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発達障がいについての理解を深める

発達障がい

発達障がい…

身体障がい、精神障がい、知的障がいとはまた違う障がい

機能的なものではあるんだけど

特定の検査があるわけでもなく

脳機能の障がいでもなく

発達における環境や学びや生活の仕方によって発生する

そのヒトの癖のようなもの

と思えばいいのかな…

大人の発達障がいなんて言葉もあったけれど

きっと全ての人には特性やクセみたいなものはあって

フラットな見方やバリアフリーな考え方があれば

誰もが暮らしやすい社会に目指せるけれど…

特性やクセという捉え方でいいのかな…

いや。障がいと名がつく以上そんな簡単に捉えてはいけない。

そもそも発達障がいと一言で言っても

その中身としては色々

ヒトによって様々なタイプ、症例が見られる。

厚労省によると…

広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群等)、学習障害、注意欠陥・多動性障害等、 通常低年齢で発現する脳機能の障害 (発達障害者支援法第2条) ※ICD-10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)におけるF80-98に含まれる障害 (平成17年4月1日付文部科学事務次官、厚生労働事務次官連名通知)

〇 広汎性発達障害 (PDD)(自閉症、アスペルガー症候群等)

〇 学習障害((S)LD)(ディスレクシア:読語障害、ディスグラフィア:書字表出障がい、ディスカリキュア:算数障害)

〇 注意欠陥・多動性障害(ADHD)

〇 発達性協調運動障害(DCD)

〇 その他知的障害、チック・トゥレット症候群、緘黙症、吃音、言語障害、感覚過敏・鈍麻

の先天性なものに加えて、ライフステージにおける各種マイナスイベントや

環境、その方の事象に対する捉え方によって後天的な生きづらさが

二次障害として表出することによって発達障がいは引き起こされます。

よく甘えであったり、愛着障がいだとも取られられたりしますが

そもそもそういうものではなくって、

相手からどれだけ気に掛けてもらっても

好き好き言われて愛情を注げるだけ注がれていても

受け手の感覚値として、受け止めきれてない場合は

何にも心が動かない

それが甘えであったり愛着障がいという風に捉えられるケース

となるのかなぁと思ったりします。

では、

次に

それぞれの障がいに対する実際の生きづらさを考えてみよ

それぞれの生きづらさ

〇 広汎性発達障害 (PDD)(自閉症、アスペルガー症候群等)

自閉症やアスペルガー症候群なんかはかなり広い障がいではあるんだけれど

特徴としては3つに分類されている

・社会性の難しさ ⇒ 人との社会的な相互関係を築くことが苦手

・コミュニケーションの難しさ ⇒ 他者とのことば等のやり取り(理解 と 表出) の難しさ

・興味・関心の狭さ、偏り(イマジネーションの難しさ) ⇒ 興味の幅が狭さ、こだわりの強さ

これに加えて、
・感覚の偏り(敏感・鈍麻・平衡感覚不全)
・不器用さ(発達性協調運動障害)
・睡眠の異常、過集中、記憶力
が併発することで更に複雑化して生きづらさは増している。

具体的に言えば

視覚的情報優位で目でみる情報の方が理解しやすい
仲間内の言葉や冗談、曖昧な表現がが通じない
混乱をしてしまう表現があったり、字義通りの受け取ってしまう
空気が読めないと思われてしまいがち
相手の気持ちが読み取りにくい
短視であり部分的には見れるものの全体として総合的に考えることが苦手
変化への対応が苦手
漠然とした空間、時間の把握・認識が苦手
金銭感覚がおおざっぱな/異常に厳しい
自分の気持ちの調整が難しい、感情に流されやすい
漠然とした未来に対する想像や想定が難しい
抽象的表現が極端に苦手
個人の感想や答えがない質問が苦手
選択肢がたくさんあると決断しにくい(オープンな質問が苦手)
計画立てて物事を進めることが苦手
マルチタスクが苦手

これらは一部でしかないが、そういう人もいるし、逆もありえる。

〇 注意欠陥・多動性障害(ADHD)

