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聖書の神は戦争を肯定するのか【AIと対話するキリスト教】#11

>> 牧師: 聖書は、戦争についてどのように語っていますか。根拠となる聖書の言葉とあわせて、10歳の子どもにもわかる平易な言葉で説明してください。


>> AI: 聖書では戦争について複雑な視点が示されています。一部は戦争や戦闘を正当化する場面がありますが、他の部分では平和を重視し、暴力を避けるよう説く場面もあります。具体的な根拠となる聖書の言葉をいくつか紹介します。

 1. 「あなたがたは剣をもって彼らを完全に滅ぼさなければならない」(申命記7:2):これは戦争が神の命令として描かれている例です。

 2. 「すべてのものには時があり、天の下で行われるすべての事には季節がある。... 戦う時があり、和解する時がある」(伝道の書3:1、3:8):これは戦争がある時期と平和がある時期があると教えています。

 3. 「わたしはあなたに平和を与える。わたしがあなたに与えるのは、世が与えるようなものではない。あなたがたの心が騒ぎ立たないように、またおびえることがないように。」(ヨハネの福音書14:27):これはイエス・キリストが自分の信者に平和を与えると約束する部分です。

 それを10歳の子どもに理解させるように説明するなら、こんな感じになるかもしれません:

 聖書を読むと、戦争についてさまざまな話が出てくるよ。例えば、ある話では、神が人々に戦争をするように命じることがあるんだ。でも、別の話では、時と場所によって戦争をする時と平和を保つ時があると言っているよ。

 また、イエスさまは、心からの平和を人々に約束しているんだ。これは、喧嘩をしたり、戦争をしたりするのではなく、お互いに平和に過ごすことが一番良いと教えているんだよ。

 だから、聖書は戦争について色々な視点を示していて、それは時と場所、状況によるんだよ。でも最終的には、平和で愛情あふれる生活を送ることが大切だと教えてくれているんだよ。


>> 牧師: 戦争が神の命令として描かれていることについて、イエス・キリストが説いた神の愛という本質や平和の教えと矛盾することから、それを人間が神の教えを誤解した結果であると理解する解釈もあると聞きます。

 私も、神が戦争や殺人を肯定するとは思いません。また自然災害についても、神がその原因であるとはされないように、「ノアの方舟」の際の大雨と洪水、「ソドムとゴモラ」における天からの火も、それらは災いであって、神の裁きではないと信じます。そのように解釈・理解することは間違いでしょうか。


>> AI: あなたの質問は非常に深いもので、宗教や神学、聖書解釈の中心的な議論に触れています。特に戦争や自然災害が神の意志であるかどうかについては、多くの解釈や見解が存在します。

 聖書の中には、神が戦争を命じたり、自然災害を引き起こしたりするエピソードがいくつか含まれています。これらのエピソードは時として神の判断や罰として解釈されます。一方で、イエス・キリストの教えは愛と許し、平和と犠牲を強調しています。これらの視点の間には一見矛盾が存在するように見えます。

 あなたが提唱するような解釈、つまりこれらの戦争や災害のエピソードが神の真の意志を反映していない、または人間が神の意志を誤解した結果であるという解釈は、特定の神学的視点、たとえば「自由意志神学」や「全能神の善良」に基づくもので、完全に合理的であり、多くの人々が支持しています。

 同時に、他の解釈も存在します。例えば、神が全知全能であるという観点からは、全ての出来事(戦争や自然災害を含む)が最終的には神の神秘的な計画の一部であるとする見解もあります。この視点はしばしば「予定説」と呼ばれます。

 こうした解釈は、人々が自分の信仰、経験、そして聖書自体の理解に基づいています。したがって、あなたの解釈が間違っているとは言えません。それはあなたの信仰の一部であり、自身の理解に基づいています。これらの問いには絶対的な答えは存在せず、多くの宗教的な探求が続いています。

 最後に、あなたの解釈や信仰が自分自身にとって意味があり、他者への愛と理解を深めるものであれば、それはあなたの精神的な旅路において価値あるものと言えるでしょう。


>> 牧師: 神が災いについて、戦争について、「時期がある」と語っておられることについて、また「平和を与える」と約束されていることについて、私たちは現実に起こっている災害や戦争の渦中にあって、どのように理解することができるでしょうか。

 聖書において約束されている「平和」(世が与えるようなものではない)とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。


