教育DXとは、学ぶ<プロセス>を重視すること 新しいICT機材を買うことじゃないよ
名門学校に合格すれば、東大に入れば、有名企業に入社すれば・・・
日本という国で生活していると幼い頃からこのような「〜に入れば」安泰、みたいなマインドを多かれ少なかれ植え付けられますよね。
それは偏差値教育というシステムのなかにハマってしまうと、洗脳というレベルで迫ってきます。
ま、今ではそれが海外にまで拡張され、Ivyの大学卒業すればとか外資に入れば上がり、みたいな感じになっているけど、根本としては「〜をすれば・になれば」おしまい、という感覚を持っているのは否めないでしょう。
ずっとこんな考えに違和感を覚えながら教育に携わってきていたんだけど、うまく言語化できないもどかしさに悩んでいる時、この本に出会ってしまったのです。
日本語のタイトルがちょっと本の趣旨とは異なるんだけど、オリジナルタイトルは"The Inevitable: Understanding the 12 Technological Forces That Will Shape Our Future"となっています。
つまり、inevitable、つまり「不可避なもの」、テクノロジーがどんどん進化して、私たちの行動や考えが「不可避」に変わっていくということを論じてます。この本では、テクノロジーがどのように私たちの生活や働き方、さらには学ぶ方法を根本から変えていくかについて洞察に富んだ展望が提示されています。
今回、Kevin Kellyの本を久しぶりに読み直したら、忘れかけていた重要なポイントを思い出したのでここにメモ用・ご共有用として書こうと思います。
ゴールを目指させる日本の教育
日本の教育では、昔から特定の入試を突破するための勉強法や、特定の問題解決法を学ぶことを重視してきました。これは、正解を導くための明確な手順や方法が存在するという前提に基づいています。そのため、基本的に詰め込み式の教育が愛されておりました(ています<*当社しらべ>)。なお、今、問題解決や対話式の学習というものが流行っておりますが、結局のところ大学合格実績を高めるぜ〜というのが暗黙の了解となっております。
典型的な例として、現場の先生たちは小学校では学力テストの対策に没頭したり、中学では学力推移調査の上下に一喜一憂したり、高校になっては大学合格実績を上げるために心病んだり・・・
冒頭にも書きましたが、なんでこんなに入試にこだわるのでしょう?
それは「〜すれば・にはいれば」安泰という思いがあるからだと思います。
いや、そんなことない!と全力で否定する人もいるでしょう、でもだったら何故に都内の中学受験の数がこんなにも増えていると思いますか?
そう、誰もが「〜すれば・にはいれば」「完全体」になれると密かに思っているからだったりします。
ビカミング(なっていく)を目指す
しかし、Kevinは、このような固定された「完成形」を目指す教育アプローチは、絶えず変化する現代社会においては限界があると指摘しています。
テクノロジーの進展は、知識やスキルが常に進化し続けることを意味しており、私たちは変化に柔軟に対応し、継続的に新しいことを学ぶ必要があります。
特にKevinの指摘の中で非常に重要で示唆に富む点を紹介します。
彼は「フロー」という観点から世界の概念について論じている。<流れていく>世の中で教育はどのように変わるのでしょうか?次の4つのステップを踏んでいくようです。
1 固定的/希少
昔は、教育は固定され、希少なものでした。昭和初期だったらナンバースクールとか帝大みたいな。<そこ>に行かなければ得ることのできない知がありました。
1980年代、SKY予備校最盛期もそう。代ゼミ本校に行かなければ味わうことのできない<知?>がありました。お茶の水の駿台に行かなければ、何時間も並ばなければ伊藤和夫の名物授業に列することはできなかったのです。ちなみに代ゼミ本校で冨田和彦の授業の席取りは激烈でした。
が、しかし、東進予備校の登場で全てが変わります。地方でも有名予備校講師の授業が<ビデオ>で見れますやん!しかも、自分の好きな時に何度でも 。
そして、スタサプが登場して2000年代後半にはインターネットという文明を活用してネット上で日本中・世界中どこからでも有名講師の授業を当たり前に見ることができるようになりました。
2 無料/どこにでもある
さらに、スタサプのようなリクルートに年貢を納めなければならない状態から、youtubeという無料でいくらでも質の高い授業をみることができるようになりました。葉一さんとかヨピノリさんが有名ですね。私は、AIcia Solid Projectという統計分析についてめちゃくちゃわかりやすい動画をよく見ています。
3 流動的/共有される
そして、最新の教育はここら辺のところを彷徨っているのだと思います。つまり、テクノロジーに敏感な先生は従来の授業にyoutubeやその他無料のコンテンツを組み合せて新たなスタイルの授業を展開し始めています。そしてそれを一般に公開したり、先生同士でコミュニティーを作って学びを深めています。
一方学ぶ方は、discordなどをつけっぱなしにしながら、学びを「共有」する仕組みを作っていたりします。
教える側と学ぶ側の境界線が溶け始めている感じですね。
その現象をうまく具体化しているのが、この「どこがく」だと思っています。
ちなみに、私は行く行く詐欺を繰り返し、いまだに遊びに行けてないこと懺悔します。
4 オープン/なっていく
最終段階的に、学ぶ側、つまり生徒が無料のコンテンツをキュレートし、そこに価値をつけていく方向になると思います。
つまり、めちゃめちゃ、わかりやすい、便利な学習サイトを集めて紹介することが学校の先生ではなく、生徒がやっちゃうってんです。つまり、教育コンテンツの消費者(コンシューマー)であると同時にプロデューサーとなるんですね〜。
そして心ある先生はそれを受けれて、自分の成長へと繋げる・・・
何がポイントなのかというと、先生<教える側>も生徒<学ぶ側>も「〜したら」上がりという<完成形>を目指すのではなく、学ぶプロセスを重視し、「〜したら」は次のあるべきステップへのBecoming<なっていく>途上にすぎないと理解することだったりします。
難しんすよね。。。
教育パラダイムの転換
教育におけるKevinのコンセプトは、暗記や標準化されたテストから、批判的思考、問題解決、適応力といった、絶えず変化する世界に適したスキルを身につけることへと、パラダイムの転換をうながすものです。
日本でも多くの学校やトレンドに敏感な先生は結構こういった授業を展開するようになりましたね〜。私もかなりおすすめの学校・先生がいたりします。
しかし、全体として見た場合、日本ではやはり昔からある根のところ、「ゴールがある」って言っちゃう・暗に仄かしちゃう教育をやっているんですよね〜。
日本の教育システムがどのようにしてKevinの「流れ」の概念を取り入れ、変化する世界に適応する生徒を育成するための新しい教育パラダイムを構築できるかが、これからの時代に私たちが注目すべきところじゃないでしょうか。
教える側が学び手である生徒たちに、完成形を目指すのではなく、継続的な学習と変化のプロセスが重要だと気づかせると、日本の教育は不確実な未来に向けてよりよく準備できるようになるでしょう。もうすでにやっている先生も多いと思いますが・・・
ともあれ、おすすめの本です〜。
最後にKevinからのお裾分け。
良い質問のついての入試問題
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