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二番目の猫

以前、千葉で会社勤めをしていた頃、会社借り上げの一軒家に住んでいた。当時、猫を飼える条件で入居したのだが、動物を増やさないようにと大家と会社に言われていた。大家に言われるのは普通だが、会社に言われるのは私の仕事に関連した理由がある。長くなるのでここでは端折るが、その当時猫1頭で留守番させることが多くて、可愛そうかなと思っていた。飼うなと言われるとなおさらだった。

7月の海の日。いつもうちの猫を連れていく浜辺では、例年初夏には「海の家」開店のための工事が始まって騒々しい。そこでちょっと離れた静かな砂浜に向かった。その帰り、防風林の木々を抜けて駐車場に出るところで、海風の中にかすかな猫の鳴き声が聞こえた。

子猫の声だった。よくみると木の根元に置かれた段ボールのなかに3匹の白黒の子猫たちがいた。誰かが拾ってくれることを見越してここに置いていったのだろう。覗き込んだ私にミャアミャア鳴きながら寄ってきた。1ヶ月半ほどのかわいい盛りで、被毛は汚れてはいたが目はすでに開いていて、箱から出ようとワラワラ動きまわっていた。もうすぐ日が落ちてあたりは暗くなる。大家と会社には内緒にして連れて帰ることに決めた。自宅で風呂に入れ体をきれいにし、目ヤニの落ちない汚れはパウダーで化粧して写真を撮った。その写真を持って近くの動物病院へ行き、「里親募集中」の写真を待合室に貼ってもらい、子猫たちは血液検査とワクチン接種。この一連の作業はいつも見ていたからわかっている。

診てくれた若い獣医師先生が3匹のうちのハチ割れメスをもらってくれた。2匹目、白ブチの大きなオスは、病院の貼り紙を見たという人に3週間後貰われていった。最後の1匹は小さくて貧相でいつも兄や姉の後を付いて歩くだけで、自己主張のほとんどしない大人しい男の子だった。いつも何気に震えていて鳴き声も微かにビブラートがかかったような、か弱い声。うちの子にしよう、と夫が決めた。あまり強くないキャラなら主張の強い全盲の先住猫を姉としてうまくやっていけるかもしれない、そう思ったから。先住猫の弟分として仲良くなってくれたらと願った。

名前はいつも小刻みに震えている様に見えたことから

Twitch(けいれん)+kitty=Twitchy と夫がつけた。トゥイッチーと呼ぶ。

後年、この名前はご近所さんや実家の両親には覚えられないと不評で、シロとかスズ(カラーに鈴が付いていた)とか色々な名前で呼ばれることになる。


目の見えない先住猫は初めはおっかなびっくりだったけれど、期待したほど彼に興味を示さなかった。気まぐれで時々強めの甘噛みを与えた。幼少期に兄弟と遊ぶことのできなかった彼女なりのちょっと意地悪な挨拶代わりだったのかもしれないが、彼は嫌がって次第に彼女に近づかなくなった。決していがみ合うほどの関係ではないものの、一緒に寝ることや遊ぶことはなかった。こればかりは相性だから仕方ない。Twitchyは体も大きくなってくると、外でよその猫と喧嘩をして帰って来ることが多くなった。
猫に対しては態度がでかいくせに人には臆病で、家族以外の人には寄り付かなかった。

私が学生だった大昔、初めて飼った猫も白黒だった。温厚な子で1頭飼いだったにもかかわらず、よその家の猫とも喧嘩することはなかったし、人や猫、誰にでも愛想を振りまくことのできる扱いやすい子だった。大学卒業後、数年一緒に暮らしたが、海外へ長旅に出るときに泣く泣く叔母の家に貰われていった。
同じ白黒。性格は被毛の色である程度、分類できるとは言われているが、必ずしも当てはまるとは限らない。

でも子供のいない私達夫婦にとって、彼は猫らしく、真面目に突拍子もなく面白いことをしでかしてくれる、ドラ息子のような存在。ネズミを捕まえてきて部屋の中で放して大騒ぎをおこしたり、食器棚の上から吐いて吐物や毛玉を床に撒き散らしたり、浜辺で波を追いかけて全身ずぶ濡れになったり、訪問客の車の窓が開いてると、勝手に後部座席に入って昼寝していて連れて行かれそうになったり。いつも事件を起こして笑わせてくれた。

そんな家族が1頭増えたけれど、我が家は相変わらずZaatti中心の生活だった。Zaattiがいつも一番でTwitchyはいつも二番、目の見えないZaattiを夫がとにかく可愛がり、ひいきしたのだった。彼女がちょっかいを出して彼を甘噛みすると本気の反撃を食らう。彼女が悲鳴をあげると彼はエキサイトして更に一撃を加えようとする。いつもそのパターン。双方とも冗談が通じないというか、寛容でないというか、合わない。夫は彼女の悲鳴を聞きつけると、彼女を守ろうと彼をたしなめて外に出す。常に彼女サイドであって、フードやおもちゃも彼女の好きなもの、彼女の必要なものが最優先。彼の優先権、選択権はほとんどなかった。だって彼は五体満足で目が見えるから。そして多少の好き嫌いはあっても、なんでもよく食べる優良児であり、放っておいても大丈夫なのだ。ずっとそんな風に思っていた。

去年末、Zaattiの体調が悪くなり、病気が判明してからというもの、さらに彼女へのひいきがひどくなった。彼女には処方食を与えるようになり、彼女を押しのけて彼が横取りするたびにやんわりと夫に怒られた。別場所で与えた方がいいのはわかっていたが、食の細い彼女は一日かけて食べるため無理だった。彼女が行けない場所はあっても彼の行けない場所はなかったから。
目につかないところで彼女が仕返しを受けることがないように、夫は色々気を使ったようだが、彼はだんだん夫には甘えなくなった。私にさえ、彼女の前で甘えるのは遠慮がちになった。

今年1月Zaattiが急死し、私たち夫婦が深い悲しみに陥った日から、家にいない時間が長くなった。夜、帰ってこない彼を私が探しに行くことも増えた。メス猫を追っていたのか、オス猫と喧嘩して逃げだしたのか、はたまた他人の家に出入りするようになったのか不明だが、夜中まで帰らないことなんてこれまでなかったのに、帰ってこなくなった。同居猫が死んだということよりも家の中の雰囲気が急に変わってしまったという彼の動揺の表れだったかも知れない。
元々甘えることが少ない子だったが、涙にくれる私達の様子や悲嘆に満ちた家の中の雰囲気に、自分のいる場所が無くなったように感じたのかもしれない。ずっと一緒にいるのに、しばらく気にかけてあげられなかった。

あれから1ヶ月。亡くなった子が好まなかったという理由でこれまで与えたことのなかった彼の好きなフードに切り替えた。おもちゃも光りものやLEDライトのような目に見えるタイプの新しいものを買った。彼は少しずつ落ち着きを取り戻して家に居着くようになり、彼らしい主張もみられるようになった。

悲しみはまだ家のあちこちに燻っているけれど、家の中では、かつてよくかけていたラジオも音楽も前ほどかけなくなり、4つあったトイレが1つになったことも見慣れてきて、彼女のいない生活が新しい日常になりつつある。Twitchyは遠慮がちだった以前より甘えるようになった。

そう遠くないいつか、彼を失った時、同じ悲しみを味わうのは今考えても辛い。
でも、残された彼に寂しい思いをさせたなんて思いたくないし、後悔もしたくないから、今のうちたくさん甘えさせてあげたいと思っている。
今は元気だけど彼も今年12歳、病気を心配しなければいけない年齢となった。

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