が広がる
登山に雨降りはつきものといっても、アイルランドの山の降水量はすごい。
雨脚が強い時は植林地の中に避難して、ほっと一息
グレンダロックの駐車場を出てすぐのところにあるカフェ、Glendalough Green。
登山終わりにメンバーとここでお茶をするのが定番だった

ただ、Meetupで集まる人達はその時その時で流動的。全く同じメンバーが集まる時は稀で、一期一会といった出会いが多かった。言葉の壁もあり、懐になかなか入れない。贅沢かもしれないが、私は自分が帰る場所と呼べるようなコミュニティが欲しかった。

ナイトハイクでの出会い

「今日参加しているSが、山の湿原で木製のダムを作るボランティアをしているわよ。今ここに呼んであげるわね」
あるナイトハイク(夜の登山)のイベントで、1人のご婦人にいつも通りの自己紹介をすると、そんなことを言われた。

ダム作りとは、湿原の乾燥化を止めるための保全活動の一つだ。アイルランドの湿原保全の役に立ちたくて、北海道で湿原の研究していた私にとって、このご婦人の言葉は幸運の巡り合わせだった。
彼女は登山道に列を作る参加者の中からS氏を呼びつけて、私のことを紹介してくれた。S氏はReWild Wicklowというボランティアプロジェクトに参加し、その一環でダムを作ったのだと言う。

山地湿原の乾燥化と土の流出を防ぐための、手製のダム。
段階的に水を堰き止め、そこにミズゴケのマットなどの湿原の基盤が再生することを狙っている
水が溜まるとこんな風に緑色のミズゴケ(ハリミズゴケなど)が水面を埋め始め、
この遺体が泥炭となって蓄積され、湿原が再生されていく

「寒くなってきたからね、ダム作りはまた次の春になるかもしれないけれど、冬の間は植樹なんかもやるらしい。興味があれば、ここへ連絡してみると良いよ」
家に帰ると、登山の疲れもすっかり忘れて、S氏から渡されたReWild Wicklowのメールアドレスへ早速入会希望を送った。

ずぶ濡れのボランティア

ReWild Wicklowは、アイルランド東部のウィックロー国立公園で地元民が始めた環境保全活動を元とするプロジェクトである。今や環境省公認となっていて、指導員としてレンジャーが来ることもしばしばある。参加者は学生から退職したお父さん達まで、ダブリンやウィックロー住まいの、自然に関わりたいと思っている人達が集まっていた。

山でのダム作り、古い生垣の再生、禿山や川の畔での植樹、海岸での外来種駆除、湿原での灌木伐採など、ウィックロー州内にて非常に多岐にわたる自然保全活動を体験させてもらった。私は文字から立体的な構造を想像することが苦手なため、アイルランドで問題になっている環境問題とその実践的な対策について、論文や新聞記事からではなく、現場で身体を動かして覚えることが出来たのは、良いスタートダッシュだった。それに、ウィックローのあの山には、私が植えた木や作ったダムがあるのだと思うと、もし1年しかいられなくても痕跡を残せた気がして、この冬は達成感があった。

ダム作りは、こういった山の上の湿原(blanket bog)で実施した。
雲一つなく明るい街を見下ろしながら、常に曇り空と雨の中の作業だった
ノコギリやスラッジハンマーなどのいかつい道具を使って、劣化した泥炭湿原にダイナミックにダムを挿入していく。
北海道の山では周辺を傷つけないように、そっとヤシロールなどを置くだけだったので、効率重視!なこの工法は興味深い
真ん中の女性は環境省のレンジャーで、アルプスやヒマラヤにも登る登山家。
ノコギリで指を切って血が出ていても、「次行くよ!」てな感じでかまわず土まみれで作業を続ける女傑だ

