見出し画像

呪いのクッキー(クッキーで済めば良いが)

知人が「クッキーを焼いて来たのだけど、よろしかったらどうぞ。」と下さった・・・までは良かったのだけど、差し出されたので手に取ると、その知人の手がクッキーの袋を持ったまま放さない。あれ?

「ちょっと、仕上がりが固くなってしまってあまり美味しくないかもしれません。本当に無理しないで。本当は焼き直して自信があるものを差し上げるべきだと思うんだけど、最近は朝起きるが辛くて。断ってくれても良いし、あ!そもそも甘いものって好き?嫌なら無理しないで。・・・etc」と長い。

まだ続いているので、一旦手を離すと「でも、食べて欲しいから貰って下さい。でも、市販のものと比べないで下さい。固いし、バターも少なすぎたかも知れないし。」

・・・・。段々面倒になって来てしまうのだ。

結局は手を引っ込める。

「あれ?やっぱり迷惑?そうよね。迷惑よね。でも、一生懸命焼いたんだけど・・・etc」

話が長い人というのが居る。人間というのは普段から人知れず色んなことを考えて暮らしている。話したくなる気持ちも分かる。
が、その方は「息子が引き籠りで・・・」と、クッキー1袋からそんな話にまで発展する。

「やっぱり親のせい?私はそう言われるのが一番辛くて。」

言ってませんよ。一概にそんなこと言えないと思います。どこの家庭だって色んなことが・・・と答えている途中からまた壊れたおもちゃのように話し出す。

が、よく聞いてみると、息子さんの悪口ばかりだ。

「先日、アルバイトを始めたんです。」

それは良かったじゃないですか。きっと頑張っているんでしょう。

「いーえ、ちっとも。その日、どんなふうに仕事して来たのか?という話を聴いてみたら、イライラしちゃって。どうしてそんなこともできないのか?とか、あと、どうして上司の人にそんな言い方したの?とか、ほんとにダメなんですよ、あの子。」

ドン引きした。

本当によくあるパターンだ。こんな人よくいるよなあ。子供と自分の境界線がない。まるで子供の背後霊のようだ。自分がアルバイトしているかのように感じ、自分のようにしないと腹を立てる。

多分、息子さんが何か新しいことをしようとする度に否定して何度も何度もやる気をくじき、勇気をくじいて来たことだろう。
それでも母親という立場の人は苦労している母親役を演じようとする。

「友達も作りたいのよ。でも、子供がそんなんじゃ外に出れもしない!」

いやいや、離れてやれ。

息子が自立できない、離れてくれないと言いつつ飲み込んで、話のネタにして。

少なくともこんなケースを聴くと「親は関係ないよね?」と訊かれると、「関係あるわ!全部おまえのせいじゃ!ボケ!おまえが自立しろ!息子に要求する前におまえが働け!」と間違いなく言いたくなる。

「で、このクッキーがね、うまくできなくて。心を込めて焼いたのに・・・云々」

息子もクッキーも同じか。言い訳の塊。さらには「分かって下さい。」の押し付け。

そんな恐ろしいクッキー、誰が食べるか。丁重にお断りした上に手を洗いたくなる。

人付き合いが対等にできない人がいる。それは人対人ができない人。どうにかして相手を取り込もう、飲み込もうとする薄気味悪い交流をする人だ。
その方法はこんなふうに幼い手口もあるが、口が上手い人になるともう少し分かりにくいかも知れない。

が、その手の人と触れ合った人々は言い知れぬ圧迫感を感じて逃げ出すのだ。いや、逃げられない人も居るかも知れないが、少なくとも健常な人は異常性を感じて逃げ出す。

辛いことから逃げたり言い訳しても構わないが、時には、自分が何をやっているのか?というのを知った方が良いのが人間なのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?