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平和な喧噪

怒涛のような一週間だった。ナースが一週間丸々欠勤。一人居ないと割と大変・・・いや?なんか、人の悪口を聴く機会が減った分が少々楽に感じてしまう。

今の施設に来て4か月目で、特に物凄く親しい人がいるわけではないのだが、その人が時期施設長との面談で、私とA先輩が徒党を組んで自分をいじめていると訴えたそうだ。本当にビックリした。
執拗な宗教勧誘や無理やりな選挙投票を強要されて、むしろこちらがいじめにあっていたような状況だったのに。
何でいじめにならないか?それは私が言いなりにならないからだ。

でも、人が思い通りにならない=仲間はずれにされている、いじめられている。
となる人種も少なくないらしい。

仕事の話を二人でしていても、大声で遮って割って入って来る人なので、やはり皆引いてしまうというのは確かだ。

『私はいいんです。どこへ行っても人と上手くいかないので慣れています。』と副園長に話したというのを聴いた。

特に本人には求められていないので言わないが、その『慣れています。いつもそうだから。』で終わらせようとする癖が心身を太らせる。

どこに行っても?って、これはおかしいな?と思わないのが不自然。そんなに世の中に悪者や意地悪な人ばかりが居るわけでない。ということは?と考えるのは自然なことだろう。

考えることをさぼると、ますます錆びついて機能しなくなる部分が増える。自分も人を傷つけまくっているということを無視して、いつも自分が中心に居たいという思いと、押し付けて来る宗教との関連性は分からないが、とかく『やめて』と言われてしまう人がいる。

その『やめて』を言わなければ怒らせることもないのだろうけど、言わないでいる場合の事態の悪化ぶりを想像すると、早期に意思表示した方が良い。
自分がどんなに素晴らしいと思うものでも、そうは思わない人もいるのだと。

残念ながらどうしてもうまく行かない人というのは存在する。
が、かといって私は『どこに行っても、うんたらかんたら・・・』とは思わないし、いちいち上司に言いつけて何とかして貰おうとは考えない。

落ち込みやすい人、被害妄想を抱きやすい人というのは、実は人一倍支配的な人なのかも知れない。

人の心や、人の好き嫌いは、は自分の思い通りにならんよ。

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