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実録エッセー『店をやろう!』 カメロー万歳 第88回 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2023年10月号

あれはブラジルで露天商を始めてから2年ほどが経過した頃であろうか。右も左も分からぬ状態から『カメロー(camelô )』稼業に身をやつし、様々な事件に遭遇しつつも、たくましく生き抜いていたボクであったが、商いも軌道に乗りはじめ、そろそろ別の刺激が欲しいと思うようになっていた。

この頃は週に4日ほど、半径100km圏内のフェイラ(青空市場)を行商し、残りの3日を商品整理や休日にあてていたが、当時まだギリギリ20代だったボクはそれだけでは飽き足らず、
『もっと金を稼ぎたい』
という意欲に燃えていたのである。

そこで、以前からの憧れでもあった『自分の店』とやらを構えてみようかと思いたったのだ。
『店をやる』
となると、相当な額の開業資金が必要になるイメージがあるが、ブラジルの田舎町ともなれば、そのハードルはグッと下がる。思い立ったが吉日、まずは物件探しだ!ということで、さっそく動き出した若き日のボクであったが、まずは出店場所を定めねばならない。希望としてはやはり、町の中心地であるプラッサ(中央広場)周辺か、スーパーマーケットや服屋などが立ち並ぶメインストリートの一画などが挙げられ、まずはそのエリアを調査してみることにしたのである。

空き物件は意外なほどあっさりと見つかった。中央広場に隣接したその物件は5m×5mというこじんまりとしたスペースながら、トイレとシャワーもついており、女性従業員を雇う予定であったボクにとっては好都合である。家主を訪ねていくと、賃料は300レアルだという。ブラジルの『ど』がつく田舎町では、敷金・礼金・契約書などというまどろっこしい手続きは必要なく、
『オレとお前の口約束』
が、公然とまかり通る世界だ。このチャンスを逃してはならぬと、早速その場で300レアルを支払ったボクは、晴れて店子となることに成功したのである!

初期投資をなるべく抑えたいという気持ちから、内装は最低限の処置を施した。そのへんをフラフラしていたコロンビア人ヒッピーのウィリアに100レアルを支払い、ペンキ塗りを依頼。2、3日かけて中と外をブラック&ホワイトのオシャレ調に仕上げてもらい、その後、材木屋で買ってきた板を陳列棚として壁に打ちつけると、なんとか体裁は整った風である。
『店をやろう!』
と、決意してから約1週間、電光石火の早業であった。

あと必要なのは従業員である。なんとなればボク自身、週に4回は他の町へ行商にいかねばならないため、どうしたって店番の存在が必要になるのだ。実はこの問題が1番の悩みどころといっても過言ではない。ブラジルで店番を任せられる人物というと、実はそう多くはないからである。

時間どおりに店を開け、金をちょろまかすことなく、誠実に仕事をこなす。基本的な条件といえばコレだけなのであるが、ブラジルの北東部でのびのびと育った田舎者の皆さんには少々ハードルが高いらしい。とはいえ、もちろん勤勉で真面目なブラジル人も数多く存在しているので、問題はどのようにしてそのような人物と出会うかであるが、やはり自分が信頼できる人物に紹介してもらうのが一番だとボクは考えた。そこで敬虔なエヴァンジェリコ(福音主義)であり、ブラジル生活の大恩人でもあるエリアスに相談したところ、同じ教会に通っているというレチシアを紹介してくれたのである!

レチシアは20歳前後の若い女性で、ウルトラ怪獣でいえば『ピグモン』のような顔・体格をしており、決して美人ではないが愛嬌はバツグンである。そして何より彼女もエリアスと同じエヴァンジェリカ(福音主義)であることが決め手となった。

クレンチ(crente )とも呼ばれる福音主義の人たちは、服装、髪型にも厳しい規律があり、さらにいえば婚前性交渉、飲酒、ダンスなどをすることも禁じられている。まさに聖人と呼ぶにふさわしい行動規範のもと、日々の生活を送っているのだ。

もちろんこの現代社会、すべてのクレンチがこの規律を厳正に守っているかといえば、さすがにそんなことはないであろうが、少なくともそのような姿勢をもっていることだけはマチガイない。

