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子どもの背中を押してあげるのが教師の役目

自律できる子どもを育てる。
私が掲げるミッションです。

自律できる子どもをと言っても、
自然に身につくものではありません。

もちろん、日々の生活の中で、
仲間ともまれることで、たくましく育つことを通して
自律できる子が身につく・・ということはあるかもしせません。

しかし、それは昭和の一家に5,6人の兄弟がいた。
学校から家に戻れば、おのずと家族の一員としての役目を果たす
地域が共同体であって、みんなで力を合わせる時代であれば、
自然と身についていたことでしょう。

しかし、令和の時代となり、
一人っ子の家庭も増え、
自ら積極的に関わらなければご近所や地域との関りなど必要もない。
田舎の小学校に行けば、一学年10人程度の単学級でもまれない・・

学習指導要領や、これからのVUCA(予測不可能な時代)で求める人材とは真逆の方向に向かっています。

学習指導要領特別な教科道徳、【希望や勇気、努力と強い意志】の項目では以下のように示されています。
【第1学年及び第2学年】
自分のやるべき勉強や仕事をしっかりと行うこと。
【第3学年及び第4学年】
自分でやろうと決めた目標に向かって、強い意志をもち、粘り強くやり抜くこと。
【第5学年及び第6学年】
より高い目標を立て、希望と勇気をもち、困難があってもくじけずに努力して物事をやり抜くこと。
【中学校】
より高い目標を設定し、その達成を目指し、希望と勇気をもち、困難や失敗を乗り越えて着実にやり遂げること。

道徳の時間であれば、題材があり、こうした項目だと、実在する(した)偉人、アスリート、研究者などが登場し、こうした人の姿に共鳴し、これからは努力していこうと「なった気」になります・・・

こんなことを書くと、私は道徳を否定していると誤解を受けそうです。
「なった気」は大切で、そもそもが「きっかけ」であります。

大事なことは「なった気」からスタートし、実際に「成し遂げる」行動レベルに落とさなければなりません。
そこで必要なのが「子供の背中を押してあげる」教師の一言なのです。


抽象的な表現を具現化させる

前述した学習指導要領に、子どもの背中を押してあげる「ヒント」が隠されています。

そもそも、学習指導要領や文部科学省から出る答申などは「抽象的」な表現が多いのですが、それは細かく記述すれば国家が統制をするような捉え方をしてしまうからと私は考えます。

この「抽象的」な記述を「具体化」する作業の中に教師独自の「仕掛け」が生まれるのです。

例えば、【第1学年及び第2学年】に示された
自分のやるべき勉強や仕事をしっかりと行うこと。
の「しっかり」ととは、具体的にどんな行動をすればいいのでしょうか。

〇1日20分机に向かって取り組む。
〇ノートを丁寧に扱う。
〇係の仕事を忘れずに行う。
となるでしょう。

また、【第5学年及び第6学年】で示された、
より高い目標を立て、希望と勇気をもち、困難があってもくじけずに努力して物事をやり抜くこと。

であれば、
現状の自分の姿+現状から一歩抜け出す目標+より高い目標
のためには、まず現状の自分を客観的に把握しなければなりません。
「困難があってもくじけずに」であっても、どの子も屈強ではありません。
「困難」に陥った時に、どうくじけずに、
その子がまた努力できるようになるか、
教師はその子と向き合い、時には共感し、そのうえで教師がこれまで経験したことをもとに、「こんな方法があるよ」とか選択肢を与えることも必要です。

つまり、自律できる子ども。
学習指導要領に示されたような子どもに育つには、
〇教師がモデルを示す。
〇複数の選択肢を提示し、子どもに選択させる。
〇悩んでいる子に寄り添い、受容、共感してあげる。
〇子供が行動できるよう、「なぜうまくいかなかったのかな」と原因に気付かさせたり、「どうしたら~できるかな」と行動を促す言葉がけをする。

このことをしない限り、
今の子どもたちはなかなか自律できるようにはなりません。


大変な世の中と言ってしまえばそれまでですが、
大変な世の中だからこそ、私たちが果たす役目はあり、
そのための「引き出し」をもつことがこの仕事をする「やりがい」でもあると感じています。


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