【詩】 水琴窟
言葉は五感で
私の外ではありとあらゆる名札が
ある意味呪いのように貼りつけられており
身勝手にこそあど言葉を物に還元するように
それらを気持ちに整頓しているだけで
いわゆる中の人のせいではない。
こう言うと そんな無責任な
と聞こえてしまうのも 人だからで
罪悪感の聖地だ 清々しい。
人の水琴窟説を正当化すれば
世の中が崩れてしまう気がする
だからこのままがいいんだ。
一番自分の中のせいにしといたほうが
世界は安全なんだから。
小学生の頃グラウンドで
先生の話の合間に待ち時間があって
暖かい日差しの中で朗らかな気持ちになって幸せだった
この流れだとそれも日差しのせいってなるし
いじけてるの?怒ってるの?って汲み取れてしまう。
そういうわけで、言葉は中の人と外の景色の良い塩梅でなっていると
捉えておく。
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