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困った子【育休44日目】

誕生日プレゼントで遊ぼうと早起きした長男。
朝食や朝の支度そっちのけでずっと遊び続ける。
夢中になれるのは結構なことだが、出発時刻が刻々と迫る。
幾度となく大人が声をかける。促す、励ます、等等。
10分、20分、30分…。
しかし、生返事で一向に動かない。

出発4分前。
ようやく着替え始め、ランドセルを背負ったところで出発時刻になる。
結局、朝食も摂らずに出ていくことになった。
親として、こんなことがあって良いのかと思う。
一方で、本人がその意味を感じる必要があるとも思う。
無理に動かしても彼は食べないし、機嫌を損ねてますます動かなくなることが予見できる。

お腹すいたな〜
なんて言いながら集合場所まで歩いていく。
子どもが朝食を摂らない不健全さと、彼と私たちとの課題の分離との間で葛藤が生まれる。

彼がどのように感じたのかは明日の朝になってみないと正直わからない。
ただ、家庭として望ましくない状態で子どもを送り出す背景にはさまざまな事情があるのだろうということを学ぶことになった。
遅刻、朝食の欠食、準備の不十分など、これまで、「学校として望む形」で子どもが登校しなかったことに対して、教員としての自分が保護者に対して不適切な思いを抱いていたのではないかとさえ思った。

「困った子」は「困っている子」とよく言われるが、その背景には「困っている保護者」がいるのかもしれない、という視座をもちたい。

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