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人の役に立つ記事って書かないとダメなんですか?

⚠️タイトルからもお察しの通り、愚痴成分含みます。あくまで一意見なので合わないと思ったらスルーしてくださいね!



つい先日のこと。

久しぶりに誰かの記事を漁っていたら、このような記事を見つけました。

どうやら投稿者が言うには、「あなたの記事にいいねされている数が少ないのは、あなたが誰かの役に立つ記事を書けていないから」らしいのです。

私は、この記事を読んで、ちょっとした違和感をおぼえました。

最初に断っておくとビジネス目的でSNSやブログを使うなら、それはあながち間違いではないと思います。
(私自身はビジネス目的でブログやSNSを使ったことは一度もないので、あくまで想像です)

集客力がものをいう世界ですし、いいね数、閲覧数はビジネス展開する上でかなり大事になってくると思われます。

noteの有料記事でも「読んでみたいな」「もっと知りたいな」というような、

記事を読むことのメリット、ひいては役に立つ付加価値のようなものがないと記事を購入してもらえないでしょうし。

しかし、私のような現時点で全ての記事を無料で書いている弱小エッセイストは、誰かの役に立とうと思って書いている記事は、全くないとは言いませんが少ないです。

もっと噛み砕いて言うならば、文字を書くことで食べていこうとしていないからね。

だから「役に立つ記事を書いた方が良い」と言われましても、ハァ?(ち◯かわのうさぎ風)な感じです。

これまで書いた記事も自分の経験談をもとにしたものです。

日記とは少し違うものの、日々感じたことを自分語りに肉付けした形で書き留めているだけだから。

いいね数は、いつも数十〜数百とついている方々よりもずっと少ないし、20つけば泣いて喜ぶレベルです。

私の記事はきっと誰の役にも立たず、且つ稚拙かもしれません。
しかしながら自己満足という意味ではとても楽しんでいます。

本来ならチラシの裏にでも書けば良いような内容を、読んでほしいなと思っているから推敲して世に出している訳です。

その延長線上で、読者の皆さんから見て「へぇ、このクリエイターはこんな経験をしたんだな」とか「似たようなことが自分にもあったかもしれないな」などと、各々がそれぞれを感想を持って頂けると嬉しいなと思っています。

返信は気まぐれですが、頂いたコメントには全て目を通しています。

どんな感想であれ、私の記事を最後まで読んで頂けたこと自体がとても嬉しいです。

話を戻しますと、noteクリエイターって人の役に立つ記事を書こうと思いすぎなくていいんじゃないかなっていうこと。

ジャンルにもよりますが、まずは自分自身が楽しむことです。

私は文章を綴ることが好きなのと、「何者でもない自分だけど、生きた証を残したい」と思い、noteを始めました。
密かに毎日投稿もしています。

だから役に立つとか立たないとか以前に、自分がその時に感じたことを言葉に書き留めることができれば、それで満足なのです。

こうやって記事にもしているのでそれなりに承認欲求もあります。
でも、万人受けしないとある程度分かっている記事でも、臆せずに投稿しています。

noteに記事を投稿している時点で既に作品を作り出しているのに、「人の役に立て」だとか「貢献しろ」だとか、まぁ大きなお世話だと。

あなたはnote専門学校の先生気取りにでもなったつもりなのでしょうか。

誰の役に立たなくったって、いいねが付かなくったって、いいじゃありませんか。

チラ裏みたいな記事でも良い。
迷惑をかけたり、誹謗中傷に満ちた記事でなければ。

文章を書き綴り、過去を整理し、生きた証を残す。

そのプロセスを踏むことが自己満足な私は、毎日が楽しいです。

生産性とか難しいことを考えるよりも、自分の言葉で発信し続けることの面白さを感じられる豊かな感性を持ち続けたいと私は思います。

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