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さびしさは、抱えたままでいい

「さようなら、お元気で!」
一期一会病、と家族に呼ばれる症状が、幼い頃の私にはあった。道すがら出会った人とお話をする。昔から私は話すと簡単にその人に愛着が湧いてしまって、つながりを感じてしまう。向こうからしたら馴れ馴れしいしちょっと不気味な奴だろう。そして道すがらは道すがら。別れはすぐにやってくる。幼い私には、それが耐えられなかった。もっともっとこの瞬間のキラキラが続けばいいのに。名残惜しさを、惜しさとして飲み込めず、「さようなら、お元気で!」と、その人が見えなくなるまで叫びつづけていた。隣にいるもっと幼い弟が「おねえちゃん、もうやめようよ」といたたまれなくなっても、私は叫びつづけていた。

「行ったった……」
これも私の幼少期の口癖だったという。誰かとの別れ──といっても明日また会える友人たちが帰る程度の──がめっぽう寂しく、耐えられない性分で、行ってしまった人と過ごしたひとときの余韻に留まりつづけようとしているのか、あるいは取り残されてしまったのか、何度も何度も「行ったった…行ったった…」と呟いていたそうだ。

成長するにつれ叫びはしなくなったが、このさびしがりが、完治したかは定かではなかった。進学、卒業、就職、転居……環境の変化に、いつも遅れながらついていき、年単位かけてやっとこさ順応しているように思う。そんな私は、アイルランドのダブリンに一昨年から移住して1年経ち、ワーホリビザから就労ビザに切り替える手続きの待機のため、9月から今年の4月の半年間、東京に一時帰国をした。2月に就労許可が無事降りたので、4月上旬に到着するアイルランド行きのチケットを買った。これで、大人になってから6回目の引っ越しになる。

幼い私に言ったら「引っ越し6回?!そんな馬鹿な!自分から家族や友だちと離れるなんて、何をやってるんだ!」とカンカンになって言うだろう。本当にね、去るもの追わずな旅人気質ではないのに、何をやってるんだろうね。けれど、君が夢見た「自然を駆け抜ける冒険がしたい!」を叶えるために、私も頑張ってるんだよ。

それでも、やっぱり親しい人と町と離れるのは、さびしい。アイルランドに移住しはじめの1年間、本当にさびしかった。東京で待機していた間、許可よ、まだ降りるな、降りるな、もう少しだけ、と心のどこかで念じていたのは確かだ。15年間かけて叶えた移住の夢なのに、どこかでもうやめたいと思っていた。

東京の実家に長期滞在していた半年間、家族がいて、地元の友だちがいて、あまりにも居心地が良かった。アイルランド移住が決まる前も、元々北海道で8年間一人暮らしだったので、この地元での長期滞在はあまりにも夢のような、戻りたいけど戻れない青春時代に、魔法でもう一度だけ戻れたような、そんなひとときだった。

そして一期一会病は、治らなかった。むしろ、再発した。
けれど、このさびしさからいたる病との付き合い方が、少し上手になった気がする。そんな話。



私は神経質で、一喜一憂、感情の起伏も激しい。自分が大変な時には自分のことで手一杯。熱しやすく冷めやすい。メッセージや年賀状の返信は、こう書いたら相手はどう思うかな、嫌な印象は受けないかな、なんてうだうだと考え続けてどんどん先送りにしがち。一番幸せを感じるのは誰かとたくさん笑っている時間なのに、こんな風に人付き合いが器用に出来る方ではないから、いつも片隅にさびしさがあるのかもしれない。

だからこんな私と一緒に遊んでくれる家族と友人たちの存在は、とっても大きい。アイルランドから日本へ帰る日が決まった去年の9月、早速彼らに「もうすぐ帰るから遊ぼう!」と送った。

友人と

じゃあこの日を境に、お前らと半生以上の付き合いになっていくのかよ!こええ~!

