嵐をただ、静かに見つめた日 | アイルランドと私 #5
アイルランド移住後の旅の記録。
環境調査員の同僚Nは、長期のプロジェクトのチームメイトで、仕事に対する考えが合い、意気投合した友人でもある。彼女はメイヨー州出身で、今はゴールウェイ州に婚約者と家を借りて暮らしている。
彼女の家に初めて遊びに行ったのは、今年6月半ば。植物観察会の応募に落選した私達は、お互い遠慮しがちに、「代わりに土曜日と日曜日、二人でゴールウェイとメイヨーで過ごそうよ」と誘い合った。その旅を要約すると、雨、雨、雨の二日間。でも、本当に心満たされた。その様子を、書いていきたい。
ゴールウェイ/メイヨー、嵐の旅
ダブリンから西へ3時間半のドライブを経て、ゴールウェイに着いた。Nの家の呼び鈴を鳴らし、彼女の相棒のワンちゃんに歓迎されつつ、中を案内してもらった。庭に出ると、彼女が整備した家庭菜園が広がっていた。
「兄が持ってきた廃材でベンチを作ってみたの。ここで朝コーヒーを飲んで頭をすっきりさせるんだ」「父がくれた小屋の梱包材を、ビニールハウスの屋根として再利用してるんだよ」
彼女の高い創造性に舌を巻きつつ、助け合う仲の良い家族の様子が窺える。家族で寄り添って、紅茶片手にお喋りする休日を、アイルランドに住む人達は大切にしている。
それから彼女の故郷・パートリー(Partry)にあるカラ湖(Lough Carra)に、カヤックをしに行こうと話して車に乗り込んだ。
お昼、どこで食べる?
カラ湖はゴールウェイから車で1時間、メイヨーの谷合にある。Nは道中湖が見える度に、「この湖を遡ると、カラ湖につながっているんだよ」と教えてくれる。彼女と同じくカラ湖から下ってゴールウェイに来た湖水に、親近感やルーツを感じているのかもしれない。
ガソリンスタンドに寄って、サンドイッチと飲み物、スナックを手に入れた。時刻は12時30分。車に戻って「どこで食べる?ここで良いかな?」と話し合うが、フロントガラスの前に広がるコンクリートの壁を見て、「ここではないね」と意見が合った。途中、川沿いに置いてあるテーブルとベンチを見つけ、そこに落ち着いた。
アイルランドの光
パートリーは眼前。道はガタガタの一本道になってきた。対向車とギリギリですれ違いながら、山谷を進む。Nが「ここでよく遊んだの!」と指さす先に、霧立つ湖の雄大な景色がパッと広がる。ああ何てすべてが素敵なんだろう。
「アイルランドはどこも理想郷すぎて、私はすべての瞬間に立ち止まって写真に切り取り、そして感傷に浸らなければならないよ。そういう意味で、アイルランドにいつも怒っている。どうしてそんなに素晴らしいの、私を休ませてよって」
私がこう精一杯のアイルランド愛を語ると、彼女は誇らしげにうんうんと頷いてくれた。それから、「ならすべての瞬間に車を停めてあげるよ」と言ってくれた。
雨がぽつぽつと降り始めていた。私たちはしょっちゅう車を停め、風景を満喫した。ふと、私はいつも気になっていたことを口にする。「アイルランドの光は、なんだか他とは違うように感じるんだ。写真を撮ると、光の表現がいつも際立っている気がするんだけど、なぜだろう?」
色眼鏡かもしれないが、何だか光の加減が、下の写真のようにいつも印象的に写る。
Nは「言っていること、わかるよ。見て、今もあそこの山の奥は深い青、手前は鮮やかな緑、そして雲の灰色と白がきれいだね」と、美しい風景で育まれた感性で、曇り空の淡い光に照らされた景色を、鮮やかに描き出してくれた。アイルランドは雨が多い。雨は、空気中の塵を吸い取って地面に落ちていくらしい。そうやって空気が澄み切って、光が映えているのかもしれない。
嵐を見る贅沢
パートリーの彼女の実家に着くと、外はすっかりどしゃ降りになっていた。「家で雨宿りをして、晴れてきたらカヤックに乗ろう」と話して、中にお邪魔させてもらった。ちょうどNの兄とその奥さんがNの父を訪ね、そして帰るところだった。彼らを見送った後、私たちが「カヤックに乗りに来た」と言うと、Nの父は呆れた顔をして、「雷も鳴っている。今日は大人しくここで紅茶とクッキーを食べてゆっくりしなさい」と言った。
