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凶悪都市、ナイロビの恩人

2016年10月13日、午後5時。モロッコ西部の湾港都市カサブランカの空港で、ロイヤル・エア・モロッコという航空会社の飛行機に乗り込んだ。行き先はケニアの首都、ナイロビ。

膨らましたグレーのネックピローを装着して、機窓から外を覗く。空は夕陽に染まり、刻一刻と変わるマジックアワーに見惚れつつ、心はざわついていた。

機窓から眺めたマジックアワー

遡ること1か月前、私はリスボンの宿のベッドの上で、PCと睨めっこをして旅のルートを練っていた。Skyscannerで航空券を調べると、アフリカ大陸内を移動するフライトが、想像以上に高い。貧乏バックパッカーにとって頭を抱える問題だ。

唯一安価だったのが、アフリカ東部最大のハブ空港、ナイロビ行きの便だった。なかでも深夜到着の便は最安で、「空港で朝まで寝ればなんとかなるか」と、やむなくそのチケットを買った。

だが旅のルートが固まっても、心は晴れない。ナイロビが世界有数の凶悪都市だと耳にしていたからである。




午前2時。消灯していた機内に明かりがつき、チーズとハムが挟まったぱさぱさのサンドイッチが軽食で配られた。

軽食のサンドイッチ

隣に座っていた40代くらいの中国人紳士、リュウさんと軽く会話を交わす。

「きみ、ひとり?」
「はい」

私がナイロビの中心地にある日本人宿に移動するつもりだと話すと、彼は顔を曇らせた。

「中心地は治安が最悪だ。とくに夜のひとり移動は危ないよ」
「ありがとうございます。でも大丈夫。朝まで空港のベンチで寝て、明るくなったら移動しようと思っているので」




午前3時、ナイロビ最大のジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着。ろくに眠れず、2度の乗り継ぎを含めた長時間フライトで満身創痍の体を引きずって、入国審査に向かった。

ここでのミッションは、「東アフリカ観光ビザ」をゲットすること。90日以内であればケニア、ウガンダ、ルワンダの3カ国を自由に周遊できるマルチプルビザだ。しかも割安(100ドル)で取得できるという。

ビザ申請のカウンターは数種類あり、そのうちのひとつに並んだ。「東アフリカ観光ビザがほしい」と伝えると、職員のケニア人男性が険しい顔でじろりと私をみて、尋ねた。

「アフリカにはどのくらい滞在するんだ?」
「1ヶ月くらいです」

男性は表情を変えず、矢継ぎ早に質問を飛ばしてきた。

男性「目的は?」
私「観光です」
男性「仕事は?」
私「辞めました」
男性「前職は何をしていたんだ?」
私「住宅リフォーム会社の営業です」
男性「結婚しているのか?」
私「いいえ」
男性「彼氏はいるのか?」
私「はい」
男性「どこにいるんだ?」
私「タイです。遠距離恋愛中です」

冷や汗が出てきた。もしかして私、なんかやらかした? このまま別室行きになって、入国できなかったらどうしよう…

長い尋問の末、彼は「うむ」と頷き、こう告げた。

男性「いいだろう。あっちのカウンターがビザ取得の場所だ」
私「えっ! ここじゃないの?」
男性「俺はきみと世間話をしたかっただけだ」

…….はい? 呆気にとられつつ、彼が指をさした隣のカウンターに移動すると、あっさりとビザを取得。あの尋問はなんだったんだよ(笑)。

手荷物受取場に行くと、男性警備員が私の荷物を探し出してくれた。

私「ありがとう」
男性「お安い御用さ。ところで君、今から一緒にコーヒーでも飲みに行かない?」

やれやれ、困った。こんな怪しい人で溢れた場所で、朝まで待つのは不安が大きすぎる。でも外は真っ暗。さぁ、どうする……

「ミク!」
後ろから低い声がして、振り返るとリュウさんが立っていた。

「朝まで空港はキツいだろう。俺の友達が車で迎えに来てくれるから、宿まで送るよ」

まさに救世主だった。お言葉に甘えて車で送ってもらうことに。気にかかるのは、私が目星をつけていた宿が、深夜チェックインできるか不明なことだった。

リュウさんに相談すると、彼は誰かに電話をかけたあと、真剣な顔で言った。

「さっきも話したけど、中心部は本当に危ない。僕の知人がナイロビに住んでいるから、今夜は彼のシェアハウスに泊まりなさい。ちょうど今、部屋がひとつ空いているらしいから」




真夜中の高速道路をビュンビュン飛ばし、その先で辿り着いたのは、厳重なゲートに囲まれたアパート。リュウさんは玄関から出てきた細身の男性と軽く会話を交わし、「じゃあ、よい旅を!」と言い残して去っていった。

「ようこそ。どうぞ中に入ってください」
流暢に英語を話す細身の男性は、カイと名乗った。礼儀正しい青年で、にこやかな表情で私を迎え入れてくれた。

アパートに入り、通してもらったのは、クリーム色の壁をした個室。木製のベッドと、木製の棚がある。

私が泊まらせてもらった部屋

「水とジュースを置いておきます。お腹は空いてない? WiFiのパスワードはこれね。ときどき蚊が出るから、この蚊よけのクリームを自由に使ってね」

細やかな気遣いが染みた。こんな真夜中に、得体のしれない見ず知らずの人間を、いったい誰がここまで優しくしてくれるだろう。

シャワーを浴びてベッドに入り、彼氏に電話をした。これまでの一部始終を話したところ、「リスクマネジメントの欠片もないのか!」と、真っ当すぎるお叱りを受けたのは言うまでもない。




