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ジョニー(窓から薔薇を投げ入れるように生きる)

『ジョニー』
原題:Johnny
2022年のポーランド映画。裁判所命令により、ホスピスで働くことになった元犯罪者。そこで出会った神父(ヤン・カチコフスキー)との友情が、やがて彼の人生を変えていく。

実話に基づく物語であり、終盤に至っては、生前のヤン神父の映像やトークも出て来る。知っている人を観ているかのように涙が流れ落ちた。でも、それは悲しい涙ではなかった。

私的に30年余りもの間、色んな人の死というものを真近で観て来たせいなのか、この映画のリアルさに圧倒された。
もちろん全員ではないが、死に向かっていく人たちの一定数の方々が、私たちの度肝を抜くほどの頑張りを見せることがある。この映像美には、いくら時が経っても忘れることが出来ないその人々のことを思い出させられる。
不治の病を前にして自分の命自体を長持ちさせようとする頑張りとは少し違う。
使命を全うしようとして前に進む。そのために生きようとしている種の頑張りだ。

ある日、ヤン神父は司教に大反対されながらも、ホスピスを建設しようと決意する。それとほぼ同時期に、彼は自分の脳腫瘍のことを知る。

元々目が悪く、足も悪い。身体も弱い。病に侵される前から圧倒的に普通の人より疲れやすい状況だったというのに、不思議なことに、その立ち姿は逞しく凛として力強かった。彼にはコンプレックスなんて持っている暇もなかった。
光の向こう側から歩いて来る姿は「誰だろう?」と目が離せないほど神に似ている。神という偶像を観たことがない視聴者でも何故だかそう思ってしまうだろう。

彼はホスピスを作ることによって自分以外の全ての人を救った。

講演に向かう途中で交通事故による大渋滞が起こる。彼は、車を降りて歩き出す。誰にも止められなかった。
助手席に乗っている時点で既に瀕死の状態だったので運転手は慌てて彼を追いかける。もうやめろ。もう頑張るな!と。

しかし彼は言う。「これは私の人生だ。あなたは責任を感じるな。しかし私の人生を邪魔してはいけない。」と。

彼はその講演会場には辿り着けなかったが、死んだのではない。終盤に至って次へと向かう光の扉は開く。その扉は右側に開いて彼を迎え入れた。

一方、ヤン神父との出会いで人生が変わった青年は、それまでずっとどん底の世界で生きていた。
借金で殺されるかも知れない。
裁判所の執行猶予が停止され刑務所へ送られるかも知れない。
恋人にもふられる。誰も分かってくれないと。
不安と恐怖だけに支配されていた。

しかし、自らがエンドステージの生活を送っているヤン神父の尽力があり、自由を得る。

この映画の紹介文で「優しい神父と出会って不良青年が公正していく話」と言うのがあったが、あれはちょっと違う。ヤン神父は決して優しくない。我儘も沢山言う。嘘は言わないのできつい。でも、それが生きることだと彼に教えているかのように。

ヤン神父が旅立ってしまったあと、悲しみの中で終わるのか?と思いきや、映画の中の青年はシェフになる夢をかなえている。

そして「奥様がいらしています。」という声掛けに駆け出す。柱の陰から出て来る時には、実在する人物のリアル象にすり替わっているという演出が粋だった。

かつて青年だったシェフは、駆け寄り合う自分の小さな息子に「来たか!ヤン!」と抱きしめる。

そこで彼が自分の息子に神父の名前をつけたことが分かる。

ヤン神父は強情モノで、我儘で、強く、多分多くの人の心の中、思い出の中、あるいは季節に紛れて今も、この先もずっと存在しているのだろう。

最後まで何かを頑張っていた人々が私にとってそうであったように。

私は?

私は頑張らないよ。苦しいのは嫌だもの。
あの神聖な生き方に憧憬を抱きつつも、毎日ずるく生きて行く。でもそれもまた使命を果たすためにプログラミングされた魂の御業だと私を含む誰もが気づいていないだけなのかも知れない。


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