一つ思い出深い日として、海岸で特定外来生物のシーベリー (Hippophae rhamnoides)をひたすら伐採&運搬した時のことが挙げられる。作業を終えて解散となった後、そのまま海岸の植物観察に勤しんでいた私は、ふとさっきのボランティアで私に枝切りバサミを貸してくれたJを見かける。彼は誰かを連れて先ほどの作業場を歩いており、砂丘の上から手を振ると振り返してくれたので、駆け寄った。隣にいたのは彼の母親だった。何でもJは実家が近く、折角なので何をやったのかを見せて回っていたのだという。このJの家族を大事にしているエピソードだけで私は十分ほっこりしていたのだが、しばらく会話を交えた後、母親のBが「ねえあなた、一緒に家でお茶しましょうよ」と誘ってくれたのだ。憧れのお家にお呼ばれだ!と思い、私はお言葉に甘えて彼らの家にお邪魔したのだった。3匹のワンちゃんに囲まれて、彼女の手塩にかけた庭に咲き始めたスノードロップや、キッチンの窓から見える餌台に来た小鳥達を眺めながら、ビスケットと紅茶をごちそうになった。

次の日出勤して、同僚Fに「休日は楽しめた?」と聞かれて意気揚々とこの日のことを話すと、「なんて素敵でなんてアイルランドらしい日をすごしたの、みはら!」と彼女は嬉しそうに笑っていた。

海岸沿いの砂丘に繁茂した外来種シーベリーを駆除するボランティア。
グミの仲間で、秋につけるオレンジ色の実はジャムなどに出来る。
一度生えると根が深く、幹は太く、根絶が難しい
この日駆除したシーベリーの屍の山。
これだけ伐っても全然足りないくらい、まだまだ砂丘を覆いつくしている
ボランティア終わりに、主催者がフラップジャック(左)とキャロットケーキ(右)を用意してくれた。二つとも、アイルランドで定番のおやつ。糖分が身体に染みる…
お呼ばれしたお家のお庭。
まだ春先で、花はこれから咲く。
主に彼女が現場監督し、息子のJが手伝いをしているらしい

妖精の国

ところで、司馬遼太郎は、彼の紀行文集「街道をゆく」にて、W. B. イェイツ、J. M. シング、J. ジョイスを代表とする文学大国であるアイルランドを旅し、この国をこう評している。

アイルランドには資源はないが、妖精だけはいっぱいいる。
これほどの妖精大国は、EC諸国のなかにはないのではないか。
ゴールウェイを去って南へくだる途中、妖精たちが頭のなかに入りこんだように、そのことでいっぱいになった。

司馬遼太郎 著 『街道をゆく 31 愛蘭土紀行 II』 朝日文庫

またイェイツ(アイルランドの文学者であり、ノーベル文学賞受賞者でもある)は、アイルランドで口伝継承されていた妖精物語を、語り部である農民達に聞き取り蒐集し、文字としてこの世に残した。彼は語り手達が如何に妖精をさも当然のように信じているかを所々で書いている。

西の地方の村にさえ、うたぐり深い人々はいる。ある女の人は昨年のクリスマスに、私に地獄も幽霊も信じないと話してくれた。地獄と言うのは、人々に善良な心を持たせておくために牧師が考えだしたものだし、幽霊はみずからの自由意思で、この世を歩き回ることが出来ないものだが、「でも妖精や小さなレプラホーン、水棲馬や堕落した天使はいる」と彼女は考えていた。

W. B. イェイツ 著・井村君江 訳 『ケルトの薄明』 ちくま文庫

ゼルダの伝説でも、妖精はリンクを導き助けてくれる大切な存在だ。私はこのような各評を見聞きし、アイルランドは妖精が今も息づく国であり、私も彼らにいつか出会いたいと願った。住む予定のダブリン南部の地図を眺めて、山の上にFairy Castleという文字を見つけた時にはそれはもう胸が高まった。行く前から、私の頭にも妖精が入り込んでいったのだ。