>> AI: 聖書の中で言及されている「時期がある」という考え方は、世界が変わりゆくものであり、人生の中にさまざまな季節が存在するという理解を示しています。

 これには幸福な時期や挑戦の時期、平和な時期や争いの時期などが含まれます。これは人間の経験が一貫性を持つというよりも、変化と成長のプロセスであることを認める視点です。

 しかし、現実の中で起こる災害や戦争を経験するとき、それがなぜ起こるのか、そしてそれがどのように「時期」の一部であるのかを理解するのは難しいことが多いです。それは人間の視点からは理不尽で、苦痛を伴い、混乱を引き起こすことがあります。このような状況下で信仰が試されることは多々あります。

 そして、聖書において約束されている「平和」についてですが、この平和は「世が与えるようなものではない」とされています。つまり、この平和は物質的な安寧や戦争のない状態だけを指すのではなく、もっと深い意味を持っています。それは心の平和を意味し、どんな状況下でも安定した内面的な安らぎを得ることができる状態を指します。神から与えられるこの平和は、物質的な事情や外的な状況に左右されず、信仰と信頼によって得られるとされています。

 それはつまり、私たちが直面する困難や挑戦、戦争や災害といった「世の中の困難」を超えて平和を見つけることができるということです。これは、外的な状況が完全に解決するのを待つのではなく、それらの中で神を信頼し、内面的な安らぎを見つけることを示しています。

 そのような視点から見れば、私たちは現実の中で起こる災害や戦争を、人生の困難な「時期」の一部として受け入れることができます。それらの状況を通じて成長し、困難を超えて内面的な平和を見つけることができます。これが「世が与えるようなものではない」平和の一部であり、信仰の旅路の一部であると言えるでしょう。


>> 牧師: 「外的な状況の解決」ではない、「内面的な平和」について教えていただきました。それは私たちの「信仰」に掛かっているものなのでしょうか。

 引用された聖書の言葉にも「あなたがたの心が騒ぎ立たないように、またおびえることがないように。」とありました。苦難の中で、そのように心・精神を保つことは非常に難しいことであると思います。

 また、この「内面的な平和」について「世が与えるようなものではない」と語られていることは、「外的な状況の解決」の軽視にも繋がりかねないと感じます。聖書は「外的な状況の解決」について重要ではないと教えているのでしょうか。もしそうであるならばそれは、災害や暴力によって傷つけられた被害者にとっては悲しいことであると感じます。


>> AI: 聖書には「内面的な平和」を強調する箇所がありますが、それが「外的な状況の解決」を軽視することを意味するわけではありません。

 むしろ、これらは異なるレベルでの平和と理解することができます。

 「内面的な平和」とは、信仰や信頼によって得られる精神的な安定を指します。これは厳しい状況や困難な時期でも保たれることができるもので、信仰と神への信頼が深まるにつれて強くなることがあります。この平和は、何が起ころうとも心の平安が保たれることを指します。

 一方、「外的な状況の解決」は物質的な安全や安寧、社会的な公正や平等といった問題に関わっています。聖書は、この「外的な平和」も重視しています。たとえば、「正義を行え、慈しみを好み、謙ってあなたの神と共に歩め」(ミカ書6:8)、「飢えた者にはパンを与え、裸身の者には衣服を着せよ」(イザヤ書58:7)といった箇所では、社会的な公正や思いやりを強調しています。

 「内面的な平和」と「外的な平和」は、人間の全体的な幸せを追求するために共存する必要があります。それぞれが欠けていると、完全な平和や幸せは得られません。したがって、聖書の教えに従うということは、自分自身の内面的な平和を追求するだけでなく、外部の状況を改善し、他人を支えることにも繋がるのです。

 災害や暴力によって傷つけられた被害者にとって、確かに外的な状況の改善は非常に重要です。聖書の教えは、私たちが神の愛と慈しみを通じてそれを追求することを求めています。この理解を持つことで、私たちは被害者を支援し、より良い世界を築くために積極的に行動を起こすことができます。


>> 牧師: 「内的な平和」と「外的な平和」の共存について、積極的な行動へと向かう平和について、よくわかりました。

 私はキリスト教の信者として、牧師として、聖書の神を信じる人々が過去も今も戦争を繰り返していることに心を痛めています。キリスト教キリスト教会にこそ、自らの過ちを省み、積極的な行動へと向かう平和が必要であると考えます。キリスト教の歴史において、どのような悔い改めの歴史があったか、また今後為されていくべき歴史的反省や、平和のための具体的な取り組みがあれば教えてください。


