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新しい朗読へ!

Poetry Factoryは詩の総合事業を行なっております。どれも、詩の見せ方や在り方を新しく工夫することで、より多くの人に詩の本質的な部分が届くのではないかと仮説を持ち、実験的な取り組みを繰り返しています。
そこで、今回は朗読についての取り組みを中心に進めてくださっている担当詩人(:平井達也氏)が趣旨文を書いてくださったのでご紹介します❗️

詩に朗読がつきものであることは詩に関わっている人なら知っている。
が、私は魅力的な詩朗読に出会ったことがほとんどない。一方で、朗読が詩を広める有力な手段たり得るのではないかと期待もしている。新しい詩朗読のスタイルを創造したいと思っている。 読みゃあわかる、聞きゃあわかるものを超えたい。でなければ朗読ならではの素敵な表現に至れるわけない。

>>確かに今まで朗読を聞いていてどうしても眠くなってしまうこともありました。いい詩なんだけれども。。。。と頑張っていた体験があります。

現代詩はだいたいが「わからない」と言われがちなジャンルだ。わかりにくいものをただ読み上げたところで、聴き手の胸を打つだろうか。 わからないが届く、いわゆる「刺さる」ものがあると信じて詩人は書いているはずだ。詩は因果関係や合理性とは違うやり方で世界を把握しようとする試みだ。詩を読む「声」も理屈や意味から離れ、もっと自由に放たれることで、「刺さる」表現を成立させられるのではないか、というのが構想している戦略だ。

>>確かに音楽や映画、読書などでも、自分の頭ではよくわからないし説明できないが、気がつくと涙が流れている体験をしたことがある方は多いのではないでしょうか❓詩の朗読でもきっと可能でしょうね。もちろん感動だけでなくあらゆる情動が巻き起こることが「刺さる」ということなのかもしれません。

といっても奇声を上げたり叫んだりしよう、というのでは単純すぎるだろう。書くことと同じように読むにあたっても、言葉の既成の枠組みを逆利用することで、はじめて何かをずらしたりひっくり返したりということが可能になる。 ところで、他者の「声」は人間にとって特別な「音」のはずだ(とくに言語を共有する集団において)。この他者の声の特権性はその他の音と衝突するときに浮き彫りになる。自然の音、街の物音、楽器の音……言葉を乗せた声をそれらの音とぎりぎりまで似たレベルまで還元し混在させていったとき、固有のものとして残るのは何だろう。それを実践の中で検証していけるのが詩の朗読だとも思っている。

>>確かに人間の声の特別性って際立ちますよね。朗読の声だけじゃなくて背景にさまざまな音があるからこそ、緊張関係があったり、時には共に歩んだり、調和や対立があるのでしょうね。詩の世界が広がるような朗読とても楽しみです❗️

いかがだったでしょうか?本プロジェクトはまだ始まったばかりですが、東京アーツカウンシルの助成金に応募したり、協働できる他分野のアーティストを探したり積極的に展開中です。ぜひ、ご注目ください👀

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