毎年、出会って何周年だ!と確認している、高校吹奏楽部で出会った友人4人。16歳の時に出会って、32歳、つまり16周年の時、友人の一人が言っていた言葉が、まんざらでもなく嬉しかった。軽口を叩きあいながら、励ましあいながら、尊敬しあいながら、半生以上。ありがたいなあと噛み締める。

そんな彼らとは地元が同じなので、北海道にいるときも東京へ帰省する度に遊んでもらっていた。「今回はアイルランド帰るまで沢山遊ぼう!」と言ってもらえた時の、これから沢山遊べるんだ!というワクワクした気持ち……高校生の時に戻ったようだった。私の渡航が延びに延びて、結局彼らは6回も会ってくれた。

その一つが、逗子葉山の日帰り旅行。葉山女子旅きっぷという、京急の主要駅ー逗子葉山駅の電車乗車券&葉山のバス乗り放題+選べるごほうび券+選べるごはん券がセットになったチケットがあるのだ。お値段は何と3500円前後!もちろん男子も使える。

ごはん券はお寿司屋さんで使った。メニューは、醤油漬ミニ海鮮丼+お吸い物+梅の茶碗蒸し+しらすと大根のサラダ。料金ちょい足しで、生しらすも丼に乗っけてもらえた。

しらすって、しらすっていう名称の魚?
しらすって魚いたっけ?
いや、なんかの稚魚じゃない?イワシとか……

ふと、しらすを食べながら適当な会話をしていると、大将が聞きかねて「しらすはイワシの仲間の稚魚の総称です。カタクチイワシやマイワシをひっくるめて……ウナギの稚魚をしらすうなぎとも言いますね」と教えてくれた。私たちはへえー!となった後、「多分10年経ったら、また同じ話……しらすって魚いたっけ?って言いながら5人でしらす丼を食べてるんじゃないか」と話す。ああ、10年後も会ってくれるのか。描く将来の変わらなさに、笑いつつ、じわり、さびしさが癒えていく。

その後、最後のアクティビティとして訪れた美術館を見終わり、歩道を南に降りると、海岸沿いを臨む展望台に出られた。ちょうど夕日が水平線に沈む時だった。運良く、右手には富士山までくっきりと見えていた。アイルランドから帰ってから、初めて仰げた富士は何だか特別なものだった。

5人で展望台の手すりに並んで夕焼けと海を眺める。沈黙が、心地よい。隣にいる彼らに想いを馳せながら、静かに日が落ちるのを待った。

湘南の海を彼らと見るのは何度目だろうか。
右側に、富士のシルエットが浮かんでいる

海岸に、焚き火台の前で椅子に座り、ビール片手に夕日を見つめているおじさんが見えた。現地の方なんだろうか。湘南の美しい日暮れの楽しみ方を、熟知しているようだった。そんな彼を見ながら5人で思い出すのは、同じ日のこと。

また、キャンプに行きたいね
焚き火といえば、私たちだもんな!

北海道でキャンプをした時、初心者にもかかわらず割り箸と新聞紙だけで種火を作ろうと意気込んだ私たちは、夜の0時まで火が着かず、半べそをかいていた。するとおそらくずっとご心配をおかけしていたのだろう。隣のご家族が焚きつけと火鋏を貸してくださったのだ。そして深夜1時にやっと肉にありつけた。「うまい」以外の言葉を誰も発しなかった。肉は争奪戦になった。その日のことを、全員同時に思い出して、こうやって冗談めいたことを言って笑い合っていた。

あっ!と思った

私が日本にいた頃は、北海道から帰省するGW、お盆、お正月に一日二日、予定を合わせてボードゲームや日帰り旅行をすることが多かった。オンライン通話を3ヶ月に一回やったり、お誕生日祝いのメッセージを送ったり、集まる予定を立てたりする以外は、5人のグループLINEで頻繁にやりとりすることは基本ない。

だから、皆の近況は普段分からない。お互い生活が忙しく充実している証拠だと思う。しかしスマホにべったり張り付きがちな私からすると、自立している皆が、少しまぶしい。高校生の頃から大人びていて才能に溢れた彼ら。私はいつも彼らの背中を、何とか追いかけている気持ちだった。たまの帰省に集まると、慌ただしくお互いの近況をそれぞれ話し、後はゲームや旅行先のことを楽しんでいると、あっという間に一日が過ぎていく。そして「また、みはらが帰ってきたら遊ぼう!」と言って別れる。これがいつもさびしく、後ろ髪を引かれる言葉だった。まさに「行ったった……」の気持ちだ。

しかしこの半年間は、近況を話してその来月には会えてしまう。すると、「この前話していたあれはどうなった?」と、おのおのの進捗や心情を事細かに深掘りする時間がある。するとだんだん、すごい、完璧、順風満帆と思っていた皆にも、おのおの迷いや悩みがあって、それにぶつかって、時には立ち止まり、苦難をかき分けながら、自分の道を探して進んでいるんだ、ということがグッと伝わってきた。

