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ベース弾いているなあというおはなし

見事に乳首浮いてますね。
痩せないといけないです。

なんだかベッド・インの全国ツアーも終わり、
ありがたいことにサポートさせていただいたアーバンギャルドのライブも2本終わりました。本当にありがとうございます。

↑ほぼ地元の西川口での写真と、初めてアーバンギャルドでサポートした日の写真。

3月から5月、間違いなく自分の中で変革の時だったと感じます。2019年6月以降も色々あるので遊びに来てください。

それにしても時間が経つというのは本当にあっという間ですね。大変だったけど楽しかったし実りがあった。
その分反動で今日なんもしたくないな、無駄にしちゃったな、という日も増えましたが、前進がより際立つので良しとします。と、言い聞かすようにしてます。

だからダイエットできないんですね。まじで。

さて、僕は高2の後半からベースを弾き始め、弾いてはやめてを繰り返し、大学ではバンドサークルにどっぷり浸かり、スロットで生計を立てネトゲにどっぷり浸かり、体を壊し留年したのをいいことにもう一年バンドサークルを楽しむなどをしていました。
時代が追いついていないバンド「坐・目我慢」を組んでいたのもこの時期です。
このバンド、まさかの僕きっかけで作ったバンドでして、全員結婚、海外転勤、就職、留年(僕)
で見事なまでの空中分解を果たしました。

↑坐・目我慢は、ロックマンをリアルタイムでプレイして、それに合わせて演奏するバンドです。バイナリいじってSEだけカセットから出るようにしたりしてました ちなみにギターはキヨ様です

もうなんかそこらへんで音楽への諦めというか何かが生まれていて。でもなぜ今、人の前でまだベースが弾けているのだろう?と最近考えます。こんな自己評価の低い僕が全身全霊でライブに、来るお客さんに、ぶつかりに行けているのは何故なんだろう?

たしかに大学のバンドサークルの流れで仲間内ではステージに立っていましたが、そういうことじゃない。
今のような形で活動できているきっかけ。それはベッド・インの2人が(セフレとして)我々をバックバンドに携えてくれているのもありますが、なんかこう根本的な。

頭の中で真っ先に出てきたのはシノダさん(ヒトリエ)でした。
僕は新卒の時、とあるきっかけがあってUstreamでニッチなゲーム実況配信とかして隙間で曲作ったり、ギター弾いたりしてたんです。
世に何かを出すというつもりもなく。小さいコミュニティでなんとなくお互いに承認欲求をほどよく満たし合う庭でした。とても楽しかったです。

UstreamCheckerという同じように配信をしている人たちを確認できるサイトを見て、好きな配信者がいれば見るという感じです。

そこで同軸で配信をしていたシノダさんに出会いました。お互いにちょっと外れたところが好きで、妙に急ピッチでハマっていった気がします。

軽いやりとりを重ねていくうちに、シノダさんから
「CD作るので一曲参加しませんか」と提案されました。
えっ!
まって、おれかなでーるとかデザエモンでしか曲つくったことないし(ggrks)みたいな話した記憶があります。
んで、シノダさんもマジかーみたいな感じだったんですけど、
僕が初期衝動を曲にしてもいいですか?と半ば無理やりやると伝え、オファーを受けることにしたのです。

↑2011年リリース。この年のM3でLSDJの存在知ったなあ

このCDを配布するときに初めて顔合わせました。まだ細かった。シノダさんに、「すげえ体わるそうじゃないですか」と開口一番出させるくらい。おれはシノダさんに「クマやばいですね」みたいに話してた。実際このアルバムに参加できたこと、僕のターニングポイントだったかもしれません。

