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鎮魂と言葉にかえて降る雨に

あの夏から沈黙したまま失われた季節をなぞる時、午後の鋭い光が私を射る。語られることなく霧散した言葉の数々を、踏み躙ってゆく風にさらされて、身を包む衣がだんだん剥がれてゆく。あらわになった肌に刻まれる傷の数も、もう数え尽くしてなお、新たに増える。緑樹に抱かれて、木霊たちは挽歌を歌う。死者の季節に捧げるために、命を吸って伸びゆく大樹に腰かけて。やがて全てを裂く風に吹かれて木の葉が散る。そのひとひらを握りしめて、長い髪を風に巻き上げられながら、歩くこともままならない路地を行くあてもなく私は歩く。したたる血が私の足取りをたしかに刻みつけて、そのさまよう過程を記してゆく。無声の記録によって私は記述される。切られたそばから髪は伸び、背丈を越して血にまみれる。筆となった黒髪は文字としての形もとどめない血痕を影として描く。鳥たちの歌う鎮魂の歌は切れ切れになって地面に落下する。体内からこぼれ出したはらわたは宝石の煌めきを帯び、異類の血が混じり合う。髪はさらに地へと伸び、裸身のまま黄昏の街をゆく私の耳に遠雷の音が響いてくる。雨はまだ降らない。夕景の最後の鈍い光が私を射る。ようやく発せられる苦鳴が言葉にならないまま喉からこぼれ出す。長らく破られなかった静寂が壊れ、嗚咽となって迸る前に、夜の雨がすべてを覆い尽くしてゆく。

Hommage:松井冬子《終極にある異体の散在》

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