……そうだったのか。大学で北海道に引っ越し、そのまま社会人になってから8年間、こんなに彼らの近くにいたことがなかった。だから、気が付かなったんだ。あんなに先を行っていると思っていた皆も、私と同じだったんだ。皆、色んな選択をして、後悔したり納得したり、自分の一番良い道を探し続ける旅を、ずっとしていたんだ。16年経った今、やっと私は皆の隣を歩いている実感が湧いた。横を見る。そうか、皆、ここにいたんだ。

最後に、3月末にお花見をした。春の嵐で天候が悪い日が続き、開花が遅れに遅れた今年。しかし何とかお花見一日前に東京の開花宣言が発表され、当日は風の少ない夏日になった。

皆で食べ物の買い出しをして、レジャーシートを敷いて、テーブルを置いて………花は例年よりは少ないけれど、それでもポカポカのお出かけ日和。皆で原っぱでお寿司や唐揚げをつつく。幸せの詰め合わせ弁当みたいな日だ。

遅刻魔の友人は昔と変わらず大遅刻してきて、悪びれもせず、それもとても良かった。彼女が10分前行動なんてしだした日には、私は突然の変化に衝撃を受けて、さびしさで死んでしまうかも。

「またね!」
延びに延びた私の渡航予定ももう間近。次に会えるのは、2年後だろう。この半年間、毎回「また来月ね!」と別れていたから、変な感じだ。けれど皆が皆、新しい何かに不安を抱えながらも旅立つということ、日々私たちの状況は変わりゆくこと、けれど変わらないこともあること。すべてを確かめ終えたこの日、「またね!」と、別れを言った時、あっ!!!と思った。なぜならその時私の心を満たしていたのは、未練よりも、何とも言えない爽やかさだったから……あまりに驚いて、振っていた手を降ろし、手のひらを見つめる。それから、この気持ちをこぼさないように、ぐっと握りしめ、彼らのいる方を振り返らずに改札に向かった。

家族と

アイルランドから帰るフライトで、日本人の女性の方と、ふと仲良くなった。彼女はアイルランド人男性と結婚して、普段はアイルランドに住んでいるそうだが、今から3ヶ月間、コロナでしばらく控えていた帰省をし、お母様に会いに行くと言っていた。

うちの親はもう80代でね。これからは頻繁に帰らないと心配なんだよね。貴女は、親御さんが若い今のうちに、色々挑戦してみたらいいと思うよ

親は60代。確かにまだまだ若い。けれど、アイルランドにいる時におばあちゃんのお葬式に行けなかったことや、母が乳ガンになったこと(ありがたいことに、完治しました)、弟が一時期気胸になったこと、私がアイルランドから帰国する際にアゼルバイジャンで爆撃があり当初の便が欠航になったこと、各地で戦争が激化し始めたのも相まって、私はとても不安になっていた。次、アイルランドに行ったら、いつ家族に会えるのだろう。家族に何かあった時に、ちゃんと帰れる世界が続くのだろうか。

そんなわけで、何とか日本に帰ってこれた今の期間、出来るだけ沢山、家族と過ごしたいと考えていた。「なるべくたくさんお出掛けしよう」と伝えると、昔から企画が得意な父が家族の行楽の予定を立ててくれて、自分が退職後に始めた野鳥観察や史跡巡りで良かった場所にたくさん連れて行ってくれた。

過ごす日々では言い合いもしてしまったり、会話中に上の空でスマホをいじってしまったりと、すべての一刻一刻、もっと気を抜かずに大事に出来なかったのかと後悔する場面もあった。けれどそれはそれで長期滞在ならではの、在りし日の日常だったのかもしれない。そして半年間、日常的に過ごした日々の中で、家族おのおのがおのおのの趣味や仕事やコミュニティで忙しなく活動しているのを目にし、とても安心した。やることがある、会う人がいる、そうすると、心も身体も元気でいられる。うん、家族は心身ともに大丈夫だ、と確認して、私も、自分の活動に戻らなきゃ。アイルランドに行かなきゃ。と思う日が続いた。

さようなら、お元気で

友だちとは爽やかに別れた。家族とも、案外そうなのかも。出発前まではそう思っていた。それなのに、行く直前の日になって、一期一会病が再発してしまった!家族と離れるのは、やっぱりさびしいままだった。

