Lough Maskをボートでゆく | アイルランドと私 #2
ゼルダの伝説の世界に憧れてアイルランドに住み始めてしまった人の、旅の記録です。植物を調査するお仕事をしています。自己紹介はこちらです。
今回は、今年7月半ばに訪れたLough Maskで見た生きものや遺跡について。
Lough Maskへの旅
メイヨー州の代表的な湖の一つ、Lough Mask。Lough(カタカナ表記はロッホだが、本当の発音はロックに近い)とは、アイルランド語で湖のこと。ヨーロッパ釣り大会の開催地にもなっている大きな湖で、マス釣りが有名だそうだ。
訪れたのは今年7月半ば、ダブリンフィールドネイチャークラブ の友人Sの、更に友人のEが4人乗りボートを持っていて、私はS経由で運良く搭乗者として招待された。2人はメイヨーやゴールウェイを中心に活動している植物屋で、この日もLough Maskに浮かぶ島々を訪れて、生えている植物を記録しようということだった。
マール(Marl)湖
Lough Maskはマール(Marl)と呼ばれる種類の湖。アイルランドを上から見ると、主に西側の地域に、普通の湖面とは違う、白緑色の水溜まりが散らばっている。これがマールで、石灰岩の多いアイルランドならではの、ちょっとユニークな環境だ。
マール湖は石灰岩質の湖で、水底はアオコの一種に覆われている。衛星写真で白緑色っぽく見えているのは、このアオコの色味だ。さらに、水面の濃淡は、湖の基盤となる石灰岩プレート上の溝が作り出す水深の違いによるもの。明るい緑色が、浅瀬だ。
マール湖のpHは大抵高く、石灰岩由来の強いアルカリ性を示す。植物にとってふつう、強い酸性もアルカリ性も過酷な環境だ。順応できる植物は少なく、代わりにこのマールを跋扈するのは、アオコの他に、シャジクモの仲間(Charophyte)と呼ばれる藻類の仲間だ。
Strawberry Island
それでは旅の記録を順に書いていく。ライフジャケットを着込み、跳ねるボートにしがみつきながら最初に着いたのはStrawberry Island。その名の由来は、苺が採れるから…ではなく、島自身がストロベリーピンクになることから。
7月中旬に咲くエゾミソハギ(Lythrum salicaria)の花が、このイチゴ色の正体だ。Common Ternという夏鳥の繁殖場所となっていたため、上陸はしなかったが、ちょうど前日にまた別の友人N宅でTernの仲間の見分けが難しいことや、今の季節が見ごろという話をしていた後だったので、すぐに観察出来て良かった。それにしても、やはり飛んでいる鳥を見分けるのは植物よりも難しい気がする。
Holly Well
アイルランドの良いところの一つは、古くからの史跡一つ一つに、まめにラベルを貼り、通り道を整備するような几帳面さがないところである。人里離れて、鬱蒼とした森の奥へ進み、ふとしたところで、名もなく、古びて、苔むした石積みの壁やら塔を見かける。まさに、ゲームのフィールド探索を思わせる。もしかしたら遠い昔、何かが封印された跡なのかも、もしかしたらここに何か魔法の音楽を奏でると、隠されたダンジョンが現れるかも。その史跡の正史を知ることももちろん大事だけど、少年心を忘れずに歩けるアイルランドのこの適当に適当なところが、私は好きだ。
Lough Maskで訪れたHolly Well(井戸の史跡)も、その一つ。地図に名称が載っているにも関わらず、史跡の看板はなく、岸辺から井戸に行くまでの道も草に覆われていた。しかし、あからさまな舗装道や頻繁な矢印板があるよりも、何だか見つけるまでの冒険感がある。辺りを見回しながら歩いて、見つけた時の、「ここが…あの伝説の…」と言いたくなる、あの感じ。
井戸を囲んで、4人であれこれ話した。
「何故この井戸がHolly(聖なる)とつけられているのか」と聞くと、
「水の有無は命に関わるから、こういう場所は地域の信仰の対象になることが多いんだよ」と教えてもらった。
井戸の内側を見ると、窪みに小さな石のマリア像が置いてあった。昔から置いてあるのか、今も密かに祈りを捧げる人達がいるのか。
それから井戸に付着するコケやシダがどうだとか、傍らに生えるセイヨウトネリコ(Fraxinus excelsior)の巨木が立派だねとか、井戸の周りにセイヨウイラクサ(Urtica dioica)があるから、一度は人の手が入った土地なんだねとか、そういうことを話してボートに戻ることにした。
フックショットを投げる!