そのあと幾らかやりとりもあって、シノダさんが名古屋で豚乙女と空色作戦(シノダさんの組んでいた女性ボーカルバンド)でのツーマンやるっていうのを聞いて当日見にいくことを決めて見に行ったことを覚えてます。
これ、自分で初めて新幹線取って宿泊先も決めずに向かった何もかも初経験のライブ遠征です。クソほどカッコよかったし、どこに行ってもライターの火がつかないくらい酸欠でした。ギターヒーローがたしかにそこにいました。
フェス以外で自分で足を運ぶのってほぼ海外アーティストを見にいくくらいでした。かぶれてたので。

そこらへんから、シノダさんとスタジオ入ったりするようになって、シノダさんが当時やっていた東方アレンジをベースにライブをしました。すんごい楽しかったです。また別の機会に話しますが、鬱で休職したてだったところもあり、知らない人がほとんどの中で認めてもらえた気がして忘れられない1日になりました。

↑Gt.Voシノダ Ba.Choわし Dr.フジサン

と、バンドをもっとやってみたいと思うには遅すぎるくらいのきっかけだったんですよね。今考えてみれば年齢なんて関係ないんですけど。

んで、シノダさんは個人として新体制で周り、ヒトリエ(当時はひとりアトリエ)で爆進し始め、僕とフジサンは暴LADYというバンドで経験を積むようにそれぞれの道を進んでいきました。このバンドもシノダさんに紹介してもらいました。

今までの音楽との触れ合い方で変わったのは、自分から色々ライブハウスでやっているバンドを見に行こうと足を運ぶようになったことですね。ほんと遅すぎた。

その流れで、ちゃんまいがベッド・インとしてライブやってるというのを聞き、見にいきたい!と連絡しました。
当時ちゃんまいは僕のことを嫌いだったらしく、来るよー先輩がーみたいな感じだったとよく本人から聞かされるのですが、もうその大学時代のオラついた自分は皆無でした。色々あったので。とにかく大人な対応をしてくれて、待ってます!と言ってくれて楽しい前体制のおギグを見させてもらいました。本当にカッコよかった。ツイッターで感想を書いてくれている性徒諸君のみなさんと同じ衝撃を受けました。みんな周りは初期衝動を貫いているのになんでおれはこう体たらくな!とか思っていた気がします。

とても感動した旨を伝えた数日後、そのおギグで前ギター、ベースが抜けたということでサポートで入ってくれないか?という誘いがあり、やってみたい!と思ってパートタイムラバーズ として加入して今に至ります。

↑2014年加入後初おギグ。アダムタッチ高橋となる。

僕としては、シノダさんに出会っていなければ来月35になる今まで、ベースを弾き続けていなかっただろうし、ベッド・インも見に行けてなかっただろうし、ヒトリエとベッド・インのツーマンなんて夢みたいなことも体験できなかった。それこそちゃんまいにきらわれたままで、音楽からも離れていただろうなと改めて思います。綺麗なこと言ってますが、この間にもたくさんの友達を傷つけています。ただ今は申し訳なさと、感謝がほとんどです。

ありがとうございます。
初期衝動を大切に、自分らしいベースをこれからも弾いていきたいと思います。

シノダさんが見たら「ぱーけんさん、重いっす」ってなるなこれ。薄い本が厚くなる。

wowakaさんの追悼ライブを見た時に、間違いなく僕に獣王記フリーズ雷を落としたあの衝動的なシノダがそこにいて。寝ているwowakaさんに安心を届けた姿を見て、自分なりに書き殴りたいなと思って書きました。

初期衝動の曲です。
こどものころうかべてた、さいきょうのぼす

ということで今日も長くなってしまった。
徐々に短くしていきたい。続かなくなる。

ただ前回書きためていますという話の中の
PTSD→鬱が聞きたいって言うのが意外と多くて、マジか?ってなってます。

わしが猫好きだけど猫アレルギーと喘息持ちの話とかでよくない?

だって重いですよ。1200万借金しましたから。今月完済になりますが、まあ大変でした。

頑張って書き連ねます。

でもいつになるか。
それでは。おわり。

#ベース
#ベーシスト
#ダイエット
#脱サラ
#初心者

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