子羊と、祖母の命 | アイルランドと私 #7
2月、春の訪れ
「少しでも早く春を感じたいと思って、アイルランドでは多くの人が庭にスイセンとスノードロップを植えるんだよ。それから、子羊が生まれて、本格的な春が来るの」
同僚兼友人Nが、調査地に向かう車内で教えてくれたことだ。なるほど確かに、暖かくなり始めた2月というのは、今か今かと春を急く私達をよそに、野の花はなかなか顔を出さず、もどかしい日々が続くものだ。そんな時、大ぶりの花で色を添えてくれているのは、それぞれの家でいの一番に咲く園芸のスイセンとスノードロップだった。また、塀の中ではなく道路沿いに植えてあることが多く、まるで道行く人への春のお裾分けのようで、アイルランドの人達の親切な人柄と暖かい日々を恋しく思う気持ちの両方が感じられた。
祖母の報せ
4月初め、母方の祖母が亡くなったと報せが届いた。一番先に出た感想は、実感が湧かないということだった。彼女は瑞々しい感性の持ち主で、70になっても80になっても、同年代の女の子と話しているような、そんな気持ちにさせてくれる人だった。祖母の冗談に何度も笑った。1年位前までは、自転車に乗って買い物をし、北海道に住んでいた私に仕送りをしてくれていた。手書きの手紙もまめに送ってくれて、目の調子が悪かったけれど、眼鏡を買って少し良くなりましたという文にホッとしたばかりだったように思う。
私は北海道から続けてアイルランドに行ってしまい、挨拶も出来ないままだった。訃報を聞いた後、後悔した。それでも、まだ、ピンと来ない。
葬儀参列のため一時帰国を考えたが、両親から「急いで帰国して事故でも遭ってはいけないから、弔辞だけ送ってほしい」と気遣ってもらい、また、移動中にコロナに罹り家族や参列者に移してしまったらどうしようなどと迷い、結局弔辞のみの参加にした。葬儀に行かないと、お顔が見れない。手を握ってお別れの言葉を言えない。私はいつも、火葬場でお骨を見てから初めて、ああいなくなってしまったのかとようやく気持ちの整理がつく。行かないと決めてからも、これで終わりで良いのかな、とまたモヤモヤした気持ちになる。祖母は本当にもういないのか、私の中であやふやなままになってしまっていた。
このどこにも行き場のない気持ちは割れ物のようで、誰かの言葉で壊れたり、しまい場所が決まってしまうのが嫌だったので、周りの誰にも言わないでおこうと思っていた。が、とうとう耐えられずにハウスメイトのSに吐露してしまうと、彼女は「もしおばあ様の宗教的に大丈夫なら、教会の定例ミサに参加して、祈るのはどうか」と提案してくれた。「祖母はキリスト教ではないが、いいか」と聞くと、「教会は、誰にでも開かれているんだよ」と言ってくれた。
母に祖母の宗教上、問題がないか確認して、大丈夫とのことだったので、通夜のある日曜日の朝、ミサに参加させてもらうことにした。普段あまり遊びに行けなかった分、手紙の返信をまめに出せなかった分、お葬式に参列できない分、何か、祖母の命に対して、自己満足かもしれないが、出来ることをしたいと思ったからだ。
ミサと子羊
徒歩3分のところに、地域のカトリック教会がある。名前はSt. Patrick Church (聖パトリック教会)。クリスマスミサ以外普段は教会に行かないホストマザーも、この日、亡くなった親戚の命日が近く、彼女を悼むために参列していた。ミサは、誰かのために特別に開かれるのではなく、皆が思い思いのことを祈る場所なんだと知った。
後ろの方の席を選び、他の人に倣って跪いてから座る。英語で唱えられる聖書の一節等をボーッと聞きながら、まだ、亡くなったと実感の追い付かない祖母のことを思い出す。後悔が多かった。沢山良くしてもらったのになあ、家族だったのになあ。仕送りしてもらったお菓子、賞味期限前に食べきれない時もあった。手紙の返信も電話もまめにしなかったこともある。私は、何回祖母の愛情や誠意に応えることが出来たんだろうか。もう、本当にいなくなってしまったのか。それから、お祈りする時間になったので、先に亡くなった祖父の元に行って、楽しんでほしいこと、遺された家族を見守ってほしいことを祈った。
ミサを終えて、1人、教会の裏の墓地を歩いた。もちろん私に関係する墓は一つもないが、ミサもあまり集中出来なかったので、もう少しだけ長く、祖母のことを考える時間があったら良いと思った。それで何となく思案しながら練り歩いて、隅に置かれたベンチに座る。教会は丘の中腹に建てられおり、北にダブリンの街を見下ろしている。ベンチは南向きで、私は丘の上の牧草地と墓地を区切る石壁を見つめていた。
ふと、幼い動物の鳴き声が聞こえた。子羊だ。Nからアイルランドの春について教えてもらってから、ずっと楽しみにしていた子羊の声を、この日初めて聞いた。
祖母と、子羊。ふと、星に巡る命の環が、空に見えた気がした。
「ああ、行ってしまったんだ」
暖かくなり始めた日差しの中、遠く離れていた祖母の命の終わりを、今始まっていく子羊の命を以てして、ようやく実感した瞬間だった。
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