見出し画像

人間いつ死ぬかわからないよねって話

Twitterでフォロワーさんの知人が亡くなったという話をみて、なんとなく書きたくなったから書いてみる。

※今回はタイトルの通り「死」についての話なので、苦手な人は気をつけてね。


わたし昔から死ぬのがめっちゃ怖い。
1999年7の月『ノストラダムスの大予言』に本気で怯えてたw

「死」を怖がるって、子どものころ誰もが一度は通る道だと思う。
わたしはその感覚をけっこう引きずってるというか、今でもふとした瞬間に「運良く生きてるなぁ」って考えることがある。

親戚の死

で、その根底にあるのはたぶん親戚の死。

家族ではないけど、年に数回は顔を合わせてた親戚が、若くして亡くなってるんだよね。

(親戚親戚書くのもあれなんで「Aさん」としとく)

当時わたしは、小学校低〜中学年くらいだったのかな?
Aさんは30才前後で、2人の小さい子をもつパパでした。

詳しい年齢は不明。
なんとなく触れちゃいけない気がして、親に確認したことないから。

わたしの記憶が正しければ
「自宅で倒れて、救急車で運ばれたけどそのまま…」って話だったと思う。


お葬式はあまり覚えてないんだけど、母から報告されたときの記憶だけ鮮明に残ってる。

両親はなんだかバタバタしてて、わたしと弟はそれを横目に部屋で遊んでて。
突然母に「あのね、悲しいお話があるの」って言われて。

子供ながらにただならぬ雰囲気を感じたわたしは、なぜか「おばあちゃんちの鶏が死んじゃったの?」って聞いたんだよね。
(祖父母宅には鶏小屋があった)

そしたら「ううん、鶏じゃなくてね、もっと悲しいお話。Aさん死んじゃったの」って。
そう言って母が泣いてた。

それまで「人が死ぬのは歳をとってから」だったのが、その体験で「人は何歳でも死んじゃうんだ」に変わった気がする。

いのちだいじに

なんでこの話を書こうと思ったかというと。

Twitterのフォロワーさんで「そんなに無理して大丈夫?」って人、ちらほら見かけるんだよね。

それぞれ理由があって難しいんだろうけど、それでも心身の健康を第一に考えてほしいな…!

「自分が納得して無理してるからいいんだ」って思うかもしれない。
でも実際に何かあったとして、家族や親しい人がその無理を知ってたら「あのとき止めてれば…」って後悔し続けると思うんだよね。

だから、自分のためじゃなくて、自分が死んだら悲しむ人のために無理しないでほしいなって思う。

人の死ってどこまでいっても確率論だろうけど、どんな選択をするかで多少の確率は変わってくるはずなので。


以上。
朝っぱらから重い話を失礼しました!

リアルじゃずっと言えなかったから、書いてすっきりしたかも。

最近は「ブログとかTwitterとか突然死んだらどうなるんだろ…」って考えてるw
なんにせよ、1日1日を大切に生きたいな。

みんなも体には気をつけて過ごしてね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?