見出し画像

私は偏在する。という話。

 ある日、高齢なおばぁちゃんが外出したきり帰らなくなったのですが、近所の人達と協力し探しだせたので無事に帰宅させることができました。その際に、おばぁちゃんを発見したのが役所に勤めて浅い若い女性だったのですが、おばぁちゃんの第一声が「お母さんがいないの?お母さんはどこ?」と、まるで迷子になった子供のようだったといいます。

 友達のおじいちゃんが、ある日に薬の飲む量を間違えていつもより割と多く飲んだらしく、その日のおじいちゃんの様子がかなりおかしかったという。立ち振る舞いかなり若気に溢れて、まるで10代の少年が話してるような言葉遣いだったいう話です。

 何十年か振りの同窓会で古い友人に会うと、昔の雰囲気に戻ったように言葉や身振りが当時のようになってしまう。中年になってもアニメやゲーム、漫画に夢中になることがあって、いつまで経っても子供みたいと言われる。

 こういったお話は、もしかしたら脳の一部に今まで人生を歩んできた子供の頃の私、10代20代の私、中年高年の私が偏在しているからではないだろうかという話をラジオで聞きました。いまは今の年齢の自分が表に出ているのですが、何かしらのきっかけに刺激されて脳の中のそれぞれの若いころの私が現れては帰っていく。その繰り返しが日常なのだと。つまり、

「私」とは上書きではなく積み重ね、年齢の分だけ私が偏在する。どれだけ年を重ねても今までの私は上書きされずに、私の中にずっと生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?