マールは柔らかい泥が湖底に溜まっており、また水深も海溝のように急に変化する。この中を歩くのは危険なため、ここの植物を調べようとなると、ふつう、手作りした採取器を湖岸から投げ入れて水生植物を採集する。
採取器はGrapnelと呼ばれ、錨(なければ泡立て器を変形させたもの)に丈夫なロープを括りつけて作る。
これがゼルダの伝説でお馴染みのアイテム、フックショットのようで私のテンションが上がったのはいうまでもない。北海道の会社でヒグマ対策に鉈とスプレーを腰にかけるのが必須と言われた時も、いきり立った(ヒグマを鉈で倒すのは実質無理だが)。この調子でどんどん武器っぽい調査道具を装備していきたい。
私はステンレスの泡立て器をニッパーで切り、錨型に変形させたものを使っていた。しかしこれは軽すぎてなかなか水底に沈んでくれず、また根を張る水草との力比べにも勝てず、改良の余地があることが使っていて分かった。次は、ちゃんと小型ボート用の錨を買おうと思っている。
Castle Hag
次にEがボートを停めたのは、鬱蒼と木々に覆われた小島だった。停船した岸に、入り口の目印と思しき、簡素な石の舫い杭が二つ。
「ここは、最も古い城の一つ、Castle Hagだよ」
Eはそう言ってボートを固定してから、小高い島の中央部へ歩き始めた。道はあるものの、長らく誰にも掻き分けられてないのであろう、棘だらけのブラックベリーが作るちょっとしたトンネルを、帽子や服を引っ掛けながら進んでゆく。
斜面を登りきると、広い台地に出た。今や木が育ち草は生い茂り見る影もないが、台地の縁には石壁の一部が残っており、おそらくここに城があったことが分かる。Eによると、防衛のための城だったそうだ。
秘密基地へ
ボートの旅が終わり、Eが彼の離れに招待してくれた。各々乗ってきた車でついてゆき、湖から離れ林道を走ると、そこに彼の秘密基地があった。
他のメンバーは勝手知ったる様子で、彼の庭を見て回っていた。豆やカボチャの家庭菜園やハーブの花壇、もうすぐ熟れるリンゴの木、さらには紅葉の盆栽まで、彼がここで自分の時間を楽しんでいることが窺えた。
家には暖炉があり、壁は彼の集めた植物の専門書でびっしりだった。
「まだ、本は増えるんでしょう?」と聞くと、
「それが問題なんだ。もう棚を作る場所がない。すでに置かれない本達が向こうの部屋で積まれているよ」とEが答える。
指差された方を見ると、確かにドアのガラス窓からこちらを物寂しげに見つめてくる本達と目があった。
私は採取したシャジクモの某とモバイル顕微鏡を、紅茶とコーヒー、それからオーツのビスケットの置かれた机の隅に広げた。シャジクモの仲間にはそれだけで図鑑一冊が用意されているほど、種が多い。Eの家にあるものを貸してもらい、初めてこの分類群と向き合った。結果は惨敗。部位を表す専門用語が、どこのどういった状態を言っているのか思い描けず、同定(種の見分け)はこの日は断念したのだった。後にEがもっと易しい単語で書いてくれている分類表を送ってくれて、今もそれを愛用している。
私が窓から差し込む光を頼りに、顕微鏡をうんうん言って覗いている間、他の3人は身体に易しい食事の話しをしたり、野菜の苗と盆栽の交換をしたり、いつも通りであろうやり取りをして楽しんでいた。こういった自然体での彼らの過ごし方を傍聴するのも、旅の醍醐味の一つだ。
ダブリンに住む私は、メイヨーから4時間のドライブがあるため、夕方頃にはお暇した。植物の前で立ち止まり、飽きもせず図鑑とにらめっこしたり、お互いが発見したちょっと珍しい植物について語り合ったり、本当に楽しい日だった。植物好きは鳥好きに比べると人口が少なく、こういった友人はなかなか得難い。来年は、西部に引っ越そうと考えている。植物の記録にもっと一緒に出掛けて、彼らの輪の中に少しずつ入っていけたなら、楽しそうだななんて考えているのだ。
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