見出し画像

自覚のなき悪意の無い行為は「呪い」となりうるのか?

裕福な家庭で育った彼女は望めば大概のモノは何でも与えられた。彼女にとって他人とは、言うことを聞いて当たり前、自分の方が人としての格が上で他人は下であった。

その横暴な振る舞いは当然人の心を踏みにじる。逃げられる人は逃げていくが、そうでない人は留まるしかない。ただ、留まるひとたちは彼女との関わりを最小限にしようと努めていた。

彼女は自分が避けられていることに気付かない。そういった発想が生まれない。彼女の心の選択肢に「自分が嫌われている」という選択がないのだ。

ある日、良識のある人から見れば明らかに度が過ぎた行為が行われた。彼女からすれば一切悪意のない行為ではあるが、結果として被害を受けた者は逃げることもできず自ら命を絶った。


とある山に、野生の熊の家族が暮らしていた。それなりに恵まれた土地で空腹に苦しむこともなく生きていたが、ある季節に飢饉が襲う。今までとは打って変わって飢えに苦しむこととなり、体力がない子供たちは餓死していった。

親一匹となった熊は人里に辿り着く。飢餓感に支配された脳は、周囲を気にせず育てられた野菜に齧り付くように熊を駆り立てる。当然、人々の目について追い出されようとするのだが、熊自身には何故そのようにされるのか分からない。

土地に育まれた植物達をいつものように食べているだけなのに、何故邪魔されるのか分からない。そうこうしてる内に、人里に住む当事者からすれば一切悪意のない行為ではあるが、猟銃が熊に向けて放たれる。熊は驚き一旦その場を離れるが、空腹に我慢できずに、その数時間後に人里に戻り、そこに住む1人の若者を殺めてしまった。


彼女には危害を加えた自覚が無かった。悪意すら無かった。事実としてあるのは、彼女の行為によって人が傷つき、そして命を絶ってしまったという現実だけであった。その件以来、彼女の一族は衰退する。まるで呪われているかのように。

熊にとって、食事を邪魔してきた動物を脅かすだけのつもりであったが、結果として若者の命を奪ってしまった。やがて、猟銃で射殺されてしまうが、最後の最後まで、何故食事を邪魔されるのか分からず死んでいった。その件以来、この土地では植物が育まれなくなってしまう。まるで呪われているかのように。

Q : 自覚のなき悪意の無い行為は「呪い」となりうるのか?
A : はい。呪いとは行為そのものに対して因果されるもの。良識も悪意も関係なく、とある行為をしたから当事者が呪われるのであって、当事者そのものが呪いの因果ではない。


※大切なことは、自分自身を呪わないこと。
自分自身を敵にしないこと。
自分自身と戦わないこと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?