だって、半年間が、あまりにもあっという間だった。3月に入ってからはそれが顕著で、刻一刻と出発日へ向かっている不安が片隅にありながら過ごしていたように思う。気がつくとあと一週間、あと3日、明日。食事が喉を通らない。胃もキリキリする。明日、明日なのか……行きたくない………目が覚めた。ふと、このベッドから目覚めることは、もうしばらくないと思い絶望した。いつもならベッドでゴロゴロしてから下に降りて、父がテレビを見ていて、母が家事を終えてパソコンに向かい、弟が朝ごはんを食べている。おはよう、今日は何するの?なんておのおののスケジュールを確認するあの朝が、この朝はなんと恋しいことか。

この日の朝は何となく、口には出さないけれど、皆のさびしさを感じた。あの寡黙で冷静な父からすら。旅立の時なのだ。

今まで色んな門出に桜湯を入れてきたけれど、この桜湯が一番さびしいね

母が涙ぐんでそう言う。歳月人を待たず。時間って、こんなに早く経つものなのか……この何気ない、家族全員揃って過ごす尊い時間は永遠に続くわけじゃないんだ。人生100年時代。別れの時はまだ30年先の話しかもしれないけれど、それもきっとその時が来たらあっという間だったと思うんだ。何かの終わりが先に見えてしまった気がして、目をそらしたくなる。胸の辺りがきゅーっとなって、ザワザワする。ああこれだ。一期一会病は、その人と、次、本当に会えるか分からないおそろしさから来ている。この時もまた、急激におそろしくなった。死を近くに感じる。不慮の事故だってあるかもしれない。次に日本へ帰る時、果たして彼らは全員元気でいてくれるのだろうか。私には、どうか元気でいてほしい、事故に気を付けてほしいと彼らに懇願するしか術がなかった。

行きたくない。どうせいつか終わりが来るなら、なるだけたくさんの時間を共に過ごせるように、アイルランドに行かなければ良いんだ。一番苦手な「さようなら」を言わなくていい場所に、ずっといられるなら、それが一番幸せなんじゃないだろうか。そう思った。だのに何でアイルランドに行くことになっているんだ、何であの時そう決めたんだ、私の大馬鹿野郎!!!!!!

行ってきなさい。嫌になったら、いつでも帰っておいで。行ったら行ったで待っててくれる人がいるでしょう。きっとまた4人で会えるよ

ぐずる私を見て母が言う。本当に?元気でいてね、約束だよ?健康診断受けてね、早寝早起きして、事故には気を付けて……と私は言う。母は分かったよ、大丈夫。と優しく言ってくれた。私はいい年こいて、いつまで経っても別れに耐えられない。どうしたらいい。ずっとずっとみんなに生きていてほしい。そんなのは叶わない。どうしようもない。

でも母の言う通りだった。日本に留まってもアイルランドに行っても、どっちにしたって後悔することはあるだろう。いずれ来る別れに怯えるのはどっちも同じだ。ならまずは、みんなが元気な内にしか出来ないことをやろう。アイルランドに行こう。行って、思い切り冒険しよう。冒険に疲れたら、いつでも家族のところへ帰ろう。これは私の行きて帰りし物語なんだ。

気持ちが少し持ち直ってきた。着いたらゴールウェイに住む友人が、調査帰りに空港まで車で迎えに来てくれる。同僚達は、みんなで行く春の遠足を、私が戻るまで待ってくれている。6月には初めてアイルランドでお呼ばれした結婚式に行く予定だ。アイルランドで誰も私を知る人がいなかった1年半前から、少しずつ物語が進んでいるのを実感した。

行かなくちゃ。

私は私の道を歩んで行かなくちゃ。交わることはあるけれど、それぞれ自分の足でしか歩めない人生がある。ここは変わらず私の故郷だ。また会える。きっと私が特別なんじゃない。皆こうやって、さびしさを抱えながら、それでも前へ進んでいるんだ。

さびしくなったら、立ち止まって思い出そう。頑張っている皆のこと。そしてまた歩きだそう。そうしてまた会える日までに、私は私の人生を生きて、同じように道を進む家族や友人に、胸を張っていられるようになりたい。

だから今は、さようなら。また会いましょう。
それまでどうか、お元気で。

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