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相手の話を聴くということ

今月のカウンセラー仲間の勉強会は、準拠枠と心の痛みについての話から始まった。

もう何度も聞いていることだけれど、その時の状況や自分の精神状態で、響き方が違う。

今回は、カウンセリングを学ぶ以前に感じていた、自分の中の葛藤を思い出した。

上司や同僚の話を聞く時、相手の目を見つつ相槌をうちながら聞く。
表面上は肯定しているような顔をしながら、心の中では「それは違うんじゃない」「それはちょっと甘いと思うなぁ」と相手を否定している自分がいた。
ありのままの自分(黒い御手洗)だ。

今回の勉強会の事例ひとつめは、ダメダメな状況で自分が情けないと言っている男性だった。
数行の説明では経緯がわからないが、クライエントの言葉から感じる素直な感想を発表しあった。

「ずいぶん悩んでいる様子だ」「自分を責めてばかりいる」「そんなに大変なことなのか」など、他には「男らしくないな」と言った男性もいた。

これはあくまで自分の中に湧いてきた感情を、そのまま言葉にしたものだ。

私も結構辛辣な言葉で表現したが、正直に言ったまでだ。
多分もっと過激な感想だったのか、発表できませんと言った人もいた。

ではカウンセラーは、そんな思ったままのことをクライアントに言うかと問われれば、絶対言わないだろう。

ならばカウンセラーは、クライエントに対して嘘をついているのだろうか。

そこが以前の私にはわからないところだった。

上司や同僚の話を聞くとき、自分を偽っているのではないか、いい人と思われたいからじゃないかと。

でも今はそうではないと理解できるようになった。
というか、そうではない対応ができるようになってきた、かな。

上司やクライエントに嘘をついて、良い人のふりをしているのでは決してない。

私が目指しているのは、あくまでもクライエント(相手)の準拠枠の中で話をしようというものだ。
自分の中から湧いてくる感情を感じながら、相手の体験したことをあたかも自分のことのように感じて受けとめる。

自己一致はサーカスみたいだと言って、笑われてことがある。
ひとりで二人分を感じるみたいで。
実際はそんな難しいこと考えて傾聴しているわけでもないんだけれど。

というわけで、相手と自分の考え方は違って当然。
理解できないこともあるけれど、そこは尋ねて確認しながら、相手の感情を受け止めていくということだ。

ほんと、感じ方なんて十人十色。
自分が「普通」と思っていても、相手や周りは、全然違ったりするものだ。

突き放すことなく、積極的に関わりながら、「あなたはそう感じたんですね」とそのまま受け止める。
そんな修業は、まだまだ最初の一歩のところだ。

スターバックスで袋入りクッキーを買ったら
「温めましょうか?」と聞かれた
「オーブンで温めると焼きたてみたいに美味しいですよ」
そのとおり、美味しかった

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