連載小説『キミの世界線にうつりこむ君』第七話 逃げたかった現実
「花森さんが初めて好きになった人ってどんな人だったの」
軽い気持ちで聞いたその先に語られたことは想像を超えるほどの現実だった。
「先生・・・。担任の先生だったんです。女性の先生だったけど、いつも人の繊細な感情を見逃さないで気づいてくれました。そんな優しさを好きになった。
『花森さんが悩んでいる時は小さなことでもいいから教えてね』
そう声をかけてくれて尊敬もしていました。それで好きな気持ちが膨らんでいって想いを打ち明けようって決めたんです。卒業式の日に職員室に行って呼び出して」
放たれる言葉がいちいち僕の心を揺さぶってくる。
「いつものように優しい笑顔で聞いてくれる。
そう思ってたんです。
ーーー『先生のことが好きです』
募る想いをうまく伝えようとしても出てこなくてありきたりな言葉で告白した。
『それは人としてってことよね?』
目を丸くしながらも口調は優しいままだ。
『いえ、恋愛として先生のことが好きなんです』
首を横に振ってはっきり否定する。
その答えを聞いた途端、先生から笑顔が消えた。
『何それ、気持ち悪い』
ーーーその一言と同時に車のヘッドライトが強く光って通り過ぎる。まるで時が止まったようなそんな感覚に陥った。
「ふっ、そうだよね。そこから僕なんかが人を好きになっちゃいけないんだって、『普通の生き方』を望んじゃいけないんだって、人を信じちゃいけないんだって・・・」
語られる言葉に
「それ以上言ったらダメだ。そんなこと言ったら、花森が苦しくなるだけじゃないか・・・」
花森の口に人差し指を当てて止める。その顔は涙でぬれている。
いきなり遮られたことに驚くも、それをはらおうとしない。
「なんで、滝川先輩が泣くんですか」
「本当だよな。泣きたいのは花森さんだろうに」
緊張の糸がその瞬間、ほどけたような気持ちになった。
「男性として生きたいのに周りは女性としか見てくれないし、お母さんも同じなんです。ちゃんと親に伝えたことはないんですけど、気づいているみたいで。言葉に出そうとしなくて見て見ぬ振りみたいな感じで家の中で会話しなくなってしまいました」
諦めのような表情のまま頷いている。
「・・・・・・。
どこから話せばいいのか、わからないけれど話してくれてありがとう」
勇気を出してくれたであろう花森の方を向いて頭を下げる。滝川なりに精一杯考えた最初の一言に
「ありがとうございます。あんまり言いたいことが上手くまとまらないですけど」
そんなことないと言うように首を左右に振る。
「僕はまだ人を好きになったことはないけれど『好き』って気持ちに間違いなんてない。間違った恋愛なんてない。そう思うんだ、綺麗ごとかもしれないけど」
思ったことをそのまま紡ぎ出していく。
「滝川先輩は今まで人に恵まれてきたんですね。
だから、優しい滝川先輩がいると思ったら羨ましいです。僕はなりたくてもなれないから」
「それはどうなんだろう。自分で恵まれてるって思ったことないし、初めてだよ。そう言われたのは」
「僕にもそんな人が近くにいたら違ってたのかな。
それでも変わらないよね、きっと」
もう時刻は二十一時を過ぎてどんどん閉店作業を始めるように灯りが消えていき、真っ暗になる。
ーーーブブブブーーー
滝川のスマホが鳴り始め
「ごめん、ちょっと待ってて」
体を反対の方に向けて電話に出る。
「真!何度も電話してるのにどうして出ないのよ」
怒り心頭の百合からの電話のようだ。
「気づかなかった、ごめん」
申し訳なさそうに謝る。
「それで、どこかに出かけてるの」
「ああ、いや・・・。うん、ちょっと人と会って話してる」
「ふーん」
面白くなさそうな返事をされる。
「とにかく、ちょっと今は百合に付き合うのは難しいから用事終わったらかけ直すよ」
「わかった、待ってる」
納得したのか一方的に電話を切られる。
(なんか怒ってるのかな、後で理由聞いておこう)
そう思いながら花森の隣に戻って座る。
「滝川先輩、もう時間も遅いですし、帰っても大丈夫ですよ」
スマホの画面の時計を見せる。
「それは花森も同じだよ。帰るんだったら家まで送っていくよ」
立ち上がって手を伸ばす。それに応えるように手を握り返して渋々と立ち上がる。
「花森さんの家ってどっち方面なの」
「あそこに見える東京タワー方面」
東京タワーを指差す。いつものように橙色に煌めいている。それが余計に、変わらない現実を訴えているようでいつもより好きになれなかった。
足取りは先ほどより軽やかになったのか花森の歩調が早くなる。
「待ってよ、早過ぎない?」
少し息を切らしながらも懸命に追いかける。
「滝川先輩が遅いんですよ」
くるりと一回転してから、からかってくる。
「こら、先輩をからかうなよ!」
仕返しにちょっかいをかける。何気ないこの瞬間が唯一、素の自分を曝け出せていたのだろうか。そうこうしているうちに花森の家の前まで着いた。
「寒かっただろうから、ゆっくり休んで」
手を軽く上げる。
「さよなら、滝川先輩」
手を振り、寂しげな顔を隠しながら家に入る。
その後ろ姿を見送り
(今日は目まぐるしかったような一日だけど、花森さんと仲良くなれたようでよかった)
花森を階段で見かけた時の胸騒ぎが杞憂に終わったようで安心する。その様子を変えるように雷が鳴り出し、雨が降り始めていく。
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