彼の言う通り、止むどころか雨脚はどんどんひどくなり、滝のようになっていった。あまりにも激しいので、コーヒーカップ片手に、私、N、Nの父の三人で窓際に立ち、嵐を眺めた。時々光る雷や水が溜まっていく地面、向こうの丘で逃げもせず雨に耐える羊たちを、ただ静かに見た。
ふと、私はデジャヴュを感じる。こんなことが昔、あったっけな。それはまだ私が北海道で働いている時のある夏、東京の実家に一週間ほど帰省した時だったと思う。帰省すると、いつも会えなかった期間を取り戻すように、家族と友達のイベントをぎゅっと詰め込んで忙しない数日間を過ごすのが常だった。だがその日は何もなく、母と弟と、父の部屋で洗濯物を畳んでいたのだ。すると、電気を点けていなかった部屋がだんだんと暗くなったと思ったら、突然、ゲリラ豪雨が始まった。三人で手を止めて、じめじめした、でもいつもよりはひんやりした空気の中、じっと窓から嵐を見つめ、雷の音を聞いていたのだ。雨が止むまで、ずっと。
「あんなに贅沢な日はなかなかないよ」
母は、何度もその時のことを反芻していた。俳句を嗜む彼女は、感受性が豊かで、日常に埋もれたかけがえのない瞬間を切り取るのが、非常に上手だ。客人のようなもてなしではなく、家族として当たり前のようなひとときを、帰省の限られた日数で過ごせた贅沢。そうか、贅沢か。確かにそうだ。私は母が切り取ったその日の瞬間を、遠く離れたメイヨーの地で、もう一度じんわり噛み締めていた。
「ごめんねみはら。折角ダブリンから来てくれたのに、全然何も出来なかったね」
Nはカヤックが出来なかったことを、申し訳なさそうにしていた。しかし、何となくまだこの国で孤独を感じている私にとって、家族のように彼らとただ嵐を静かに眺められたという贅沢は、これほどなく心満たされることであった。
「でも嵐はすごかったね。良い時間だった」
Nがそう言うと、私も強く頷いた。
ゴールウェイの港で
嵐の土曜日を過ぎて、日曜日。ダブリンに帰る前に、ゴールウェイの街に出てコーヒーでも飲みながら散歩しようということになった。ゴールウェイは栄えてはいるが、ダブリンと違い、非常にコンパクトな街だ。中心街へも徒歩でサッと行けて、人もそれほど多くないのが魅力だと思う。
Nと歩いて、彼女の通った大学なんかを見て回りながら、コーヒー片手に港を歩くことにした。コリブ川が北太平洋に流れ出す入り江の船着き場に、そのまま腰を降ろす。二人で海を眺めた。
「水は見ていて落ち着くね」と言われて、「私たちがバクテリアとして海にいた頃の記憶が、そう思わせているのかな」と答えると、彼女は嬉々として賛同してくれた。
「みはら、生物の歴史上、コンクリートを使った建物が生まれたのはほんの最近のことなんだよ。私たちが今日、お昼ご飯を食べる場所で『コンクリートの壁を見て食べるのは違う』と即断したのを覚えてる?水に比べて、コンクリートは落ち着くものになるにはまだ時間が要るんだよ」
昨日の昼食は、この伏線だったのか。思えばこの土日は、湖を辿り、川沿いで昼食をとり、嵐を見て、海辺で語らっている。何とも水を近くに感じる二日間であった。
その後、腰を上げて海岸を見ることにしたのだが、そこでもやはり、にわか雨。雨の多さに定評のあるアイルランドでも、西部は特に天気がいつも悪いという。私が海岸に雨から防いでくれるものはないぞと思っていたら、Nはさすが西部出身、大きな看板の、風向きに対して逆側にぴたっとくっ付いていれば、いくらかましと思いついた。すると、同じく傘を持たずに右往左往するおじさんと少年を見かけたので、私とNで「おーい、こっちこっち!」と看板へ誘った。見知らぬ4人で身体を寄せ合ってぴったり並ぶ様を撮影したら、きっとおかしな画だったろう。雨を見ながら少しみんなで談笑していると、晴れ間が出て、各々の道へ解散した。
「濡れちゃったね。雨、雨、雨の二日間だよ」
「でも、雨が降って良かったね。あの二人と話せたんだからさ」
「ちがいないね」
アイルランドでは、雨の多さ故、きれいな虹をよく見かける。雨が多いから、家で飲む紅茶が格別に美味しくなる。雨が多いから、それを眺めて、ゆっくり誰かと過ごす時間がある。雨が降るって、良いもんだ。Nと私は結局ずぶ濡れだったけど、笑い合って海岸へ向かった。
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