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”中間”という場所

夜、眠っている時に見る「夢」は。

昔、子どもの頃に追いかけられる夢を結構見ていて、若い頃も何度かは見たことがあって。その時に初めて「これは夢だ!」と、怖さのあまり夢を切ることを憶えたように思う。

「”夢”がおかしい」とか、支離滅裂に感じるのは、自分の体験など、まったく”記憶”と重ならないものだからかな。そこに自分が映っていたとしても、自分の経験”外”のことだもの、他人事として見てしまう。いや…、そこに”自分がいれば”、自分と重ねてしまう…のが夢なのかな?

かなり意識がハッキリしている状態で見れている時、それを「夢」と表現するのに抵抗があるのだけど、でも一応、私は眠っている状態で”それ”を見ているので、”夢の話”として書いていく。

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鳥がね、鳥が外を飛んでいて。

その鳥はこの手を伸ばせばここへ来ることも私は知っているようで、当然のようにそうしている。

車の窓を全開にして、掌を上にして手を伸ばす。ここに来ることを知っているから―――。すぐにここへ、掌の上にブルー系の小さな鳥が飛んできて、そのまま肘だけ曲げて車内へ。すぐにまたもう一羽いることを知っている私は外へ手を伸ばし、今度は赤、褐色系の鳥が来る(ようだ)。

起きてから、その内容自体に触れても、それ自体に何を感じるでもなく、「そういう夢を見たなぁ」と思い出すのだけど、ワン散歩時、”その事”の空間に改めて入ってみると、「一体どこに差があるのか?」という感覚になる。

夢と言われる寝ている時のその映像と、起きている時にイメージできるその映像と。”差があるのか?”という印象を感じるほど「近い」ということができる。

これは、”映像の違い”だけの意味に収まらず、夢の世界と覚醒の世界とでは分離された理解をしながらもで、括れる所で捉える限りとても近い、となる。肉体が眠っている。この眠る肉体を挟んで脳が(?)、意識が広がっている。


たまに、顕在意識・潜在意識と表現されるそれを、「そもそも一つのものじゃないか」と捉える。表現上分けてあるだけで、顕れている状態か、潜っているか、という様に思うから。

この「私」というものが、単に場の移動を行っているそれを表すのに必要だったその言葉。場所・状態を示すだけのものが、言葉の表現から想像されるものにより、「分けた別もの」という印象が出る…、これは私がそう解釈してしまっただけだろうか。

分けられたものとして認識しているならば、統合を目指すだろうし、単に一つの移動の状態とするなら、空間・場を自由に泳ぎ回っているというだけになる。言葉は”分かる”ように表しているだけ。

そういう意識の場が存在するのでなく、様々な空間・場を、意識が動き回っている…、という事であれば、夢の世界も覚醒の世界も何もない。全てを分けているのは、この「認識」というものだけになる。そして認識によって、世界は捉えることが可能だから、外の世界は(個の)認識というフィルターを通して捉えられる世界が見える、となる。「具体的に分かっている」というのは、文字通り「様々個々に、分けている」ということになる。


先日感じたことをメモより。

個によって、その様々に分けられているそれ”情報”がバラバラになるということを「忘れる」というのかな、と。

朝起きがけのトイレで、まだボーッとしている時に、「今日」という日付から”どっちの誕生日だったか”がすぐに出てこず、一個一個の情報を拾い直している自分がいた。

⦅あ、亡くなったワンコの誕生日の方だ⦆

月違いの日にちが同じ、他にも重なる特徴があって、”どっち”というのがすぐに出てこない。「誰の誕生日」という塊で記憶されていたものが、すでにバラけている状態…、忘れている。

それを何か、理由があって思い出す時、”そこへフォーカスをする時”、「そこ」を思い出すには意識を向けて、点を集めて来なければならなかった。

朝、起きがけのその状態は、ゆっくりと機能(動き)を見ていられる、朝のまどろみの時と同じ(似ている)と思った。

関連するかな?と思いこのメモを持って来たけども、これも結局「朝のまどろみと似ている」と書いている。冒頭の内容もそうだけど、最近書いているその状態は、私が「寝ている状態」と書いていながら、”意識”的にはその区別をハッキリとしていない事が分かる。

”区別をしていない”というより、勝手に区別していたのは、”私”の認識によるものであって、肉体が目覚めている/いない、という状態の違いがあるだけで、「脳は、肉体が寝ていても起きている、肉体は起きていても、脳はまだ寝ている」と、結局”同じこと”を言っていたという事になる。

今まで私は後者の”起きていても脳が寝ている”という表現を多く使っていたのだけど、はっきりとした覚醒状態ではないにせよ、眠っている状態でもなかったわけで、「意識が少し潜っている」と表現した事も。

認識が弱まる状態では、それをどちらからでも表現することができるという事になる。そしてその時その表現は同じことを中心にしていても、言葉によって、まったく別のものが表現されているかの様になってしまう。そんな事が、この世の中にはかなり多くあるんじゃないか…な。

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「脳の睡眠状態」からいえば、このまどろみは「寝ている状態じゃない」と判定するようで。

そんな記事がポストに上がってきたのを寝る前に読んだ(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!