災害も奪えなかったものがある
もう何度も書いたかも知れない。13年前のあの日、私は興味本位で始めた訪問入浴の看護師をしていた。
当時はカウンセリング事務所を開くために病院ナースを退職してカウンセリング三昧の日々を過ごしていたが、じっと座って人の話を聴くだけの日々の中、また初めてのことをやりたくなって訪問系に手を出した。確か週1程度で。
そしてよりにもよって、カウンセリングの日ではなくて、訪問入浴のお宅でその瞬間がやって来た。立川にある古い木造の、しかし立派なお宅だった。
娘さんが独りで介護していたが、とうとう半年間もお母さまをお風呂に入れることが出来なくなって申し込まれたという、これもよりにもよって新規のお宅にお邪魔している瞬間だったのだ。物凄い揺れだった。
2階のお布団の上に寝ている100歳のお婆ちゃんの血圧を測っていた私は、思わずそのお婆ちゃんの上に四つん這いになって庇った。多い被さるのではなく、両腕をピンと張ってお馬さんの格好でお婆ちゃんの上にバリケードを作った。咄嗟のことでよく覚えていないが、頭の中に「倒壊」という言葉が浮かんだからだ。
今思えば馬鹿だなあと思う。屋根が落ちてくれば私の腕などでスペースが保てるわけないのに。
背中に、衣装ケースやら色んなものが落ちて来た。ついには電気の笠までも。
介護なさっているおうちは、何故だか高齢者が寝ている部屋に仏壇があることが多い。私は、ゆらゆら揺れている立派過ぎる仏壇を横目で見て、「ああ、これが倒れて来たら背骨が折れるんだろうなあ・・・」と考えた。
揺れは止まった。入浴も決行した。
しかし、次に訪問するお宅は中止を申し出て来られるだろうと思っていたのだが、違った。
その方のおうちは団地の8階にあって、エレベーターなどはとっくに止まっていたので思い機材を持って登山しているかのように登った。身体が重かった。
その方のお宅に無事に辿り着き、入浴を施している時に、その方がスピーチカヌレで一生懸命喋ってくれた。スピーチカヌレというのは、気管切開している人でも、その筒状のものをつければかろうじて声が出せる器具のことだ。
その方は筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っている方で普段から人工呼吸器を着けていらした。
「ごめんなさいね。こんな大変な時に。」と、その人は言った。
テレビでは、広範囲な津波が、家や車や人を飲み込んでいく映像が流れている。しかし、その人は、「私、いつもこんな気持ちなの。私、毎日災害なの。だから、お風呂に入りたかった。」と、一生懸命話してくれた。「来てくれてありがとう。」と。
日々の恐怖を語るには充分過ぎる内容だった。今でも、あの日、渋滞する道路を乗り越えて、お風呂に入れてあげることが出来て良かったと思う。
実はこの思い出は、当時の私のカウンセリング事務所に入り浸っていた猫の白ちゃんの存在とセットになっている。
その話はまた何度も語りたくなって来るのだが、今日はこの辺で。
悲しいことが沢山あった。
けれども、今日生きている全ての人に祝福を送りたい。そして別れてしまった人々にも。
私の背骨はかろうじて折れなかった。だから今もこうして誰かの看護を出来ることに感謝している。
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