Fairy Castle。
アイルランドの妖精は大抵、こういった塚の中に住んでいる

古い生垣を植樹で再生するというボランティアで、その存在を感じ取ったことがあった。開催地はワラビの草原で、古いサンザシ(Crataegus monogyna)の木がぽつぽつと取り残されていた。そこはかつての農場で、サンザシは生垣の残骸である。作業が終わると、参加者はサンザシの木を眺めて、皆うっとりとしていた。口々に「サンザシの木は良いね」と呟く。私はアイルランドの昔話で、サンザシは妖精の家で、周りで踊ると彼らにさらわれてしまう、というのを読んだ記憶があった。確かめるように「アイルランドで特別な木なんですか」と聞くと、「サンザシは特別だね。魔法の力を感じる木なんだ」と一人が言う。すると誰も疑わず、賛同するように皆がうんうんと頷き、「だから切らずにこうやって残ったものは良いものだ」と言っていた。なるほどやはり、ここには妖精や不思議な存在の力が今も強く残っているにちがいないようだ。生垣は、動物が身を隠しながら移動できる緑の回廊、鳥の餌資源として機能する。しかし同時に、こうして人の心や土地に魔法を宿す、アイルランドの情緒に重要な役割を果たしているのだ。

赤い実をつけている、古いサンザシの木。
このサンザシから坂の下のハンノキの河畔まで、植樹して生垣を再生しようというボランティア
斜面上の植樹林から、下のハンノキの河畔林まで、生垣をイメージして植樹した。
周りにある柵は、増殖している二ホンジカが若木を食べるのを防ぐ

植物が、芽吹いてしまった!

山の上でずぶ濡れになりながら、木を植えダムを作り過ごした雨勝ちの冬が終わり、ついに春が来た。

しかし一方で私は焦っていた。植物が、ついに芽吹いてしまった!植物調査員にとって、それが何を意味するか。仕事が始まるのだ。私は会社で唯一の植物調査員で、同僚達は良い人達ばかりなので、「春になったら、調査をお願いするね!」と信頼してくれていた。しかし、日本から来たばかりの私は、もちろんアイルランドの植物を改めて覚える必要がある。内心冷や汗がダラダラだった。一からということではないが、それでも「種としては初めまして」ばかりなのだ。同僚の前で知ったかぶりをする必要はないけれど、信頼を裏切りたくはなかった。さらに、私はその時点では1年契約の身であったため、「会社に貢献出来ないと、来年以降の契約がもらえないのではないか。出来る限り予習して、言語のハンデを覆す働きをしなければ、この国に留まれない」異国から来た挑戦者として、そんなプレッシャーが重くのしかかっていた。

春になり、同僚から調査の依頼が来たら、その調査地に類似した環境へ調査日の前の休日に赴き、出現している植物を事前に頭に詰め込むことにした。土日に予習しては、平日調査へ行く生活だ。すると、冬の間にせっせと通っていたボランティア活動になかなか参加する時間がなくなってきた。折角少し顔なじみも出来て、楽しくなってきたと言うのに、これでは居場所になる前に皆に忘れられていそうだ。しかし、植物観察は一箇所につき、最低4時間はかかる。家に帰ってきたら採取した標本と夜までにらめっこ。移動時間も含めると、一日で二箇所片付いたら上々だ。そうやって独りで植物を覚える日々が続き、やはり寂しさが出てきていた。誰かと、話したい!

