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「悪党」が舞い降りるたった1つの創作法

物語の魅力を高めるためには、「悪」という要素が不可欠であり、登場人物間の対立軸を明確にすることが重要です。「悪」を描くことでキャラクターが深まり、物語が引き立ちます。

ジャック・ヒギンズの名作『鷲は舞い降りた』 (ハヤカワ文庫NV)には本当に痺れました。(ただし映画ではなく原作小説の方です)

第二次大戦末期、形勢が悪くなってきたナチスが一発逆転の秘策として企んだ「チャーチル誘拐」。そのために選ばれた男たちが挑む驚愕の作戦の内容とは?!

これが単なる戦争の与太話で終わらないのは中心人物である二人の男のキャラクターが非常に生き生きしていて魅力的だからです。

戦場という緊迫感や恐怖感に満ちた設定では、やれ銃撃だ爆発だと、派手で描きやすい舞台や状況の描写にばかり走ってしまい、キャラが平板になってしまいがちです。ところが「鷲は舞いおりた」をはじめ、「大脱走」とか「マーフィーの戦い」でもそうですが、傑作はキャラクターの立て方が素晴らしい。とくに登場シーンのエピソードは非常に重要です。作者は、主人公のカッコ良さよりも、むしろその苦境や欠点を描くことに苦心しているように見えます。

それはそうです。主人公の魅力というのは、見た目の良さや由緒ある血統や、強大な権力の後ろ盾などではありません。何よりもまず、読者が共感する人間でなければなりません。人間として好きにならずにはいられないような主人公でなければ誰も興味を持ってはくれないわけです。

そんな「人間臭さ」という魅力を登場人物に持たせるために今回はじっくり『悪』について考えてみましょう。

「対立軸」が足りない

ぴこ山ぴこ蔵へのメールでいちばん多い悩みが「私の作品は今ひとつ面白くない」というものです。そして、作者自身がそんなふうに感じている作品の多くには、とてもはっきりした共通の特徴があります。

一つは「対立軸が不明確」であることです。

そもそもドラマとは、葛藤であり、対立です。特にエンターテインメントでは派手なケンカを起こさなければなりません。何もこれはヤクザ映画とか番長モノとかに限ったことではありません。スポーツものでは試合そのものが対戦相手とのケンカみたいなものですし、同じチーム内での確執やぶつかり合いも必須です。

アルプスの少女ではハイジがロッテンマイヤーさんと対立しますし、天才バカボンではパパと目ん玉つながりのおまわりさんが衝突します。緊張感を呼び覚まし、ストーリーに求心力を生み出すためには、何よりも「対立しあうもの」が必要なのです。

物語の中で反発しあい、対立し、ケンカする2つの極。言ってみれば、対戦の組み合わせです。プロレスやボクシングのマッチメークみたいなものです。

自分の作品がどうもピリッとしない、と思う人は「主人公」と対立するしっかりした「敵」がいるかどうかをチェックしてみてください。「対立軸」は他人とばかり決まったわけではありません。主人公の心の中の「正義」と「悪」だったりすることもあります。具体的であれ抽象的であれ、それらははげしく衝突し戦います。

メインのストーリーラインは、単純なようですが、この『対立とその決着』がテーマででないとあんまり面白くなりません。ところが、初心者の物語ではこの「対立しあう関係」がうまく描かれていないことが多いのです。

例えば、簡単に言うと「悪人」が出てこない。主人公の周りの登場人物は全員いい人ばかりで、みんなが善意で行動するために、事件らしい事件が起こらないのです。あるいは、「必要悪」とか「しかたがない流れ」とかで処理されがちで、あまりその「悪」についての深いツッコミが入りません。

嫌な感じの人はけっこう出てくるものの、なぜその人が嫌な感じなのかについては深い考察がなされません。せっかくそこに「悪」の存在があるにも関わらず作者が目を瞑って避けていくようなケースが多いわけです。

もったいないことであります。あなたの作品に「悪」は登場していますか? そしてその「悪」はきっちり本質が追究され、物語に現実感を与え、面白さに貢献できていますか? もう一度、よくチェックしてみてください。

「悪」について語れ!