忘れっぽく集中できない(不注意)
一時的な注目が苦手で注意の持続ができない
うわの空でぼーっとしてしまう
色んなことを同時に始めてしまい、一つずつのプログラムがきちんと終わらない
忘れ物、なくし物が多い
じっとしていられない(多動性)
授業中でも立ち歩く
手足をそわそわ動かす
姿勢が保てない
しゃべり続けてしまう
考える前に行動してしまう(衝動性)
相手の応答を待たずにしゃべる
順番を待つ、我慢することが苦手
思ったらすぐ行動に移してしまう

こちらも一部でしかないが、そういう人もいるし、逆もありえる。
また、混合型もあるため、個別のアセスメントは必須

〇 学習障害((S)LD)(ディスレクシア:読語障害、ディスグラフィア:書字表出障がい、ディスカリキュア:算数障害)

知的な遅れはないのに、頑張っても頑張っても頑張っても頑張っても学習の効果が上がらず、学習の得意・不得意に 大きなばらつきがみられる子どもたち…そんな子どもたちは認知的な機能がもしかしたらズレているのかもしれません。

医学的定義では、読む、書く、計算の能力の欠如ですが

教育的定義にはそれに加えて、聞く、話す、推論する

という能力の中で判断するようです。

見えない障がいの別表現

車で例えてみる

ここまで書いたとしても、何がなんやら

とくに発達障がいを持った人に説明しても

抽象的表現が多くって、よく分からない、、、

ここで比喩表現を活用することで

より分からなくなるケースもあるのだけれど

自分事として捉えるためにはで考えると

車に例えると分かりやすい

障がいはある種『生きづらさ』を感じてからが障がい

障害があるだからこその生きづらさがそもそも障がい

分かりやすいのは身体障がい

事故で足がありません。病気で手が動きません。

車で言うとタイヤやハンドルがないのは

車を走らせるのに大丈夫ではないことは見たら分かります。

知的障がいや精神障がい、ないしは発達障がいは

そういう見えている箇所ではない場所が

欠如しているとイメージしてください。

走ってみて「あれ?おかしいな?」と思ったり、

周りが見て「あれ?あの車どうしたの?」ってなる状態

それが

知的障がいや精神障がい、発達障がいなのかと。

例えばエンジン

エンジンはガソリンを使って動力や電力にする

処理する能力

情報処理や認知能力が

スローダウンしていることで動作が鈍くなったり

あまりにも高すぎるために感覚過敏になったり

動作が出来なくなることがあります。

車の運転に伴う処理能力では

運転手によっても変わってきます。

車の運転では連続した認知・判断・操作が必要。

これら複数のタスクを短時間で同時にこなす必要がありますが、

発達障がいの方は苦手な方が多いです。

また運転手の記憶力によっては

目的の場所へ辿り着けない場合があります。

カーナビ

ある種治具ではありませんが

運転手が覚えてなくてもカーナビが覚えてくれてたら

目的地には辿り着くことが出来ます

ですが、

カーナビが伝える言葉が分からなければ

せっかくもらってる情報も活かせれません

カーナビを使っていても情報処理は必要ですね

ハンドル

車のハンドルは方向を制御する役割を果たします。

決断する、選び出すとも捉えられるかと。

発達障がいのある人々にとって、

判断する決断する選び出すのは容易なことではない場合があります。

ブレーキ

ブレーキは車を停止させる役割を果たします。

情報のフィルタリングや自制心に関連しています。

思い立ったら即行動であったり、

気になったら衝動的に動き出してしまう機能が弱い方もいます。

ヘッドライト

目的地や自分の目の前にある標識

を照らすのがヘッドライト

注目や注視する能力が弱い方もおられます。

空気を読んだり、状況を読み判断する知覚推理

それが弱いことで、

抽象的指示を受けたり、指示をたくさん受けて

優先順位や取り組む作業が分からずオロオロ…

なんて方もおられるのではないでしょうか。

その他にも、ガソリンギアタイヤワイパーなどにも捉えられるかと。

SPELLの考え方

それぞれの障がいに対する基本姿勢としては定まったものがありますが

自閉症スペクトラム障がいに対する基本原則としては

SPELLが有名かと。

S(Structure:構造化)

