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クリーニング屋さんになりたかった


この間の休日、久しぶりに遠出した街でふと、クリーニング店が目にとまった。そういえば小学生くらいまでクリーニング屋さんになりたかったなあ、と思い出した。


母の仕事帰りや妹のお迎えのついでによるクリーニング屋さんは、入って扉を閉めるといつも静かだった。大量の服が音を吸収するからなのかわからないけれど、雑然とした空間には似合わないほどの静寂がそこにはあった。

なんとなく大きな声を出してはいけない気がして、母がスーツを出したり店員さんがもってきてくれたシャツを鞄にしまう間、私はその手元をじっと見つめていた。

母と私が入るともういっぱいいっぱいな店内。

いま考えると、あの静けさが好きだったのかなあ。うーん。

母は大きな手提げかばんから、台の上にシャツやスーツ、コートなどをばさばさと出していく。お店のおばさんは積み上げられた服を片っ端から広げては畳み広げては畳みを手早く繰り返す。レジをばしばし叩いて、「○○日には仕上がりますのでそれ以降に取りに来てください」とちょっとぶっきらぼうに言う。

おばさんは母が渡した伝票を片手に、袋に包まれてつり下げられた服をはしからちょっとずつ触ってラベルを確認していく。少しするとお店の奥の方から長い棒を持ってきて、上の方につるされた服をハンガーごとうまいこと降ろして台の上に優しく乗せる。台の上で、セロハンテープで袋につけられたラベルを、服をめくりながらはずしていく。おばさんの袖はたちまちラベルでいっぱいになり、レジを打つときに少しかさかさ音が鳴る。

よくもまあ、覚えているもんだと思う。あの静かな空間では、少しの衣こすれや紙を触る音がよく聞こえた。逆に言えば、それしか聞こえなかった。

おばさんは、小さな店内の間違いなく主だったし、私はその狭い空間を自分のものにしているおばさんがうらやましかったのだ。たぶんきっと。

手早く服を確認したり、ラベルをてきぱきはずしていく手つきは、いかにも「仕事できる」という感じがして、こどもながら憧れた。


中学生高校生になると、母についてクリーニング屋にいくことはなくなり、年に2回ほど自分の制服を出しに行くくらいになった。だから大学生になった今の今まで、クリーニング屋になりたかったことなんて忘れていた。

だれしも、「大きくなったらこれになりたい」と思ったことが一度や二度はあるだろう。

小さいころ、なりたかったものはなんですか?


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