教育の選択: 学校教育とオルタナ教育で何が違ってくるのか
はじめに
世の中には多種多様な教育方法が存在しています。
伝統的な学校教育の方法と、モンテッソーリやシュタイナー、
イエナプランといったオルタナティブ教育が挙げられます。
そして教育に関心のある方だったらどの教育方法がいいのだろう、
子供をお持ちのご家庭だったらどこ教育がいいのだろう、
どこの学校がうちの子どもにぴったりなんだろう、
と悩んだり、情報を調べていたりするかもしれません。
今回ご紹介するのは、ちょっとしたヒント。
教え方の違いで子供たちの知識構造、そして表現方法が違ってくるようだ
という研究をご紹介します。
覚えるとは
記憶する、俗に覚えることには、専門的に話したりすると何種類かあったりします。
それを全て紹介すると記事を読み終わるのが3分で終わらなくなるので、
ここでは意味記憶と呼ばれる種類のもの、
簡単に言ってしまうと、物事や数字、人物の名前などの情報についての覚え方について書きたいと思います。
さて、皆さんは物事を覚える時どのようにして覚えますか?
あー、思い出せない。
と悩む時、自分の頭の中にある整理整頓されていない記憶貯蔵庫を恨めしく思ったりします。
不思議なことに、私たちは頭の上にのっかっているたった数キロのゼリー上の物体のどこかに記憶を蓄えておける場所があると思っています。
脳科学関係の本を手に取ってタツノオトシゴの形をした「海馬」と呼ばれている場所が記憶の倉庫だと思っている方もいるのではないでしょうか。
実はこれは厳密にはちょっと間違っていて、
私たちの記憶は脳の様々な場所に散らばって格納されています。
海馬は情報を読み込んだり、再び呼び起こしたりするときに必要な部位なんです。
それで何が重要なのかというと、
覚えた情報が私たちの頭の中にどのように配置されているのか
という点なんですね。
この手の研究だと、fMRIを使って思い出したときに脳のどの部位が活動するか調べたりすることが多いのですが、スイスの研究者たちは覚えた情報がどのように繋がっているのかという視点から分析しました。
なんと、教育方法の違いで「頭の中の情報構造」が異なるらしいです。
それは一体どのようなことを意味するのでしょうか?
創造的思考を生み出す仕組み
この研究で明らかにしたのは、
知っているか知っていないか
というのではなく、
知っている情報をどう表現できるか(語彙とか描写)
ということです。
研究ではモンテッソーリ教育を受けた生徒と従来型の教育を受けた子供達が比較されました。
手法は計算ネットワークという手法を用いました。
お題に対して答えた言葉をネットワークで表現するというものです。
結果はこの画像のようにモンテッソーリ教育を受けた生徒は、情報のまとまり(クラスター)の間の間隔が短く、高い接続性をもっています。また、柔軟なネットワーク構造をもっているようです。簡単にいうと、めっちゃ繋がっているってことです。
このように覚えたことがギュッとまとまっていて、情報を柔軟に入れ替えたり呼び出したりできる記憶構造を持っているらしいです。
発散的創造性テストと収束的創造性テストでは、モンテッソーリ教育を受けた子供の方が、従来型の教育を受けたこともよりも成績がよかったみたいです。
どんな教育が違いを生むのか
私はモンテッソーリ教育の専門家でもないし、詳しくもないのでそちらは別のところで調べてみてください。(リスクヘッジ)
ただ、この論文でも書いているように違いを生むのは、
エラーアンドトライアプローチ:子供たちは自分たちで問題を解決する方法を考え、教師は答えを教えるのではなく、簡単なフィードバックをする。
多年齢クラス:異なる年齢の子供たちが一緒のクラスで学ぶことで、高い社会的多様性と異なる視点を持つことができます。これにより、成長期の子供達間のミクロの学びが促進される。
時間的プレッシャーのない学習:子供たちは自分のペースで学習することができます。
プロジェクトベースの学習:自主的な探索を重視し、子供たちは自分の興味や関心に基づいてプロジェクトを進めます。
らしい。
はい、ツッコミきました。
そうです、これってモンテッソーリ教育じゃなくてもいいよね?
ビンゴ、よくご存知で。
ほとんどのオルタナ教育はこれらを網羅しています。
だって、(ほぼ全ての)オルタナ教育の目指しているのは「知識の量」ではなく「知識の表現」なんで。
この論文から学べること
最終的に、どの教育方法が最適かは一概には言えません。
どれを受ける子供の特性もありますし。
(ちなみに、うちの子供はモンテッソーリ合いませんでしたが、探究学習とか工作大好き人間です)
基本、従来型の教育であれ、オルタナ教育であれ一長一短あります。
現在の教育は19世紀のプロセインが〜 日本の教育オワコン・・・
はい、それもわかります。
重要なのは、そうやって日本の教育ダメ、海外教育がいいというのではなく、
この論文が示したように「教え方によって知識の構造に違いが出る」
だったらどうやって教育しようか、という前向きな思考です。
記憶、覚えるという作業は実は深く、いまだわかっていないことも多くあります。
ですから、従来型教育とオルタナ教育のいいとこどりして、
覚えると活用する
を同時並行でやる学びを実践するのがいいんじゃないですか。
新しい情報に出会い、覚える、
そして活かしながら意味を付け、自分ごととしてく。
で、必要なときに覚えたことをフル活用できる。
それが今求められている教育なんじゃないでしょうか。
ちなみにですが、脳はつまらない情報は即消去。
逆に、脳は意味のあること、感情に訴えたり、ハッとすることには脅威的な勢いで保存ボタンを押してくれます。
覚えた情報を自分ごととする、だからこれ、めっちゃ重要なんですよ。
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Denervaud, S., Christensen, A.P., Kenett, Y.N. et al. Education shapes the structure of semantic memory and impacts creative thinking. npj Sci. Learn. 6, 35 (2021). https://doi.org/10.1038/s41539-021-00113-8
この論文、読んでいて面白かったのですが、ツッコミどころありすぎ。
自己申告なんでfMRIで思い返すところの脳画像もあったら、ネットワークにさらに説得力が出るのでは?
モンテッソーリ教育じゃなくてもいいんじゃない?と思ったり。
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