調査地は農場が多いため、公園兼牧場になっている場所で種を覚えた
石灰質の草原での開発事業に住民から反対意見が送られ、その対応で私が植生調査をすることになった。
写真の場所は調査地に環境が似ている&立ち入れるため、休日よく来ては勉強させてもらっていた
調査地は開発事業が行われる=人里近いところが多く、こういった路傍の花々も頻出である。
写真は、在来種のブルーベルと外来種のスパニッシュブルーベルの合いの子

欲張りセット

植物を勉強しつつ、同時に友人も作れる場所、そんな欲張りセットはないんだろうか……あったら苦労しないか……

あった。Botanical Society of Britain and Ireland、通称BSBIと呼ばれる、イギリス諸島最大の植物学会だ。会員達は日々、アイルランドとイギリスに生育する植物を記録し、各種の分布を管理するデータベースを更新している。

例として、先の合いの子ブルーベルの分布図。
承認を受けた会員が地域の代表調査員となり、諸島の植物一種一種の分布をこうして整理している
出典:BSBI, "Plant Atlas 2020" https://plantatlas2020.org/atlas

ふとBSBIのイベントページを見つけた。そこには、アイルランドとイギリスで開催予定の植物観察会が、5月から9月までの毎週土日、びっしりと掲載されていた。その多くは、地域の代表調査員が先導をして、一緒に植物を記録・観察しようというもの。アイルランドの植物が大好きな人達と、植物を勉強出来る。しかも毎週だ。開催地はどこもダブリンから車で片道3~4時間。近くはないけれど、植物を覚える一番の近道はいつだって、詳しい人に教えてもらいながら歩くことだ。同じ植物好きの人達にも会える。これだ!と思った私は出来る限り参加すると決めて、各主催者の連絡先に参加表明した。

その内の一つが、前回のドニゴールの旅である。

参加者はライフワークとして植物の勉強をしている人、私と同じ環境調査員、行政で生態学分野を担当している職員等、様々な植物の専門家が一堂に会していた。基本的な植物種の名前のみならず、台頭し始めた交雑種や、内陸に現れる海岸植物など、アイルランドで注目すべき最新の情報が飛び交っていた。一方で、植物好きと言っても十人十色、先生と呼び慕われることを望む人、対等な関係で素朴な会話を好む人、拙い英語で話を交えながら、試行錯誤でコミュニケーションを取った。植物と人間の観察で、日の終わりには毎度頭が燃料切れになる。コミュニティに入りたての時は、言語関係なくこういうものであるから、こつこつ頑張ろうという心持ちである。

ターロック(Turlough)と呼ばれる冬は湖、夏は草原の面白い環境を観察する一同

ダブリンフィールドネイチャークラブ

BSBIの記録会は充実していたが、何ぶん開催地が西部ばかりで、なかなかに遠い。ガソリン代・外食代・車の維持費で毎月カツカツで、金銭的な問題で断念する日もあった。するとある時、ダブリンの東、ミース州に住む参加者M氏から「西部は遠いわよね。もしダブリン住まいなら、ダブリンフィールドネイチャークラブ(DFNC)もおすすめよ」と紹介された。

DFNCはダブリンに住む自然が好きな人達が入会する同好会で、イベントプログラムを送ってもらって見てみると、主に毎週土曜日、BSBIに提出するための植物記録会や、大学院生の会員の調査手伝い、提携農場に行って生き物を記録するなど、東部を中心に本格的な活動を行っていた。また、アイルランドの博物学者R. L. プレーガー の名を冠したプレーガーデイなるものが月に一度あり、Glasnevinにある国立植物園の一室を借りて、その月のテーマの植物群の勉強会が開かれる。私が入会後初めて参加した時は、見分けが難しいスギナの仲間とワスレナグサの仲間を皆で勉強した。

キオン属(Senecio)の仲間。
解説担当の会員が各地で集めてきてくれた標本を、皆でちぎって分け合い、見比べる。
葉の形や切れ込み具合、匂い、ぺたぺたした触感、花びらの構成等がキーだ
植物屋の悪夢と呼ばれるオシダ(Dryopteris affinis agg.)の仲間の勉強会。
スコットランドからシダ柄のTシャツを着たシダの専門家が指導に来てくれていた
現地調査も開催される。
ツタバウンランの花は太陽の方へ向くが、果実になると石垣の隙間に向き直るという面白い特性を教えてもらった

