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サイクル、タイミング、人の持つ…

サイクル、タイミング、「人の持つリズム」ということ。

合う・合わないというのは、人の持つスパン、固有のリズムが異なるからと思っている。

前回のlivedoorブログで触れた内容を持ち出すと、主人は自分のサイクル(スパン)を持ち、それに沿ってその中で様々を消化していっている。そして私は、別のリズムを持っているため、そのズレにやり辛さ「いつまで置いとくの」が出てくる。私にとっては十分に”放置”の状態が、主人にとってそれは”リズムの範囲”というこの相違。


頭では解っている。「時間の取り方が違うんだよな…」と。私から見れば遅く、主人からすれば私は”せっかち”。どちらもそのリズムが標準なら、”正しい感覚”となる。

本当によく思う。

「人は固有の時を刻む」

その個、サイクル、リズム、スパン―――。人の各々に持っているタイミング、これは自然には合わないので、必要な時に”合わせる”しかない。どちらかにではなく、”新たなリズム”という場の方が「公平」でもある。

片方がそこへ一方的に寄るのでなく、双方が新たな場へ向かって寄って行く。そんな風にイメージができる。

人も、”音が鳴っている”という事だよ(*^^*)

・・・

「ねぇ…、ごはん残ってるじゃん(笑)配分~」

『だって、おかず食べちゃったから。これだけなら味がなくても食べられるもん(^-^)』

ごはんの食べ方も幼き頃のそれと感じるものを拾う。主人はよく”配分”という。キレイに揃えて終わるように、おかずひと口、ごはん二口など、考えて食べているようだ、知らんけど。

私は恐らく交互。結果、ごはんが残ってしまおうが気にしない。家庭科で学んだような食べ方もしない。仮に主人のように食べたらおかずの味が薄まる、という感覚を持ち、「おいしいものはしっかり”おいしい”を感じたい、と思っている。

配分なんて考えたことなし。

「食べ終わるまで」を見て、それによってこの手の動かし方を考えている主人と、終わりを考えず、「今のおいしさ」を主に食べる私と。日常の在り方は、まったく違う。

どうでしょう。

普段、noteなどから受ける私の印象は、どちらかと言えば”主人のようなタイプ”ではないでしょうか(笑)

私の「”ある”部分」は、もしかしたらそうかもしれないけれど、livedoorで触れた”名残り”、奥側のベースの部分には、しっかりと残って普段にそのままで存在している。

違う領域で、別の「私」が立ち上がれば問題ないと、私は思っている。

・・・

「食べ物」の事を題材にメモしていたものなんだけど、こうして読み返すとその様子が「その人のリズム」としての目線になっている。

それはメモした時、またはlivedoorブログを書いた時、というのは、その事を中心として書いているのだけど、その後に「何かへフォーカスした事により」その響きは残り、その以前を振り返る時にその響きから”絡めとる”ような雰囲気がある。

ここ最近は音楽、「音」のことに触れ続けていて、その見方”目線”がフィルターとなり見せられる空間と言える。

だから、人の捉え方はどこを取っても色々様々にしかならない。それが合う時というのは、もっと大きなその中に自然と身を置く時や、意図的にリズムに合わせていく時だろうと思う。

”一段上げて考える”というのは、その「新しいリズム」を考えることなのだろうと思う。これが難しいから、人は同じ次元で”再生”を回してしまうのだけど、気づいている人たちが増えているので、そこへ向かっていけるだろうと思っている。

この固有の音が重なり合っているのが世界
世界はオーケストラ
どんな音色になるかは”個”次第でもある
固有の音色は重要になってくる


人工知能の技量・スピードが目覚ましく、私が知るようになったその頃は”すごいなぁ…”という驚きがあり、そして「そういうものが出回るという事は、”ニセモノ”があるという事だ」と、認識した。

Xなどに流れてくる動物の短い動画など、中には”それはないだろう…”と感じるものもある。いつしか「それはそれで良いのかな」と感じる自分がいた。

『映像なんか見てると、そう思うのがあるんだけど、なんか面白いし、それで良いのかなって思うんだよね(*^^*)』

「オレは、最初からそう思ってるよ。おもしろいもん」

この会話を通して、私は「ウソとホントを区別して見分けなくちゃいけない」と強く思っていたと知った。

”楽しむ”では済まない情報もあり、それは自分が確かめなければならない事は勿論ある。だけどそれは、”人工”に限った話ではない。寧ろ、そこに人の危うさがあるように感じる。

”現物の人”だから本当、有名だから正しい。

そんな事はない。そういう事が世の中だという事は、この人工知能の進歩によってしっかり浮き彫りになった事だと思っている。

さらに加えると。

人工知能のやっていることは、「それ」の機能として集約されたものを見るからすげ~けど、ひとり・ひとつではないにしても、「その様々な分野においてのトップ」の人たちを見たらそういう事だろうと見えている。

そのトップが誰だとか関係ない。その機能を持っているのが「人」だということ。もしかしたらその一部を”自分も持っている”かもしれないということ。目の前に見せられているそれは、人が人から見つける事ができなかった「可視化された」もの、と考えて良いんじゃないか。

人は、「距離がある時に」それを見やすくなる。そしてそれを内側と結びつけていないから気づいていないだけ。分離したままでは、「それ」にしか見えてこないもんね(*^^*)

(細々としたメモはまた明日に)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!