「悪」とは何か、という問いかけに対する答えに深みがない。これが「物語が面白くならない」もう一つの理由です。悪を描きましょう。悪こそは物語の華であります。これを描くからこそ楽しいのです。悪人を描かないのは、物語を面白くするチャンスをみすみすドブに捨てているようなものです。

これはどうも無意識のうちに、私たちが日常生活を無難に送るために身に付けてしまった「空気を読んじゃう癖」が出てしまうものと思われます。) 空気なんか読まないでいいので、思いきって「極悪人」を登場させてください。

善人ばかりではドラマが生まれないのです。ここは「悪」のパワーを全開にしてストーリーを前進させるためのアクセルを踏み込みましょう!

ある程度ストーリーを書き慣れて来ると「善良さ」が結果的にもたらす「悪」みたいなテーマが描けるようになってきますが、最初の頃はなかなか難しいと思います。普通の人間にとって最も分かりやすい敵は「悪人」や「犯罪者」ですから、話を面白くしようと思ったら、そういう奴をどんどん登場させればいいのです。

ただし、ここで気をつけたいのが「犯罪者だから悪人」という素朴な割り切りをしないことです。犯罪イコール悪、という決め付けをしてしまうとキャラがそれ以上深まりません。作り手がそこで思考を停止するからです。

物語で言う「悪」が発生する瞬間というのは法律に触れた時ではありません。「恐怖や欲望に負けた」時のことです。法に触れることは(「障害」を生むきっかけではありますが)物語で描かれるべき「悪」の本質とはほとんど関係がないのです。

「悪」とは何か、というのは非常に深くて大きな問題ですから描くときには正論に囚われないこと。そうしないとせっかくの「悪」が色褪せます。「対立軸」が平凡で退屈なモノになってしまうのです。

映画『SAW』の魅力とは?

悪についてもう少し。「ソウ (字幕版)」という映画を見ました。非常に面白い作品で、ぜひ実際にご覧になっていただいた上でじっくり分析してもらいたいので、ネタばれしないように慎重に語ります。

この映画は、悪人が悪に目覚めた瞬間の喜びや、「人間は悪事を働く時が何よりも楽しい」というダークサイドからのメッセージを含んでいます。

本当の悪には喜びが付きまとうものだとすれば、これだけ世の中に悪がはびこる理由も納得できます。恐ろしいことに悪事は楽しいのかもしれません。

ここにあるのは、追い詰められて起こした切羽詰った犯罪ではありません。『SAW』の犯人は明らかに残虐な仕掛けを楽しんでいます。人が苦しんでいるのを見て楽しんでいるわけであります。

良い「悪」とは、それを目にした瞬間、腹の底から恐怖感がこみ上げてくるものでなければなりません。『SAW』が面白いのはそこに「悪意」の存在があるからです。理不尽で理解不能な快楽があり、それに対する恐怖があるからなのです。

犯人がやっていることには悪への喜びがある。自分を正当化しているが、実は楽しんでやっていることが伝わってくる。だからこそ許せないのです。

この「悪事を働く喜び」に対する本能的な嫌悪感が恐怖を生み出します。
自分の作品の『悪』に足りないものは何かを考え抜きましょう。

創作講座『完全保存版・悪の事業計画』

悪役が行う「悪事」の計画を立てることによって、連鎖的に事件が発生する仕組みを作る手順をレクチャーします。

主人公は次々に無理難題に巻き込まれ、息をつく暇もないほどのジェットコースター・ストーリーが展開します。

もう、あなたの主人公が創作の荒野で道に迷うことはありません。

これと言った目的もなく、読者の興味を掻き立てる事件も起こらず、葛藤を生み出す敵も登場しない。

そんなストーリーから卒業するためには、「悪役」が決め手です。

読者は思わず最後まで一気読み!

この講座であなたも悪役マスターになりましょう!

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