なにを?いつ?誰と?ドコで?どのくらい?
情報は分かりやすく提示することで
理解はしやすくなります。
視覚的資料にすると効果的な場合もありますが
写真がいいのか、イラストがいいのか
ヒトによって分かりやすさは変わってきます。

P(Positive:肯定的)

自己肯定感・自己重要感が上がる言葉掛けが必須です。
注意やアドバイスが否定に捉えられる場合もあります。
出来なかった時に罰を与える怒るのではなく
出来た時に大いに褒めてあげましょう。評価をしましょう。
「〇〇をしてはいけない」ではなくて「●●しましょう」が
人としても気持ちのいい指示ですよね。

E(Enpathy:共感)

ご本人の目線に立って物事を判断が必要
そもそもその方はどう物事が見えているのか
どう感じ取っているのか、何を思っているのか
その方の感覚値が自分と一緒だと思ってはいけません。

L(Low arousal:穏やか)

刺激物や変化に弱い方は多いです
刺激を少なく、変化のない環境提示が必須です。

L(Links:つながり)

一貫性のあるサポートチームでの支援が必要
抱え込むことがないように複数名の支援者が
統一した支援を行える環境が必要です。

といっても、福祉は永続的なものではありません。
支援する人があってこそ支援は受けることが出来るのです。
大切なのは継続できる持続可能なもの

それが支援という与えられたものを基盤にすることは

非常に危険でリスクのあるものだと思います。

障害があるからで

そのヒトに合う支援を提示するだけでは

レールを引き続ける環境をどれだけ継続出来るのか

それは支援者としての責務や事業所としての責任

一度関わったからこそ関わり続けるというのが

福祉の姿勢だと思うのだけど

それだけの軸で話を進めるのは諸刃の剣でしかない

苦手だろうけど、難しいだろうけど

物事の捉え方や考え方、

物の見え方の判断や認知を広げることが重要

それが出来るは

普段関わっている保護者や先生じゃなくって

福祉や社会なんだろうなと思うんだ。

毎日言われても

お小言のように感じて

はいはい分かった分かった

その時になったら出来るようになるよ

社会に出たら本気出すから

って軽視されたような態度をする方が多いけれど

軽視とかじゃないのよね。

本気で本番になったら出来ると思ってるのよ

抽象的指示やイメージが弱いんだけど

何故だかその時には強気になれる

だからこそ

実際を痛感する失敗を経験する痛手を負う

これが成長にはかなり必要

福祉はサポートでありその方に寄り添う姿勢が必要

その方の成長ではなく、

その人に合わせてそっと伴走する

それは支援や介護の話

自立支援となると話は別で

その方が成長する過程や環境を提示するのが自立支援の根幹

その方に合う環境を提示することも大事だけど

それでは社会や世間一般とのズレはどんどん大きくなるばかり

障害は世間一般と違う?

いや、そうも言えなくなってきた。

精神疾患を患う方は年々増えている

それでも世間一般として強いられる生活は

伴走とは程遠い実態

国の補償だってどんどん枯渇していく情勢

老後のお金は自分で稼げ

NISAってのがあってね。今だったら税金掛からないよ。

そんなことを言われている時代に

障害だからって

安心安全が確保される保証なんてない

でもね

障がいをもつ可能性は

誰にだってある

事故にあう、誰かに危害を加えられることだってある

そんな時に色々諦めなきゃいけなくなることは悲しいじゃない

色々制限を受けなきゃいけないのってしんどいじゃない

だからこそ

障がいを持っても、障がいを持つことになったとしても

諦めなくていい、制限を受けなくってもいい状況を作り出せたら

それは素敵なことだと思う

そのためには障がいの理解を行った上で、

対策であったり武器だったり

だからこそ何をするのかってのが大事だからこそ

自身の障がいの特性をしっかり認識することで

ようやく前に進めると思う

前に進まされる状態ではいけない

生かされる状態なんかにはなりたくない

自分は自分の選択として生きていたいし楽しみたい

だからこそ、

障がい福祉に関わる

障がい者支援を考える

日々勉強

日々学び

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!