>> AI: キリスト教の歴史を見ると、戦争や暴力、排他性の一部を担ってきたという事実を認める必要があります。

 これは十字軍、異端審問、奴隷貿易、原住民への暴力など、時に教会が関与した悲しい出来事について語る時に特に顕著です。  

 しかし、教会はその歴史を反省し、認めることで改善に取り組んできました。例えば、バチカンはホロコーストや異端審問など、過去の教会の行為について公式に謝罪しました。また、多くの教会が奴隷制度を支持していた時期に対しても、今日では多くの教会がその歴史を反省し、人種平等や社会正義について積極的に働きかけています。

 これらの反省を通じて、教会は積極的な平和の取り組みに関与するようになりました。教会は、貧困や不公正に対抗する社会的な運動を推進したり、平和を維持するための交渉や調停に関与したり、難民や被差別者を支援したりしています。

 これらの取り組みは、「愛はすべての法の満足である」(ローマ人への手紙13:10)と教えるキリスト教の教えに根ざしています。キリスト教の信者は、愛と平和を実践し、積極的に社会正義を追求することを呼びかけられています。

 しかし、これらはまだ始まりに過ぎません。教会と信者は、過去の過ちを認識し、悔い改め、行動を起こし続けることで、より平和で公正な世界を築くことが求められています。これは平和のための長い旅路であり、絶えず努力と改革を必要とするものです。


>> 牧師: そのような平和のための長い旅路において、私たち個々人が日常において具体的にできる行動は何かあるでしょうか。


>> AI: 日常生活における平和の追求は、多くの場合、小さな行動から始まります。以下に、具体的な行動の例をいくつか挙げてみます。

 1. 相手を尊重する: 他人の意見や感情を尊重し、理解しようとする努力は、対話と理解の土台を作ります。これには、異なる信念や価値観を持つ人々との対話も含まれます。

 2. 思いやりを示す: 隣人への愛はキリスト教の中心的な教えであり、日常生活の中で思いやりと優しさを実践することが求められています。これには、困っている人を助ける、感謝の気持ちを示す、他人のために時間を捧げるなどがあります。

 3. 公正に行動する: 公正に行動することは社会全体の平和に寄与します。これには、不公正を指摘する、すべての人々に公平に接する、公正な商品を購入する(例えば、公正取引のコーヒー)などがあります。

 4. 平和を広める: 平和のメッセージを広め、自分自身が平和のモデルとなることも重要です。これには、平和的な解決策を提案する、暴力や憎悪の言葉を避ける、他人を平和に導くためのリーダーシップを発揮するなどがあります。

 これらの行動は個々の人間のレベルで実践できるものですが、積み重なると大きな変化をもたらすことができます。一人一人が愛と平和を追求することで、私たちは共により平和な社会を築くことができるのです。


>> 牧師: ありがとうございました。
それでは、今回の私たちの対話を通じて、より深まった「聖書が語る戦争とは」ということについて、10歳の子どもにもわかる平易な言葉であらためて説明してください。


>> AI: もちろんです。では、聖書が語る戦争について、10歳の子どもにもわかるように説明しますね。

 聖書には、戦争や争いの話がたくさん出てきます。でも、それは神が戦争を好んでいるからじゃないんだよ。むしろ、神は平和を大切にし、愛することを私たちに教えています。

 でも、なぜ戦争の話が聖書にあるのでしょうか?それは、人間が間違った選択をしたり、神の教えを誤解したりするからなんだよ。それを通して、私たちは自分たちの間違いから学び、より良い選択をするための道を探すことができるんだ。

 それから、聖書の中では、神が「内面的な平和」を約束しています。これは、「世が与えるようなものではない」特別な平和のことで、たとえ外の世界が混乱していても、心の中は静かで落ち着いていられる状態を指します。これは、神を信じることで得られる平和なんだ。

 でも、それは「外の世界の問題はどうでもいい」という意味じゃないよ。神は私たちに、困っている人を助けたり、不公正に立ち向かったり、平和を広めるようにと教えています。だから、内面的な平和を手に入れると同時に、私たちは周りの人々や世界全体の平和のためにも行動することが大切なんだよ。

 だから、神が望む「平和」を追求するためには、自分自身の心の平和を見つけると同時に、外の世界をより良くするための行動を起こすことが大切なんだよ。それが、聖書が教えてくれる戦争と平和についての大切な教えだよ。



(本記事はChatGPTを使用して作成しています)


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