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同窓会にて自分の甘さを突きつけられる

3年間持ち上がった学年の20歳を祝う集い(旧成人式)が催され、同窓会に声をかけてもらった。
(行事のしっくりこないネーミングは如何ともし難い…)

当時の生徒会や学級代表のメンバーで実行委員会を組織し、丁寧に準備を進めてくれたようで、終始和やかであたたかい雰囲気の会だった。
企画・運営に骨を追ってくれた方々に感謝したい。

年度初めの慌ただしい時期の開催でもあるし、地元から離れて居住している人も多いだろう中、全体の2/3くらいの参加があっただろうか。
都合で今回の出席が叶わなかった人も、どこかで繋がりを続けて、他の機会では顔を合わせて、となることを願う。
私たちの時代よりも彼らの生きる時代はますますそうした「繋がり」自体が人生の幸福度に直結しているはず。
直接は伝えられなかったが。

一方、「都合で参加できない」でなく「参加したくないから参加できない」という人がいたのならば、自分がその片棒を担いでしまったかもしれない。
こうした集まりに出ることが全てだとは思わないが、出会う人の多様さや数は就学時にこそアドバンテージがある。
困難を抱える人の中には、必要な人との関係の希薄さに起因して困難が生じているケースも少なくないように感じる。

そうしたことを伝え、体感できるようにすることは学校職員だからこそできることなのだろう。
その点で至らないところがあったとするなら、まだ自分はやれる余地があるということだろうし、もし学校教員という属性だけでの実現が困難なのであれば、さらなる一手を考えていく必要がある。

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