別日、メイヨーで行われたBSBIの植物記録会で、私は「今日見つかると良いんだけど」と皆で話していた絶滅危惧種のヤチランを発見した。発見報告に私の名前を載せてくれるということで、これは私の中の勲章だ。すると後日のDNFCにて、常連のCが「みはら、M(記録会にいた青年)から聞いたよ。ヤチランを発見したんだって?」と聞いてきてくれた。世間は狭いと言うことも出来るが、私はこの時、ようやくアイルランドの人々に存在を記憶してもらっている実感が湧き、またこの国で自分の姿形が輪郭を持ち始めた気がして、とても嬉しかったのである。

いつか帰る場所

「Where are you from?」
どのグループでも、イベントごとに集まるメンバーが変わるため、毎回自己紹介の時間や名乗り合う機会がある。その時に聞かれるのは、名前と、出身だ。私はいつも日本から来たみはらだと答えていた。日本と言えば珍しく印象に残りやすいし、日本に関する話題を持つ人が話しかけてくれるかもしれないからだ。自ら皆から距離を置くような、また同時に自分のアイデンティティを示すような、色々な気持ちになりながら、いつもI'm from Japanと答えていた。「いや、アイルランドのどこから来たのか聞いたんだよ」こう言われた時は、輪の中に入れてもらえた気がして何だか嬉しかったが、とは言えfrom Dublinと答えることに実感が伴わないとも感じた。

彼らは決して排他的ではなく、とても親切で、ホスピタリティに溢れる温かい人達だ。同僚兼友人Nは、一緒にプロジェクトを進めているだけあり、一番の理解者となってくれている。彼女は「みはらは誰が何と言おうとジャパニーズ・アイリッシュだからね!」と言ってくれた。さらに私が次のビザ取得待機のため一時帰国する前には、「アイルランドに帰ってくるのを忘れないで。この本で思い出してね」と、彼女の出身地近くにあるコネマラ国立公園の植物調査に関する本を贈ってくれた。

一方で、アイルランドを知れば知るほど、彼らの歴史やアイルランド人としての誇りを理解するほど、私にはこの土地に全くルーツがない者であることに気付かされる。会話をすればするほど、昔流行った時事、有名人ネタ、お互いの州のいじり合い、たまに顔を覗かせる地元トークに、何年後に私はついていき、一体となれるんだろうか、とふと孤独を感じる。彼らは受け入れてくれるが、最後の壁一枚、彼らの無意識下の絆には踏み入れない、と私の方が思ってしまう。

日本に一時帰国してすぐの時、じめっとした熱気から逃れ、クーラーの効いたローカル線の電車に揺られ、「まだまだ暑い日が続きますねえ」と日本語で話される世間話を聞いていた時に、ふと、懐郷の念がじわじわと溢れた。どこに行っても、珍しげに顔を覗かれることがない安心感も心地よかった。あんなに行きたいと切望し、心の故郷と決めていたアイルランドは、滞在1年後の今のところ、自分を試す冒険の地なのだろうと感じている。いつか帰る故郷、これはやはり日本にあるのじゃないか…。行く前に、家族や友人と離れてやりがいを取るべきか、日本とアイルランド、私の幸せは一体どっちにあるのだろうと悩み悩んでいた。やらない後悔よりやる後悔!と思って挑戦してみて、良かった。来たからこそ、自分の本当の気持ちの一面を知ることが、出来たと思う。

ここに来たことに後悔はない。出会った人達ともっと心を通わせたい。いつか日本に帰った時に自分で自分に胸を張れるように、やり切ったと言えるように、この妖精の国を精一杯駆け抜けたい。あるいは、これからもっと馴染んでいければ、心境も変わり、安住の地になるかもしれない。いずれにせよアイルランドには、野山への旅路だけでなく、自分の心を知るための長い道のりが待っている。

日本でGoogle Earthを使って眺めて続けていた、憧れのClara bog

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