泥のように眠り、ぱちりと目を覚ますと、窓から明るい日が差し込んでいた。時計の針は正午を指している。

のっそりリビングに行くと、カイが出かける支度をしていた。

「ミク、おはよう。よく眠れた? お腹が空いてるだろうし、ランチを食べに行こう。良かったらナイロビ市内を案内するよ」

カイは中国生まれの23歳。10歳のとき父親の仕事で南アフリカに移り住み、現地の大学を卒業した。

新卒で銀行に就職するも、やりがいを見出せずに半年で退職。7か月前にナイロビに移住し、現在は従兄弟のお姉さんが経営するサファリのツアー会社で働いている。

ダウンタウンに向かう車中で、カイがナイロビの生活事情について話してくれた。

「治安の良し悪しはエリアによるけど、ダウンタウンは危険だから、僕はめったに行かないよ。徒歩圏内の場所に向かうときも、基本的には車で移動するようにしている。公共交通機関もリスクがあるし。外国人観光客を狙った強盗やひったくりが多いから気を付けて。街中で写真を撮ると、捕まることもあるからね」

これまでの9か月、中南米を始め治安の悪い場所をいくつも旅してきたけれど、ナイロビの体感治安はトップクラスに悪かった。ときおり自分に向けられる気味の悪い視線にゾッとする。

カイが連れて行ってくれたのは、ダウンタウンに位置する和食レストラン。一杯1200円の醤油ラーメンの値段とクオリティの高さに驚きながら、彼の仕事や、私の旅について語り合った。

和食レストラン「misono」にて

私より3つ年下のカイは、紳士的で聡明で、とても謙虚。人として心から尊敬する。

「少しでもミクにナイロビ滞在を楽しんでほしい」と、彼はジラフパークやケニア国立博物館や、仕事の合間にありとあらゆる場所に連れて行ってくれた。

ジラフと禁断のチュー

他のシェアメイトたちを紹介してもらい、みんなでラム肉のBBQをしたり、アフリカ伝統のウガリを手で食べてみたり。中国茶を淹れてもらってお茶会をしたり。

BBQパーティー
人生で初めて食べたウガリ
シェアメイトのリャオさんが中国茶を淹れてくれる


カイの知人の誕生日パーティーに飛び入り参加して、豪華なブッフェをご馳走になったり。

誕生日パーティーに飛び入り参加

カイが働くオフィスにお邪魔して、仕事の風景を覗いたり。お友達を何人も紹介してもらって、みんなで楽しい夜を過ごしたり。もう本当に本当に、たくさん!

気付けば4日が過ぎていた。不安だらけのナイロビ滞在は、現地で出会った中国人の方々のおかげで、毎日が楽しく充実していた。

最終日の夜、総勢6名でディナー

ナイロビ滞在、最終日の夜。

みんなで夕食を食べて帰宅後、リビングに行くと、カイが肩を落としてソファに座っていた。「なにかあったの?」と尋ねると、彼は弱々しく答えた。

「父と母が、今のツアー会社の仕事を辞めて、南アフリカに戻ってこいって言うんだ。でも僕はまだ、ナイロビでやりたいことがある。今の仕事が好きなんだ。両親はとても大切だけど、ときどき理解できないことがあるよ」

幼少の頃から南アフリカで育ったカイと、中国で生まれ育った彼の両親。親子と言えど、まったく異なる国で人生の大半を過ごした両者のあいだには、思想や価値観に大きなギャップがあったのだ。

彼が抱える葛藤や悩みはきっと、私の想像よりずっとずっと深い。それでも私は、自分なりの意見を伝えることにした。

「人生一度きり。カイが生きたいように生きて、やりたいことをやってほしいな」

彼は顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見た。

「ミク、ありがとう。確かにそうだね。やりたいことをやらないとね。君の生き方に憧れるよ。会えてよかった」
「私こそ」

旅って不思議だ。日本から遠く離れたケニアで、たった4日前に出会った人と、ここまで心が通い合うなんて。カイには何から何までお世話になって、なんてお礼をしたらよいのかわからない。でももう、行かないと。

翌日、カイやシェアハウスでお世話になったみなさんに別れを告げ、私は次の国、ウガンダへと旅立った。






あれから6年。カイは2017年に南アフリカへ戻り、2018年に結婚。都合が合わず参加できなくて残念だったけど、中国で開催された結婚式に招待してもらったときは嬉しかった。

1年前、数年ぶりにビデオ通話でカイと話をした。天使のように可愛い娘さんを見たときは、思わず目を細めた。相変わらず誠実で、立派なパパをしている。

と、ナイロビの旅を振り返りながらここまで書いて、当時の記憶が薄れていることに気付き、愕然とした。現地であんなにたくさん人にお世話になり、心が震えるような親切をたくさん受けたのに、ひとつひとつを鮮明に思い出すことができなかった。

人間の記憶とはなんて儚いんだろう。日々、感謝の思いを文章に残し、何度でも見返して記憶を呼び起こしたい。

カイの夢は、日本を旅することらしい。その時は目一杯のおもてなしをして、ありったけの楽しい時間を過ごしてもらうんだ。


≪追記≫
2024年2月26日、カイとの出会いから約8年の時を経て、バンコクで奇跡の再会を果たしました。喜びに満ちた最高の時間を共に過ごし、「いつか彼に恩返しをする」という私の夢もようやく叶いました。


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