ブラジルのど田舎に流れ着いた、どこの馬の骨とも分からぬ落ち武者風東洋人に救いの手を差し伸べてくれたエリアスを筆頭に、クレンチには様々な場面でお世話になってきたボクである。従業員として人を雇うのであれば、クレンチは理想といっても過言ではない人材であった。

というわけで、レチシアを月200レアルで雇うことになったしらす商店である。この200レアルという数字に、
『貴様、ブラジル人をナメてるのか!?この拝金主義の守銭奴め!』
と、目くじらを立てる人がいるかもしれないが、まあどうか落ち着いて聞いてほしい。10年前のブラジル北東部、サラリオミニモ(最低賃金)が600レアルぐらいだった時代のことである。田舎町の非正規雇用のアルバイト代など、それくらいが相場だったのだ。

というわけで、めでたくオープンの日を迎えたしらす商店であったが、開店初日から学生たちがひっきりなしに現れ、まずまずのスタートであった。そして期待どおり真面目に業務をこなすレチシア。地元民だけあって知り合いも多く、彼女を目当てに訪ねてくる友人たちがついでに何かを購入してくれることも珍しくはなかったぐらいである。その働きぶりにはボクも大いに満足したが、1か月も経過すると、その様子が変わってきた。ボク自身、週に4回は近隣の町へ行商に行かねばならないため、店のことはほぼレチシアに任せきりにしていたのであるが、どうもその彼女が時間どおりに店を開けていないようなのである。

ある筋から寄せられた情報によると、週のうちの半分は午後からしか店を開けていないらしく、そのような報告を一切受けていなかったボクは、少し裏切られたような気持ちで彼女を問いただした。

バツの悪そうな顔をして渋々認めるレチシア。愛嬌に満ち溢れたピグモン顔が、凶暴なときのグレムリンの顔つきになり、早口で言い訳をまくしたてる様はとてもクレンチとは思えぬほど醜悪なものであった。

それに反応するカタチでボクもつい感情的になってしまい、
『Você é folgada viu!(folgadaは「怠け者」という意味)』
と、言ってしまったのである!

すると、先ほどまで凶暴なグレムリン顔だった彼女の目に見る見るうちに涙が溢れ、ついには大泣きしてしまったのだ!

焦るオレ。

自分としては、
『最近ちょっとたるんでるんじゃないの?』
といった意味合いの、比較的ライトな口撃のつもりだったのであるが、ピグモンのように純粋なハートをもったレチシアには刺激が強すぎたのであろうか?

(いや、だって実際たるんでるだろ。朝の8時に店を開ける約束なのに、週の半分は午後から営業ってどういうことやねん?)
と、ボクにはボクの言い分があるのだが、女性に泣かれて圧倒的に不利なのはどう考えてもこちらの方である。慌てて謝罪しなんとか宥めることに成功したが、ホッとしたのも束の間、その日以来、彼女はパッタリと店に現れなくなってしまったのである!

これには紹介者のエリアスも激怒し、
『ボクのアミーガになんてひどいことを言うんだ!』
と、しばらく口も聞いてくれなかったほどであるが、
『週の半分は午後から営業』
という、従業員としては残酷とも思えるサボりをかましておきながら、なぜこのオレが責められなければならないんだ!という不条理は、あれから10年以上が経った現在でもボクの胸中を去来し続けている。

それにしても『folgada』
そんなにイケない単語だった?
と、あの日以来、自問し続けるボクである。

皆さんも『folgada』を使用するときはくれぐれも気をつけて。

それではまた再来月にお会いしましょう!!


白洲太郎(しらすたろう)
2009年から海外放浪スタート。
約50か国を放浪後、2011年、貯金が尽きたのでブラジルにて路上企業。
以後、カメローとしてブラジル中を行商して周っている。
yutanky@gmail.com
Instagram: taro_shirasu_brasil
YouTube: しらすたろう
Twitter: https://twitter.com/tarou_shirasu

月刊ピンドラーマ2023年10月号表紙

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